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手を取り合ってにしおりをはさみました!
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手を取り合って
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「ハリソンは24時間、付いているのか?」
「俺も観光でもして来いって言ったんだ。
だけど聞かないんだ。あいつが勝手にくっついてるんだ。だけど、明日にもジェイムズがやって来るから。」
ロジャーが急遽訪日を決めた時、タイミング悪くジェイムズはパスポートが切れていた。
「本当はコナーも連れてきてやりたかったが、州立病院も何人も人員をさけなくてできなかったんだ。まあ二人が結婚したら、ジャパンに新婚旅行でもプレゼントするさ。」
確かにそのぐらい造作もないことだろう。しかしハリソンは事情がちがう様だ。
「実はコナーは結婚に同意しないんです。」
朴訥で必要以外の会話もほとんどしないハリソンがめずらしく私に零した。
「僕としては家族に紹介してきちんと結婚したいのですが、、、」
私がロジャーにプロポーズする姿を見て何やら感じるところがあった様だ。彼の話では昨今のイギリスでは結婚するカップルが激減しているそうだ。結婚というプロセスを経ずに、恋人同士として同棲して子供を作り育てる。
パートナーシップを適応する異性カップルも増えたそうだが、原因はイギリスの法制度として婚姻によって得られる特典があまりないことが第一の要因であるようだ。財産を受け継ぐ権利や子供の養育権なども特に婚姻しなくてもほぼ同じ状態。
それとやはり女性の経済力が強化されたのが大きな原因だろう。今までは女性が男性側の家に嫁ぐと言う観念が強く、それに反発する女性が多くなった結果だとも言う。
そう言えばノーマンも子供まで設けた恋人がなかなか結婚に応じてくれない。と嘆いていた。論文発表の結果やっと教授に昇格して正式に結婚してもらえた。と喜んでいたくらいだ。コナーの姉も結婚せずに恋人の子供を生み二人で育てているようで、コナーもそれでいいと考えていると言う。
若い者達はその時代なりの悩みや考えがあるのだなあ。
私たちの若い頃はまだ単純だった。それで苦しんだこともあったのだが。
しかし、、ロジャーは貧血の症状が酷くなって行く一方で回復しない。
あんなに飲みたがっていた日本酒も受付けなくなった。
「これ以上ほっておいたら死ぬぞ!」
急激に悪化した体調に焦って叫ぶ。
「、、いいんだ、、、君さえ大丈夫なら、、、それで、、。そのために来た、、。君に抱かれて、、死ぬために。
墓はほとんど、、完成している、、、棺桶は君が選んでくれ、。」
本気なのか、切れ切れの意識で答える。
「バカなことを言うんじゃない。まだ誓いの言葉も交わしてないぞ!」
もはやホテルに移るどころではない、血圧が低下して薬だけではどうにもできない。私を助けるためにジャパンにやって来て、、それでロジャーが死ぬなんて!絶対にあってはならない!パニックになった。
「このままではロジャーが死ぬ。何か手段はないか?なんとかしろ!」
私の責任で検査と治療を行う様にハリソンに指示をだした時、やっとジェイムズがイギリスから到着した。予備の血液パックとフェリックスの署名入りのロジャーの治療承諾書だ。それと私に全権を委任すると言う書類も携えていた。
私はまた金の力を振るった。
「彼を助けてくれ。頼む!」
必死だった。
「とにかく今を乗り切ってくれ!金ならばいくらでも出す。」
私の人生で金と言う言葉を使ったのは今回が最高だろう。大学病院は私の要請に敏感に反応した。すでに意識が無いロジャーの体を彼が嫌っていたMRIで診る。開胸手術に耐えられるだけの体力がないロジャーのために、内視鏡手術でジャパンで最高の技術を持つ医師を緊急で招いた。
急を要して、ヘリで運ばれて来た医師は検査結果を告げた。
「このまますぐに処置手術に入ります。」
「危ないのか?」
「最善は尽くしますが、万が一のこともあると考えてください。」
厳しい表情でジャパンの医師は言った。
「本当に、危険な状態になったら、、私を手術室に入れてくれ、、。」
震えながら伝えた。
「息を引き取る時は、抱いている約束だ、、、。」
医師は黙ってうなずいてくれた。
数時間後、、、
「見事な手際でした!」
普段は無感動なハリソンが心底感服したと言う呈で感嘆の声を上げた。
ロジャーの手術は無事に終わった。
もっと長い時間がかかるのかと思っていたら拍子抜けするほど短時間で手術室から出て来た。蒼白な顔色と目の下に青黒いクマを浮かばせて、嫌いぬいた酸素マスクを装着されたロジャーはまだ麻酔から目覚めずに深い昏睡の中にいたが、落ち着いて見えた。
手術室から出てその日は短い逢瀬で我慢するしかなかったが、とりあえずの危機は脱したとの執刀医師の言葉に大いに安堵したものの、、、。
”今回は出血の元になった腫瘍を切り取っただけ。腫瘍は肺の他の部位にも転移、脊髄にも転移が認められリンパ節にも数箇所、これらを一度に取り除くのは体力的に無理、、、。
私は再び青ざめる、、。
「今後は緩和療法に切り替えたほうがいいでしょう。」
最後の頼りとすがった”神の手”を持つといわれた外科医の言葉に、崖から突き落とされるような絶望感に打ちのめされた。
”ただ、今回投与した免疫チェックポイント阻害薬がどのような影響を与えるかは未知数です。”
崖から突落とした後に手を差伸べて見せるような医師のテクニックに唸り声をあげるしない。
指の間から零れ落ちていた砂を、もう少し緩やかに落ちる砂時計に移し変えた。砂時計の大きさや中の砂の量はロジャーの体次第、、、。
「普通ならば5~6時間はかかるところをわずか2時間程度ですませてしまうんです。人間技とは思えませんでした。」
ハリソンや英国から派遣された医師達は言葉を惜しまずに今回執刀したジャパンの外科医KUROHIRA(通称BlackJack of REIWA)に賞賛を贈った。
「まるで目の前に腫瘍があるようなメス裁きでただただ驚いて見ているだけでした。」
内視鏡手術では他に並ぶ者はいない!とまで謳われた日本人医師は手放しで賞賛されて照れくさそうにしていた。
「君に3億ポンド支払おう。」
私は彼に言った。その場にいた全員が黙り込んだ。
「いえ、、今回の執刀に対しての報酬はこの大学病院からいただくので、僕自身への報酬は無用です。」
彼はあっさりと私の申し出を断った。
「では寄付しよう。」
言葉を続ける。
「それで君は国内国外から広く若い医師を招いて、君の持てる技術を伝えるのだ。一人でも多く、君と同じくらいの技術を持った医師が増えれば、、それだけ苦しんでいる患者が救える確立が増える。それが君の使命だ。そのための受け入れ施設を作ってくれたまえ。足りなければ、いくらでも出そう。」
圧倒された様に日本人医師は言葉を失っていたが、、
「あ、ありがとうございます。できるかぎり努力します。」
「頼んだぞ。」
BlackJack of REIWAが出て行くと私も集中治療室を退室させられた。ハリソンに車椅子を押されながら
「イギリスでは貴方の事が評判になっているそうです。お金に任せてジャパンの製薬会社や大学病院を買収しようとしている、と。」
「私のはした金では製薬会社を買収なんてできるわけないだろう。」
金を出してロジャーの命が助けられるのならば借金をしてでも金を出す。世間には勝手に言わせておけ。ロジャーのことが表にさえ出なければそれでいい。
「ハリソン、君も彼の元に行くのだ。」
「、、、、、、。」
「君やコナー、州立病院の若い研修医達もできるだけ多くの若者が彼の元へ行って彼の技術を習得し、イギリスや世界中の人々を救うのだ。それがひいては医学の発達にも繋がる。いずれは癌の研究にも役立つだろう。その為に使う金ならば惜しくない。どうせ天文学を目指す学生への奨学金基金にしようと思っていた金だ。」
私の言葉にハリソンは、
「はい。」
とだけ答えて、後はただ黙って車椅子を押した。
ロジャーが目覚めたとジェイムズが伝えて来て、私はすぐさま彼の元へ向かった。集中治療室で大きな酸素マスクで顔を覆われたロジャー。
まだぼんやりしている。
「ロジャー!気分はどうだ?」
目を覚ましてくれただけでも胸がいっぱいで、お定まりの言葉しか出ない。
彼は静かな目をしていた。自分の状況が分かっているのだろうか?あまりにも静かなので不安になってくる。もっと怒り狂うだろうと思っていた。勝手に手術して、酸素マスクまで付けられて。
「ロジャー!私が分かるか?」
顔を近づけて耳元で話しかけると、ゆっくりと視線が私を向いた。
「ロジャー!」
もう一度呼びかけると、穏やかに目元を緩ませた。まだ詳しい状況を理解できていないのだろう。彼の悪態が聞けないとさびしいが落ち着いているのならばそれでいい。私は点滴をするためにむき出しになっている彼の腕をなでさすった。
そして語りかける。
「覚えているかい?サポートバンドだったけど初めてのアメリカツアーで私が肝炎になった時、それでツアーを中断して帰国しなければならなくて、、、フレディやジョンは私に気にしない様になぐさめてくれたのに、、君だけは私を悪し様に罵ったね。」
笑いながら話す。
「私はその方がよかった。みんな気を遣って励ましてくれるけど、申し訳なくて、、、情けなくて、、、。でも君だけは
”何やってんだよ!ウィルス性だなんてダサすぎるだろう”って。君に罵倒されて、、気がすんだよ。はははは。」
ロジャーは聞こえているのか?分からないが黙っている。
「だけど、、入院した病院で、、、見舞いのみんなが帰った後に、、一人で君がひっそりやって来た。明かりの消えた暗い病室で、、君が打ち明けてくれた、、。」
”フロントグループのマネージャーが、俺を抱かせろ。って言い出して、、
そうしないとツアーからレジーナを外すって言うんだ、、。それをフレディに相談したら、自分か替わりになる。って、、、。
俺、たまらなくて、、辛くて、!
俺の替わりにフレディがあんなヤツに抱かれているんだと思うとたまらなかった。ツアーが嫌になっていたんだ。もう1ステージもやりたくなかった。
そうしたら君が病気になって、、、信じられなかったぜ。
俺、君が俺のために病気になってくれたんじゃないか?って、、”
ロジャー、君は私の枕元で泣いていた。私は何も知らずに呑気に病気になっていただけなのに。君やフレディに辛い思いをさせてまでツアーをしていたなんて、、。」
彼の手をとって頬に押し当てた。
もう50年も前のことなのに昨日のことの様に思い出す。打ち明けたくなかっただろうに、私に病気になった負い目を感じさせない様にあえて告げてくれた、、。
「ロジャー私は悔しかったが、同時に君の優しさを感じたよ、、。」
強く手を握り締める。
気のせいか先ほどよりも温かみが増した様な気がする。
するとかすかにだが彼の手が私の手を握り返した。
「ロジャー!あの時私は誓った!No1のバンドになる。誰にも指図されないくらいのビッグな存在になってやる!と。」
あの時初めて私にハングリーと言う言葉が浮かんだ。
思い出話はいくらでも尽きない。いつまでだって話し続けられる。
インタビューの間中、私にタバコの煙を吹きかけ続けたロジャー。
車の中でのインタビューでレストランでいきなりおっぱいを出した女の話を始めたロジャー。ひとしきり思い出話を続けて、もっぱら楽しんでいたのは後ろで聞いていたジェイムズだろう。
しばらくすると彼の意識がしっかりして来た。私は自分の心に決めたことを実行に移した。
真紅というよりはやや暗い赤、臙脂色のビロードの小箱を取り出して彼の目の前で蓋を開けた。金のバラを象ったモチーフに大きなサファイア、それを取り巻くダイアモンドの粒、両脇にルビーを配したデザイン。
ロンドンのHouse of Garrardに注文して作らせた。本当はイギリスに帰ってからプロポーズする時に渡すつもりだったが、ジェイムズが来日する時に持って来てくれたのだ。
「ロジャーこれを受け取ってくれ。君のために作ったんだ。」
彼の目の高さに指輪を掲げた。
彼はしばらくの間指輪をぼんやりと注視していたが、ゆっくりと腕を上げて顔を覆う酸素マスクをはずそうとした。
「待て、まだ外してはいけない。」
だけどロジャーは聞かずに慣れた手付きでマスクを顔から外した。頭を振ってゆるく一呼吸する。その胸が大きく動くことを確認して自発呼吸ができているのかと、改めて安堵した。
「大丈夫か?息苦しくないか?」
もう一度聞いてみる。
「ブライアン、、。」
「なんだ?指輪が気に入らないか?デザインが古臭いか?何だったら作り直そう。」
私のセンスはどうしようもない。一応デザイナーにデザインさせたものなのだが。
「そうじゃない、、。夢を見た。」
夢?私もそう言えば夢を見たな。
「夢の中で俺と君は結婚式を上げていて、その時に協会で、、
君が俺に嵌めてくれた指輪が、これソックリだった。」
彼は指輪をケースから取り出すと丁寧に観察した。
「真ん中のサファイアも周りのダイアモンドも2つのルビーも、バラの彫金も何もかも同じだ。」
信じられない。と表情で私を見た。
「嫌じゃないか?」
「いや?」
「この指輪、、受け取ってくれるか?」
「本音を言えば、、、。」
やはり私の考えたデザインはダサいとか言うのだろうか?しかし、何が何でも受け取らせる。
「指輪よりも君の唇がほしい、、、。」
その瞬間にすべてが吹っ飛んでしまった。横たわったロジャーの体に覆い被さる様に体を傾けると彼の唇に貪りついた。いけないと思いつつも腕を回して強く抱きしめる。
「ああ、、、君だ、、。」
「愛している、、何よりも、私の命よりも君を愛している、、!」
「、、、俺も、、だ。」
にやりと笑う。ああ、いつもの彼だ。
ゆっくりと顔を離すとロジャーは私の目の前で手のひらを広げた。
「嵌めてくれ。」
左手の薬指に、おそるおそる指輪を通す、、。
「ゆるいな、、、。」
また痩せたのか?
ゆるいと言っても関節の節はピッタリ通るほどだがもうその指に肉付きはないに等しい。
「ふふ、どんなに美しい指輪でも嵌めてる指がこれじゃあね。まるでミイラに飾られた宝石だ。」
皮肉に笑ってみせる。
「大丈夫だ、似合ってるよ。君にふさわしい指輪だ。」
するとロジャーは後ろにいたジェイムズに頷いて見せた。
ジェイムズはもう片方のポケットから何かを取り出すと、恭しくロジャーに差し出した。金のボックスの中から現れたのは、ネイビーのビロードで作られた丸い小箱だ。
「これは俺から君に、、、。」
上下に開くふたを開けるとそこには、、、プラチナの台座に大きなダイアモンドとそれを取り巻くように小さなダイアが放射線状にちりばめたれたデザインの指輪だった。
「ふふ、二人で同じような事を考えていたんだな。」
ロジャーが私に指輪を、、、。思いがけなくて、胸が熱くなる。
「ありがとう。ロジャー、うれしいよ。
でも、私には豪華すぎるんじゃないかな?」
「いいや、君にこそよく似合う。受け取ってくれ俺の伴侶。」
するとロジャーは知っていたのか?
私が彼に指輪を作らせていたことを。
「いえ、今回たまたま同じタイミングで届きまして。
だんな様にはだんな様の分だけ。DrレイにはDrの分だけ届いています。としかお伝えしておりません。」
さすがは優秀な執事ぶりだ。ジェイムズ!
ロジャーはまだあまり力の入らない指で私に指輪を嵌めてくれた。
「ありがとうロジャー。
君がこうして生きてくれているだけで私には最高のプレゼントなのに。」
疲れたのか、もう言葉はなく笑っている。
勝手に酸素マスクをはずしたのでアラートが鳴り始め、ハリソンがやって来て仏頂面でもう少し小型のマスクと交換した。私達も部屋を追い出される。
翌日にはリハビリが始まり内視鏡手術のせいで私などよりも遥かに速いテンポで回復していく。数日で退院してよいと言う。
私はと言えばあと1週間ほど入院が必要で、さらに帰国するまではもう一週間ほど様子を見る必要がある、と言われてショックだ。
気を取り直して、ではロジャーとゆっくり温泉宿にでも行って静養しようか?など考えていたら、、ある日、なんだか院内がざわついている。
看護士たちが落ち着きなくヒソヒソと小声で会話していたりするのだ。
「有名人が来ているようです。」
私のリハビリに付き合ってくれていたハリソンが院内の情報を掴んで来た。
まさかロジャーのことがバレたのか?今のジャパンでそれほど私達は有名でもないだろう。
しかし、私たちの部屋に帰ったらそのザワつきの原因がお茶を飲んでいた。
「ザック!?」
「おお!ブライアン。」
なるほど。これはザワつく筈だ。
今日はきれいに髭を剃って来ている。なかなかの男前ぶりだ。
「今回は大変でしたね。お体はもういいのですか?くれぐれも大事にしてください。」
部屋には彼が持ってきたのだろう、私のものとは違う見事な赤いバラがまた大量に飾られていた。
「ザック、ここにまで来てくれたのか?」
私は彼に歩み寄ってハグをした。
「あなたが心臓発作を起こした!と聞いて生きた心地がしませんでした。
すぐに飛んで来たかったのですが、どうしてもコンサートを中止できなくて。遅くなってすみませんでした。」
彼は本当に申し訳なさそうに言う。うっすらと涙を浮かべてまでいた。
純真で感受性の強いザックの涙も今は大げさにも感じずに受け取れる。
ロジャーの手術のことは知っているのか?
彼をチラリと見るとウインクをして来たので、今は言わない方が良い様だ。
「どうぞ座ってください。まだ無理をしてはいけません。」
すっかり病人扱いだ、まあ事実だから仕方ないか?
「ボクの母方の祖父も心筋梗塞で、命は助かりましたが半身麻痺の後遺症が残りました。ブライアンは後遺症は無いのですか?大丈夫ですか?」
「そんな事があったのか?私は幸い発見と手当が早くて何の後遺症もなかったよ。幸運だった。」
それは良かった、と心底安心した様に胸を撫で下ろす。
しかし、彼にはしっかり引導を渡さなければ。
「ザック、わざわざジャパンにまで来てもらって申し訳無いが、君に伝えなければならない事がある。」
私はザックの座るソファの隣に腰掛けて彼の手を握った。そして彼の手を取ってロジャーのくれた指輪に触らせた。
「これは、、指輪、、ですか?」
サングラス越しの視力の弱いザックの目が泳いでいる。
「そうだ、ロジャーから贈られた。そして私も彼に指輪を贈った。」
「左手の薬指ですね、、、。」
「そうだザック、私とロジャーは結婚する。」
「、、、おお、、。」
ザックの瞳から大粒の涙が流れた。
「覚悟していました、、。
いえ、、おめでというございます。
今は、今はまだ無理ですが、、いつか、、心から祝福できる日が来ます。」
私はザックの手を優しく撫でた。
「君はかけがえの無い私とロジャーの友人だ、いや家族と言っていい。
君がこれから巡り会うだろう。愛する人と幸せになる事を心から祈っているよ。」
「家族、、、。obitelj」
「そうだよ。ザック、君はもう私達の家族だ。ロジャーと私の息子と言っていい。」
「息子はイヤです。せめて兄弟にしてください。」
「ずいぶん年の離れた兄弟だが、、、。」
ロジャーも吹き出して三人で笑った。
気がつくと室内にはなんと、アップライトピアノが運び込んであった。
いつの間に、、!私がリハビリに行っている間に運び込んだのか?
「この部屋は防音になっているそうだぜ。
レッドスペシャルはさすがに無理だがピアノやアコースティックギターくらいなら大丈夫だそうだ。」
あと一週間の入院が必要と言われた私の退屈しのぎのために、、
とロジャーが言った。
「俺は、今日ホテルに移るぜ。こんなところ酒も飲めないし窮屈だ。」
「退院しても、まだ酒は飲んでは駄目だ。ジェイムズ、しっかり管理してくれ。」
ロジャーはフルートグラスを持っている、それは?と目を光らせると、、、
「ジンジャエールだよ。」
本当だろうか?
「お二人の愛のために演奏させてください。
、、、ロジャー失意のボクのために歌ってくれませんか?」
ザックは持参したチェロを準備しながらロジャーに請うた。
「俺は今、歌どころかまともに声も出ないんだがな。そんなんでいいのか?」
「今のボクの心の傷を癒すには貴方の歌声が必要です。
お願いです。歌ってください。」
本当に今のロジャーはガラガラの声をしている。
発声練習どころか咳き込むことすらあるのに、
「大丈夫か?」
寄り添って背中に腕を回す。
「ダーリンわざと見せ付けるなよ。ザックが可哀想だろう。」
ロジャーはザックに近づくと肩に手を触れて
「何を演る?」
「それはもう、、、」
それだけで二人には通じるのだろう。
ムカムカと腹が立ってくるのをなんとか押さえ込む。私は大人だ、、。
いや、老人だ、穏やかでいなければ。
ロジャーがピアノに座ったので、私は大人しく聴衆に徹した。
弾き始めたのは、やはり”Ave Maria”。ゆっくり、、、ためて、、スローテンポで鍵盤を叩く。
ロジャーの声は本当にかすれて小さい、しかし不思議な伸びと艶がある。何より森の奥から吹いてくる風のようなザックのチェロが美しくロジャーの歌声を支える。
美しい世界に贅沢な客となった私は、、ただ二人のかもし出す耽美な時間に浸った。これは贈り物。ここに一人残される私へのロジャーからの、、
私はこっそり携帯の録音機能をONにしていた。
「さあ、もういいだろう。
おれは散々だぜ、次は君だけの演奏を聞かせてくれ。」
「はいロジャー。ありがとうございます。でも美しかったです。貴方はいつでも素晴らしい。」
お前は耳を医者に見てもらえ。笑いながら次の曲もロジャーがピアノを弾く。
「ビーンズラブを演りましょう。」
「完成したのか?」
聞いたのは私だ。
「はい、ニューヨークからロジャーにスカイプで送りました。
実際に合わせるのは初めてですが。」
ロジャーは笑っている、ザックと二人で酔っ払ってでたらめに演奏して即興で作った曲がどんな仕上りになったのだろう?
「俺のパートをどうする?ピアノでやるか?」
「いいですね!ピアノでやりましょう。好きに弾いてください。」
「OK!」
二人にだけ通じる会話にイラつきを覚えるが、なんとか我慢して鷹揚な態度でお茶を飲む。
「ジェイムズ、このグリーンティは格別だな。」
「はい、UJIのファーストフラッシュの玉露でございます。」
JAPANとは言え一般で飲むグリーンティとこだわった人間の飲む物では数段の差がある。それにジェイムズはグリーンティを煎れさせても名人だ。
ロジャーとザックはなにやら打ち合わせている。
当然ながら弱視で譜面の読めないザックは譜面を書かない。
ロジャーは曲を覚えているのだろうか?
しかし、またイントロダクションはピアノからだった。
和音ではなくアルペジオで始まった。刻むように一音一音を奏でていく。
アルペジオだけでも印象的なフレーズだった。
そこにザックがメロディを重ねていく。
確かに元にあるのは、あの夜でたらめに弾いていた”納豆に捧げるセレナーデ”だったがすでにそこから昇華されて洗練されたメランコリックな美しい旋律になっていた。悔しいことにロジャーのピアノと絶妙の絡み合いを見せている。
(おそらくはザックの腕のせいだろうが)とても初めて合わせるとは思えない出来栄えだ。私は素直に感動して拍手を送った。胸に突き上げてくるザックの熱い思いがひしひしと伝わってくる。
「素晴らしいよザック。
ほめ言葉が陳腐だ、もっと君にふさわしい最高の言葉を捜して贈りたい。」
「ありがとうございます。」
ザックも自身の演奏に陶酔して涙を浮かべていた。
彼はこうして魂を震わせながら美しい演奏を生み出して行くのだ。
もしかしたらやたら惚れっぼいのかも知れない。
ロジャー以外にもこうやって出会う人々や出来事に恋をして感性を高めているのだろう。限られた感覚だからこその鋭敏さも持ち合わせているだと分かる。。
ザックは私とロジャーの為に数曲を演奏してくれた後、この部屋に私一人を残してロジャーを連れて去って行った。
ロジャーは私の為にジェイムズを置いて行こうとしたが、私が止めた。
ジェイムズの監視がなければきっと飲酒するだろう。
ザックでは止められない。返って二人で飲んで盛り上がるだけだ。
私は50年前に肝炎で味わった無力感を懐きながら回復の為に静かに横たわった。
翌日、ロジャーは私の元にやって来なかった。
ジェイムズだけが訪れた。
「だんな様とバウザー様は本日、KYOUTOのFUSHIMIにいらっしゃいました。」
「ジェイムズ!なぜ君が同行しない!?」
私は厳しい声で詰問した。
「Drハリソンも同行されるとかで、
私がDrレイのお世話をするように仰せつかりました。」
「、、、、、。」
「Drレイ、ご心配は無用です。
Drハリソンにもバウザー様にも、だんな様にお酒を飲ませないようにきつくお願いしております。」
あの二人は今のロジャーよりも飲兵衛なのだと、真面目なジェイムズに教えるのも可愛そうで黙っていた。
ロジャーは観光ではなく、KYOUTOのSake breweryに見学に行ったそうだ。
そうだろう、ザックには観光は意味がない。
彼が好むものを作り出す現場に訪なうのは正解だろう。
しかしそこでロジャーが酒を飲まないはずはない。
翌日、FUSHIMIのbreweryで購入したと言う日本酒や味噌や米麹、杯までもを土産に現れたロジャーは上機嫌だった。
「最高だったぜ、ダーリン。君も一緒に行けたらよかったのに。」
白々しく言ってみせる。
私はもうすでに”酒を飲むな”と言っても無駄だと悟っていた。
「楽しかったのならば、よかったな。」
穏やかに笑う私の表情を伺うようなロジャー。
「FUSHI-INARIには行かなかったのか?」
「あんな山の中、、、疲れるだけだぜ。それよりもこれを見てくれ。」
茶色の箱を開けて見せると黒いゴブレットが出てきた。
「UJIのPotterで見つけたんだ。
いいpotteryだろう。君の好きな”BlackRaku”に似てる。」
轆轤を使わずに手捏ねで形作った歪さがいい味わいを出しているが、何よりも黒光りする地肌に玉虫色にも見える釉薬の斑紋が美しい。
「君用にマグカップとソーサーをオーダーして来たぜ。出来上がるのは一ヶ月ほどかかるらしいけど。」
「ありがとう。これは見事だな。」
私はゴブレットを手にとってしげしげと眺めた。手になじむ感覚も重さもちょうどいい感じだ。ザックは少し二日酔いの様子だ。あの酒豪の彼が二日酔いとはどれほど飲んだのか?
「ザック、ゲイシャと遊んだのか?」
「ゲイシャはゲイシャなのですが、、、」
ソファにぐったりと体を持たれかからせてだるそうに答える。
「昔ゲイシャだったと言うオールドレディが”Shamisen”と”Koto(ジャパニーズハープ)”を聞かせてくれました。感激しました。とても素晴らしかったです。ボクも少し弾かせてもらったのですが、フレットの無いのがチェロに似ていますね。」
「ジャパンの伝統音楽に触れたんだね。それはよかった。」
ザックならば、三味線も琴も直に収得するだろう。
「ブライアン貴方も三味線も琴もお上手だそうですね。
また、ボクに教えでください。」
私が琴や三味線を習ったのは遥か昔だ。
「今はきっと君の方が上手だと思うよ。ところで君はいつまでいられるんだい?」
「レコーディングを一つキャンセルしたのでしばらく時間があります。」
「レコーディングを!それは大変なことをしたな。」
「大丈夫です。貴方が心臓発作で手術してロジャーがジャパンに駆けつけた。と聞いては落ち着いてレコーディングなんてできません。
そんな状態で演奏しても良い曲はできません。」
確かに彼ならばそう言うこともあり得るだろう。
「かと言っていつまでもゆっくりはしていられないんだ。」
ロジャーは言葉を続けた。ビーンズラブの録音を完成させたい。
「俺もあまり時間が無い。悪いがダーリン先にイギリスへ帰るぜ。」
突然の言葉に衝撃を受けた。
私が退院したらロジャーと二人で温泉にでも行こう、とのんびり考えていた自分を膝蹴りされた気分だ。
「ロジャー、ボクはもう少しジャパンに居てもかまいません。」
ザックは私の周りの空気の色が変わったのを感じたのだろう。
フォローする言葉を言ってくれる。
「昨日のゲイシャマスターにもう一度会って三味線を習いたいです。」
「いいや。ロジャーの言う通りだ。
レコーディングをキャンセルしたぐらいなんだ。
のんびりしていては君のファンに申し訳無い。」
私はせっかくのザックの厚意の言葉を受けなかった。
「そうだ、早くイギリスに帰ってロジャーと録音を完成させてくれ。
私はもう大丈夫だ。退院したら、私がそのゲイシャマスターに三味線を習っておくよ。そうだな、温泉にでも行ってゆっくりしてからイギリスに帰るよ。」
ザックは少しほっとした様な顔で
「そうですか?ブライアンとこんなにすぐお別れするのはさびしいですが、、。」
「またすぐに会えるさ。私達は家族だろ。」
私は本当にザックがかわいかった。
ロジャーがザックを気に入っているのがよく理解できる。彼の純粋さはこちらの気持ちをも素直にさせてくれる。だけどロジャーの瞳が一瞬鋭くなったのを見逃さなかった。
これはしっぺ返しだ。私が彼を強引に治療したことに対するロジャーの私への報復だろう。私をジャパンに置き去りにすることで私に打撃を与えようとしている。本当はもっと怒って”どうしてなんだ?”とロジャーに食って掛かれば彼の溜飲が下がるのだろうが、何だかもう力が抜けてしまった。
ロジャーは来てくれたのだ。ジャパンまで。私が倒れて後先を考えずに、、命の危険を犯してまで来てくれたのだ。そして本当に死んでいたかも知れない。それが今、生きて元気になってくれた。もうそれだけでいい。
私は座っているロジャーに近づいて体を低くして抱きしめた。
「愛しているよ。ジャパンにまで来てくれてありがとう。心から感謝している。どうか気をつけて帰ってくれ。」
あごを掬って口づける、ザックが見ていたが気にしない。ロジャーは何か言いたげだったがとうとう言葉はでなかっった。
見送りのために部屋を出るとハリソンが廊下で待ち構えている。
「君も一緒に帰るんだろう?」
「いえ、僕はDrレイに付いているように言われています。」
「それはいけない、ロジャーは病人なんだ。内視鏡とは言え手術をした直後だし君が付いていなければ、何かあった時にどう対応するんだ?」
私はロジャーを振り返った。
廊下には数人の女性の看護士達がいてザックを一目見ようと遠巻きにしている。
「俺は大丈夫だ。大事をとってタイで一休みして行くから。」
ロジャーはそう言うとハリソンに無言でうなずいて見せるとザックを促してエレベーターに乗り込んだ。
私はザックともう一度ハグをして別れを惜しんだがロジャーは何も言わない。しかし、さすがに涙がにじんで来る。
「気をつけて、、、。」
愛している、、と言いたかったが人目があって言えなかった。
扉が閉まる。最後までロジャーを見つめた。彼も私を見ていた。
エレベーターにはハリソンも乗り込んで3人で降りて行った。
地下駐車場まで直結らしい。
顔を見て話したいと思えばスカイプで会話はいくらでもできる。
便利な時代だ。
部屋に戻るとロジャーの置いて行った黒のゴブレットに日本酒を入れて一杯だけ飲む。久しぶりのアルコールは芳醇な香りと深い味わいで私の沈んだ気持ちを温めてくれた。ついもう一杯、酒をあおるとベッドにもぐりこんでシーツを被った。
ロジャーが戻って来るんじゃないか?
期待しそうな気持ちに蓋をしてアルコールが眠りを誘ってくれる様に祈った。
経過がよく二日ほどして退院の許可が出たのでOSAKA市内のロジャーがリザーブしていたホテルに移った。私もさすがに病院生活は飽き飽きだ。
ティムを見舞うと私の回復を喜んでくれる。彼の経過も悪くない様で安心した。
ホテルの部屋に入ると真っ赤なバラが飾られている。ロジャーの手配だろう。思い立って、赤いバラの花びらの上に彼からもらった指輪を置いて画像を撮ると
「バラをありがとう。」
とメッセージを送った。
別れてから電話していない。
彼からは何度か着信があったが
”今、ちょっと出られない。”
”君の声を聞いたら泣けるからやめておく”と出なかった。
本当なのだ、今ロジャーの声を聞いたらめそめそと泣いて
「なぜ私を置いて行った。」
と女々しく愚痴を言うだろう。本当は私のそう言う言葉が聞きたいのだろうが、彼の思う壺に嵌るのも業腹だ。
せっかく回復したのに気分が晴れなくてやる気が起きない。なにをするでもなくダラダラとホテルで時間を過ごしてしまう。
心臓発作で倒れる前の自分を振り返っても、あれほどの情熱は勢いも欠片も自分に感じられない。それを診察の時に伝えると医師は
「鬱(うつ)なのかもしれません。」
”鬱”私が?
いや、過去にうつ病になった経験はある。
「よくあることです。元気な人が急に病気をしたりしますと気分が塞いで。特に老人性の鬱は軽度の物は誰でも発症します。」
そう言って軽めの抗うつ剤を処方した。
”うつ”またしても!老人性といわれた事にも軽くショックを受けていた。
いや、自分は老人だと自覚している。確かに今回死を身近に感じて自分の余命を考えた時に陰鬱な気分になったものだ。
そこで私は、今の自分の気持ちを振りきる様にハリソンと英国から同行した二人の医師を連れて京都に繰り出した。昼は清水寺や平安神宮、金閣寺など観光スポットを人力車に乗って巡る。夜は料亭でゲイシャやマイコを呼んでまさに飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをした。私の快気祝いと医師達の慰労を兼ねて、羽目を外して騒いだ。英国から同行した二人は私の意図をよく汲んで、心置きなく楽しんでくれた。
いつも仏頂面のハリソンも、私が酔乱れると軽蔑の眼差しを向けていたのが今夜はロジャーに置き去りにされた私の傷心を察してやけに同情的な表情をしているのが、返って気に食わない。
しかし、マイコとゲイシャにしなだれ掛かられてニヤけた私の画像を撮影するとコナーに送信していた。きっとコナーはロジャーに見せるだろう。
記念に私も自分の携帯で撮影してもらった。
翌日は温泉宿に泊まってジャパン独特の温泉の風情を堪能する。
夜は色気ではなく芸達者なゲイシャマスターのオールドレディに来てもらい、その見事な三味線や琴、舞踊を見せてもらった。
何十年ぶりかで三味線と琴を習い直したがすぐに勘を取り戻して弾きこなすと皆がやんやと囃し立ててくれる。
ザックに録音した私の三味線を送ると即座に
「ファンタスティック!」
とメッセージが来た。
「いつ帰って来られますか?」
「もう少し元気になってから。」
そう返した。
皆と飲んで騒いでいる間は気が紛れたか、やはり頭の片隅は冴えていて心からは楽しめない。心に空虚な穴が空いて、、何を見ても何をやっても自分が現実に生きている実感が沸かない。抗うつ剤を飲んでも効果が感じられなかった。こんな有様でロジャーの元に帰っても訪日前の私の様に彼を苛立たせてしまうだけかも知れない。
イギリスに帰るきっかけを失ったまま無為に時間が過ぎて行く。
また夢を見た。教会が見える誰かの結婚式だ。神父の前で向かい合っている二人はザックとロジャーだった。しかも若いロジャーだ。
「病める時も、健やかなる時も、、、死が二人を分かつまで、、。」
「止めろ!」
私は叫んだ。教会のドアを叩きながら必死になって叫んだ!
「ロジャー!私はここだ!私は死んでも君を離さないぞ!」
ドアを叩き破る!
「ブライアン!」
ロジャーが私を見て呼び返した。
見ると周りにはフレディやパウエルがいた。ボウイもいる。ジョージ・マイケルやジャクソンもいた様だ。みんな死んだ者たちだ。椅子をつかんで振り回しながら、邪魔な者達を蹴散らしロジャーに近づいた。
「ロジャー!こっちへ来るんだ!」
「ブライアン!」
ザックは泣いていた。だが今は彼にかまっていられない。ロジャーの手をつかむと走り出した。
しかし、ロジャーは若いのに私は年寄りのままだ。足がもつれて思う様に走れない。気がつけばロジャーが私の腕を引っ張って走っている。しかし、後ろからフレディ達が追って来ていた。
息が切れてもう走れない。
「ロジャー!先に行け!」
「ダーリン、もう待っているのは飽き飽きだぜ。」
ロジャーは気がつくと今のロジャーだ。
金髪だが、目じりにしわを浮かべる71才のロジャー。
「ルーカス!」
彼は叫んだ。まるで犬を呼ぶように。
すると真っ赤なフェラーリF8トリブートがどこからともなく現れた。
「パパ!」
ドアを開けると転がるように乗り込んだ。
「出せ!ルーカス」
フェラーリはあっという間に追ってくる者達を引き離してすさまじいスピードで走り始めた。私とロジャーは大笑いしながら口づけを交わした。
「人をこき使うものいい加減にしてよね。」
ルーカスが不満顔で文句を言った。
「ルーカス!」
目が覚めると部屋の中に見覚えのある大男がいた。ついさっき夢の中でフェラーリをドライブしていたルーカス。
「おはよう。ブライアン久しぶりだね。」
「どうしてここにいる?」
私はあまりの驚きにこれが夢の続きなのか、現実なのか分からない。
ルーカスはコーヒーを飲んでいた。相変わらずのほほんとした風情だ。
「コーヒー飲む?ブルマンだけどいい?」
見ると部屋の中にはルーカス以外にも数人の人間がいて忙しそうに立ち働いている。
「何をしているんだ?」
「迎えに来たんだよお。いつまでも帰って来ないからパパが怒り出しちゃってさ。もうみんな大変だよ。パパの機嫌が悪いからまた一台車を廃車にしちゃったよ。」
「またどこかへぶつけたのか?」
「いや、僕が修理しようとして配線間違えて、、、。」
「、、、、、、、、、、、。」
「リビングのピアノも壊しちゃうし、、、。とにかく早くブライアンに戻ってもらわないとうちが大変なんだ。使用人もみんな怯えちゃって、、。」
ルーカスは腕時計を見た。
「早く顔洗って着替えて。出かけなくっちゃ。ああ、もう時間がない。」
急いでいるならなぜもっと早く起こさないんだ!文句を言ったが聞かない。
寝間着のままの私に上着を引っ掛けるとホテルの部屋から無理やり連れ出された。
「コーヒーは機内で飲んでね。」
車はフェラーリではなかった、運転もルーカスではなく専用の運転手だ。
リムジンに押し込まれ
「どこへ行くんだ?」
「そりゃエアポートだよ。」
「私の荷物は?」
「ちゃんと積み込んでるよ。」
ティムや医師たち、世話になったK大学病院のスタッフ達にもきちんと挨拶したかったのに、こんなに突然に拉致されるように連れ戻されるなんて。
腹も立ったが、ロジャーがイギリスで不安定になっていると聞いて若干責任も感じた。
ロジャーは”早く帰って来い。”とも、
”さびしい”とも言って来なかった。
私も同じで
”早く帰りたい。”とか、
”君が恋しい”とも言って行かなかった。
意地の張り合いだと分かっていたがお互い引っ込みがつかなかった。
いくつになっても変わらない。ザックがくれた素直さがなぜロジャーには通じないのか?
エアポートに到着すると税関もまともに通過しない。車のまま飛行機に向かわされる。機内に空港職員が乗り込んで来て出国審査をした。
「じゃ気をつけて。」
ルーカスは、せっかくジャパンに来たからもう少し遊んで行くよ。と私を飛行機に残してエアポートに戻って行った。機内には呆然とした呈のハリソンがヨレヨレのトレーニングウエアを着て、いつもよりも伸びた無精ひげで先に待っていた。
「突然、迎えが来て、、、あっと言う間に連れて来られました。」
もっとも先日”そろそろ荷物をまとめて置くように”と連絡があったので荷造りはしておいたらしい。
飛行機はプライベートジェットの様だ。私は個室に案内されてそこでやっと寝間着から着替えた。コーヒーと朝食を採って一心地ついて、ロジャーになんと言って連絡しようか?
”ルーカスが迎えに来た”?
”もうすぐ帰る”?
しかし、ロジャーからは何の打診もない。
素直になれ!素直に!自分に言い聞かせる。
”愛している”
考え抜いてその一言をメッセージで送信した。イギリスまでは12時間強ある。その間に何か考えればいい。
同行した英国人医師二人にメッセージを送り、ティムには電話した。
ティムは笑っていた、またロンドンで会えるさ。と。ロジャーの返信は”Me too”だけ。
しかし、もうすぐ会える!と思うと胸が一杯になる。あんなにグズグズと帰る気持ちが固まらなかったのに、いざ帰国の途に着くと恋しい気持ちがあふれそうだ。
”君に似合うストールを見つけた。友禅の美しい染だ。”
”美しいトンボ球があった。ブレスレットに使えるかな?”
ただただそんなメッセージを送る。
天候も問題なく無事にヒースロー空港に到着した。迎えのリムジンまで来ていて遠慮するハリソンを同乗させて彼をまず送って行く。
ここまで来てもまだ往生際悪く、まっすぐにロジャーの屋敷に戻れない。
ロンドンの私立病院に行って挨拶をしてお互いの経過を報告しあった。
「ランチを一緒に、、」
申し出を断って病院を出ると花屋が目に付いた。店頭を飾る見事な赤いバラ。その店にあるすべての紅バラを買い占めた。
特に見事な”グランド ガラ”を花束にしてもらう。
それらを携えてやっと車をサリーに向けた。
”墓が完成した。今日は棺を選ぶ。”
ロジャーからメッセージが届いている。
”バラを贈るよ”
あえて持って行くと書かなかった。
ジャパンを出発した時は朝だった、時差の関係でロンドンに着いた時は出発した時間の数時間後。本来なら私の時間は夜なのに、まだ昼間と言う時差ボケで頭がすっきりしないがとにかくサリーに向かった。
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