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18歳以上ですか?
<20>にしおりをはさみました!
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机の上の携帯が揺れてカタカタと動いたのは14:30を過ぎた頃だった。画面にはスーツを着て照れくさそうにしているモリの顔が映っている。この間の結婚式の時に撮った画像。モリはこんな時間に電話をしてきたことがない。
『ハタケに何かあったら征広が迎えにいってよ』
「クソっ!」
携帯をつかんで事務所を抜けて廊下にでる。
「モリ!どうした?」
『悪いな、仕事中だろ』
「いいよ、そんな前置きは。で?」
『頼めるか?』
「だから、何!」
モリがなかなか本題に入らない苛立ちから廊下で大きな声を張り上げる。
『今病院から電話がきて……ハタケがそこにいるみたい』
「ちょっと、病院って!事故か?怪我か?まさかあいつに何かされたのか?」
『事情は直接逢ってお伝えしますからって。命に別状はないし、怪我はしていないみたい。
できるだけ早く都合をつけて来てくれませんかって。俺が札幌にいることは知っているみたいで……』
「俺が行く!」
『ゆきさんって方に心当たりありませんか?って聞かれた。妹さんか誰かですかって。ハタケがユキっていったら征広だよな』
「そんなことはいいから!俺が行けば済む話だろう!早く場所を言え!モリ!」
俺の大声は事務所まで聞こえていたらしい。
友人が病院に担ぎ込まれたから退社すると怒鳴り、机の上を猛然と片付け始めた俺に何か言う同僚はいなかった。
焦る気持ちを抑えつつ駅に向かって走る。
吉川はシュンに何をした?モリに連絡がいったということは吉川が病院に運んだわけではない。自力で病院に行ったということだ。その考えに行き付いて、ようやく足を緩めた。
いずれにしても冷静でなければ対処できないだろうから、シュンの為にと気持ちを落ち着ける。
ジリジリしながら電車を乗り継ぎ目的の駅に着いた。言われた出口から地上にでるとそのクリニックはすぐに見つかり、飛び込んだ俺を出迎えたのは、穏やかそうな白衣を着た男だった。
「あの、今日はもう診療は……」
「シュン。いや、ハ、ハタケは?」
荒い息をついて切れ切れに名前を告げると、スリッパを片手に靴を脱げと身振りで伝えてくる。下足箱に靴をいれてスリッパに履き替えるのがもどかしい。つかみかからんばかりの勢いで詰め寄った俺の腕をさすり、落ち着くように促された。
「波多家さんは大丈夫ですから、落ち着いてください。ええっとモリさん?いや無理ですよね、こんなに早くは」
まどろっこしい!シュンは!と言いそうになって深く息を吐き出す。医者が大丈夫だと言っているし、俺が騒いでも状況は悪くはなれど良くはならないと思いなおす。
「私は木崎と申します。盛田から電話をもらいまして、横浜が勤務先だったので、私が」
「木崎さん……ですか」
「確認していただけますか?電話をしますので」
どうやら慎重な医者らしいので安心しながらモリに電話をかけた。
「モリ?」
『ハタケは?』
「いや、まだ逢っていない。今病院についたところ。先生はモリに電話したけど、実際に来たのが俺だから確認したいみたい」
電話を医者に手渡し、吹き出した汗をハンカチで拭く……ひさしぶりに走った。
「ええ、はい。間違いがなければいいのです。ゆきひろ?あ、こちらの方の、え?ゆきひろ?」
俺の名前がなんだと言うのだ。振り向いて医者をみると向こうもこっちをじっと見つめていた。
「いえいえ、はい、わかりました。確認できましたので、お話は木崎さんに。それでは」
医者は電話を切り俺に手渡した。
「確認が取れましたのでご説明します。とりあえず波多家さんは今薬で眠っています。顔を見たら安心できるでしょう」
医者はそう言って病院の奥へ歩き出した。
「こちらに」
案内されたのは病室ではなく、カーテンで仕切られたベッドが3つ並んだスペースだった。左端にいるのがシュンらしい。
「入院病棟がないので、処置室です」
横たわるシュンは結婚式て会った時よりもずっと痩せていた。前合わせの病衣を身に着けているが手首には擦れたような赤い筋が何本もあり、首筋や鎖骨のあたりには花がちったように痕が残っている……くそ、あの男。
赤く腫れあがった頬にそっと触ると確かに体温が感じられ、知らずに息が漏れる。
「お話は診察室で」
そう促されて診察室で向かい合わせに座る。これだと診察を受けにきたようだと、どうでもいいことを考えてしまった。
「まずは……今の波多家さんの状況をどの程度ご存じですか?」
あの痕を見ているから、ある程度この医者も察しているだろう。
「あ、その前に。申し遅れました、飯田と申します」
「木崎です」
「シュンの状況を話します」
「し、しゅん?」
さっきの「ゆきひろ」に反応したのと同じだった。俺達の呼び方になにか問題でもあるのかと思ったが、カルテには「としや」と記されていることに思い当たる。この医者の慎重さを考えると疑問は取り除いておいたほうがいい。いちいち話を折られては前に進めない。
「ええ、私だけがシュンと呼んでいます。「としや」じゃなくて「シュンヤ」だと勘違いしたのがそのまま呼び名に」
「ああ、なるほど」
納得したのか、してないのか。なにか違うことを考えていそうだが今はどうでもいい。
「状況に戻しますが、シュンとはこのあいだ友人の結婚式で7年ぶりに逢いました。その3ケ月前に不幸があって帰省した際に、さきほどの盛田から、シュンが男と住んでいると聞かされました」
「だいたい1年くらいになります」
「そ、そうなんですか。なにぶん、ずっと友人達を避けていたようなので、詳しいことは誰も知らないのです」
「相手の男は知っていますか?たしか盛田さんはハタケさんの住まいに行ったようですね。逢った友人のことを「モリ」と言っていたのを思い出しまして、波多家さんの携帯から番号を見つけられました」
この医者はずいぶんシュンのことを知っているようだ。もしやと思ったが、痛ましい表情を浮かべているが愛情のようなものは見えない。
「相手の男は、友人の結婚式の時に迎えにきましたから顔を知っている程度です。その後調べまして、権田組のヤクザで若頭補佐の護衛をしている吉川という男だとわかりました」
「どおりで」
「どういうことですか?」
「今日は午後の診察が休みで、事務作業をしていたら電話が鳴りました。それが波多家さんからで、申し訳ないが助けてくれないかと。腕を縛られているから逃げられないという電話です」
「はあ!?」
「それで迎えにいきました。今までは波多家さんがここに来ることはあっても、出向いたことがなかったので不安でつぶれそうでしたよ。部屋の鍵は開いていました。手首を縛られた波多家さんが床にころがっていて……申しあげにくいですが、複数の精液をかけられていて……裸でした」
ダン!
勢いよく立ち上がったせいで椅子が転がった。あの男、シュンに何をしやがった!
ウロウロと歩き回る俺を医者は咎めなかった。黙って座って聞ける内容ではない。
「足をつかってなんとか電話したようです。波多家さんが言うには、吉川?ですか、波多家さんを相手にSEXしているところを複数の男たちに見せたようです。その男たちにかけられただけだから大丈夫だと、でも肩と手頸が痛い……そう言いました」
思いきり転がったイスを蹴り上げた。それは派手な音をたてて床を転がりはしたが俺の気持ちを鎮める力はない。またしても医者は咎めなかった。
「診察しましたが裂傷もありません。いくら丁寧に扱っても複数の相手をすれば……わかりますね。それは認められませんでした。何度か平手打ちされたせいで口の中が切れていますが、それほどひどいものではないので大丈夫でしょう。
男は鍵をわざと開けていくと。泥棒がきたら大変だなと笑いながら。それで急いで私に電話をしたようです」
医者は転がったイスをもとにもどし、俺の背中をそっと押して座らせた。この先生が居なかったら、今頃シュンは……考えただけで背中が冷たくなる。モリは確か「見張り」がいたと言っていなかったか?それで普通じゃない男と住んでいると思ったと。
「先生、その建物には見張りのような男は居ませんでしたか?モリが以前泊まった時には居たようなのですが」
「いえ、誰もいませんでしたね。波多家さんを上着でくるんで外の車に乗せましたが、その間誰にも逢いませんでした。誰かに見られて通報されたらどうしようと心配していたので、これは確かです」
ということは、すぐに戻るつもりでいたのだろう。それに拘束されたままのシュンが逃げ出すとは考えていなかったはずだ。帰ってきてもぬけの殻の部屋を見て何を思った?バカ野郎が。
「どうぞ好きにしてくださいと波多家さんが言ったので、その時の状況を写真に収めました。それと体に残る沢山の痕や噛み傷も万が一の時のために撮った物があります。私は波多家さんに自分を大事にしろと言い続けていますが、聞き入れてくれないのです」
「え?」
「あんなに聡明な人がこの無意味なことをやめてくれないのです」
医者は眼鏡をはずし机に置いた。言いにくいことを言い終えたのか肩から力が抜けたように見える。
「シュンはああみえて相当頑固ですよ。それに自己評価が怖ろしく低い」
同じようなことを最近言った……あ、あのバーテンダーに。
「あそこに戻すわけにはいきません。今後エスカレートするはずです。こんなことは、あってはならない。それと「ゆき」に伝えなければと何度も言ってました」
「いったい何を」
「身に危険が迫っているから、知らせないといけないと、そればかり何度も言うのです。とりあえず処置をして落ち着いてからと言いました。盛田さんにも聞いたのですが、ハタケさんに妹もお姉さんもいないようですね」
「シュンは1人っ子ですよ?なぜ姉妹がいると?」
「AVに出される!早く逃げろと伝えないとならない、そう言いまして。盛田さんに聞けばわかると波多家さんは言ったんですけどね。木崎さんに心あたりは?」
心当たり?ありまくりだ。それにしてもあの男、何を考えていやがる。シュンの反応を面白がったのか?ささいな思いつきかもしれないが、それを聞いたシュンの気持ちを思うと胸がつぶれそうだ。ひどい目に遭いながら俺の心配をするとは大バカだ!
「私がそのユキです」
「え?」
「征広のユキですよ」
「ああ……ええと。AVと聞いたので、すっかり女性かと」
「シュンは俺が連れて帰ります。それとシュンがいた場所を教えてください」
「それはいいのですが、相手はその……」
「それはどうにかします。何としても。その写真をプリントアウトしておいてください、吉川に逢うときに必要になりますから。AVなんて……ふざけた野郎だ」
体中にアドレナリンが駆け巡り、一生この興奮状態が続くだろうと、もう冷静な自分には戻れないと思った。
あのバーテンダーは「吉川は本気です」そう言ったが、本当に好きな相手にする行為ではない。人間として男として許せないそのやり方に、腸が煮えくり返った。
「あなたのようにできていれば……」
独り言のように呟き。
「私のようにできていれば何だと?」
「あ、いえ……波多家さんのことではありません。私は以前、大事な人を失いました。
波多家さんをちゃんとできたら、その償いになるような気がしていました。でも結局私の声は届かず、こんなことになってしまった」
それだけシュンは頑なだったということだろう。この医者は親身になってシュンを諭したはずだ。俺がちゃんとあの時言ってやれば自分の価値を認められたのか?
「たぶん……自傷行為に近いですね」
「リストカットみたいなものですか?」
「今までは噛み傷はありましたが、ひどい怪我はなかったのです。鬱血の痕と、強くつねったことでできる内出血が体中に。それが消えていく過程をみて、まだ大丈夫だと思いながら、でも自分を認められない。底に行き付いたら救いがくるとでもいうように、自分を放置していました」
俺はたまらず頭を抱えた。あの日嫉妬に我を忘れて嫌がるシュンを組み敷いた。なぜあの時ちゃんと言えなかったのだろう。「好きだ」という一言を。ただそれだけでよかったはずなのに、怖くて逃げた。「こっちにこれるか?」そんな憶病さに負けた言葉で傷つけた。
そして最後の日、「思いやり」という単語に逃げた。ちゃんと言ってくれと、そう言われたのに……言えなかった。別れしかない最後の時に、それを言い残していくことができなかった。好きだという言葉がシュンを縛り付けてしまうかもしれないと、もう傍にいられない俺が言っていいはずがない……と。
あげく……この有様だ。
さっきまでのアドレナリンはなりをひそめ、狂乱のあとには寒いほどの冷たさしか残っていない。
「後悔はどうして消えてくれないのでしょう。波多家さんはそう言いました」
「本当ですね」
笑うしかない。
「同じことを繰り返さないように消えないのが後悔です。私はそう言いました」
繰り返さなければ、上書きができるのか?塗りつぶせば、俺達は変われると?今度こそ間違えなければ後悔は違うものに生まれ変われるのか?
「同じですね、今のあなたと同じ顔をしましたよ、波多家さんも。羨ましいです、兄はもういないので……私には無理なのです」
「さっきの大事な人は、お兄さんだったのですか」
「えええ。理解しようと家族全員が色々と手を尽くした。私は綺麗な女性が恋人になれば考えを変えると疑いもしませんでした 。両親も似たようなものです。お見合いの写真やパーティー。今思えば、家族全員で兄の毎日を嫌がることで埋め尽くしました」
そうか、この人の兄はゲイだったのか。そしてその家族は「正常」に戻そうと足掻いたわけだ。笑えない現実に鼻で笑ってしまう。
「理解しようと……私たちは。でもけっきょく兄を理解できませんでした」
「それでお兄さんは?」
答えはわかりきっていたのに、俺はあえて聞く。そのあとの言葉がこの人にきちんと響くように。
「……恋人と一緒に命を絶ちました」
「そうでしょうね」
初めてその顔が厳しいものに変わった。穏やかだった顔が歪む。
「理解……それが傲慢だと気が付かないものです」
「傲慢?」
「ええ、傲慢です。先生、わたしはバイセクシャルです」
「……」
「私からすれば、この世の中に男も女もいるのに、異性しか好きになれないほうが理解できません」
はじかれたように顔が上がる。
「そういうことです。たぶんお兄さんは理解してもらうことなど望んでいなかった。
それでも家族に打ち明けたのは理解してほしかったのではなく認めてほしかった……これが自分だと。そして自分の愛する相手と一緒に時間を重ねたかっただけです」
小刻みに震えた肩にそっと手を伸ばす。
「初めて俺が友達にバイだということを言えた相手がシュンです。『ユキはユキだ』そう言ってくれました。涙がこぼれましたよ。先生と家族はそれを……言ってあげればよかっただけです。見当違いの頑張りは必要なかった。
『救う』ことには意味はなかったのです、そもそもお兄さんは救ってほしいと思っていたわけではないでしょうから。
だから救えなかったと悩み続けることは無意味です。お兄さんもそれを望んでいないと思いますよ?」
「ははは……まさか初対面のあなたに、そんな……ふうに……」
気持ちはわかりますと頷く。
「少しの言葉で……随分楽になれるものですね」
「ええ……本当に」
避けていれば傷つかないと何故思い込んだのだろう。モリや美野、久田を避けて、それで変われたか?シュンへの気持ちは消えてくれたか?
先生の言うように後悔を違うものに変えない限り無くなるものではないのだ。
避けても逃れることはできない。そんな簡単なことに俺はようやく気が付いた。
「先生?もう少し柔らかいベッドに寝せてやりたいのですが、この辺にホテルはありますか?」
「いえ、近くにはありません。あったとしても毛布にくるんだ人間を抱いたような客はホテルだって嫌がりますよ」
「俺の家が近ければよかったのですが、川崎なもので」
「じゃあ、うちに来るのが一番いいですよね。車で10分くらいです」
「ええ。助かります」
「じゃあ、少し待ってください。戸締りと後片付けを」
俺はそのまま処置室のシュンのところに行った。穏やかに眠っている体を毛布でくるみ抱き寄せる。かすかに瞼が動き薄く目があいた。
「ゆ……ゆき?」
か細い声に胸が痛む。
「シュン、待たせたな。迎えにきたよ」
ゆっくりと閉じられた瞼から涙がこぼれた。
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