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出会いは秋でした 1
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「Bon jour(おはよう)」
「…ん…」
そっと髪を撫でられて微睡みから浮上した彼は、ぼんやり視界に映るものを眺めながら自分が今いる場所を思い出そうとした。
清潔なシーツ、暖かなベッド、高い天井と大きな窓。
窓の外は一面空だ。
ようやく昨夜から今までが繋がり、彼は半身を起こしながらあくびをした。
「Bon jour(おはよう)」
高い天井に釣り合う広い部屋。
本がびっしりの棚とアンティークの机。
いかにも裕福そうだな、と彼は伸びをした。
「朝食は出来てるよ。食べるかい?」
「ありがとう」
後ろ姿に返事をして、このアパルトマンの主の後ろをついていく。
朝日が眩しいダイニングには2人分の食事がセットされていた。
クロワッサン、ゆで卵、サラダ、そして、家主が大きめのカフェオレボウルにコーヒーとミルクを注いでいる。
「これも作ったの?」
「作ったってほどのものでもないよ。料理は僕の趣味だから」
にっこり笑いながらそう言って、視線でイスをすすめる家主に頷いて彼は腰掛けた。
「どうぞ」
「ありがとう」
カフェオレボウルを受け取り、その香りを吸い込む。
「そういえば君の名前を聞いてなかったね」
家主もカフェオレを一口飲み、彼にそう聞いた。
「アル」
「アル? アル…何?」
「ただのアルだよ」
「アルベールとか、アルフォンスとか、アルフレッドとか」
アルと名乗った少年は首を振って再び
「ただのアルだよ」
と笑った。
「あなたの名前も聞いていい?」
「僕? ミカだよ」
「北欧の人?」
クロワッサンをかじりながらそう聞くアルにミカは頷いた。
「母がね」
「ふ~ん」
アルはそれ以上深入りしなかった。
興味が無いというよりも、あと数時間で二度と会わない人間になるミカのことを知っても仕方ないという理由だった。
「今日は休みだから、このあと買い物に行こう」
「は? 買い物?」
フォークをサラダに突っ込んだまま、アルは驚いて聞き返した。
朝食を食べ終わったらシャワーを借りて、そのままここを出るつもりだった。
それがいつもだから、それ以外を予想していなかった。
「君の靴や服や日用品」
「なんで」
心底驚いたという顔で今だにフォークを動かせずにいるアルに、ミカは当然と言わんばかりに答えた。
「だって、着替えが無かったら困るでしょ」
「…えっと、それは、つまり、施し? これから冬が来るから、今から用意して持たせて送り出してやるよ、みたいな?」
「送り出す? どこに? なんで?」
アルは昨日の記憶を掘り起こした。
昨日言った。確か言ったはず。
自分は探してるから、一晩だけ厄介になったら出ていく。
それは言ってあったはずだ。
いや、毎日のように言っていたから、言った気になってるだけか?
昨日は言い忘れた? …思い出せない。
とりあえず確認しよう。
「ミカ、あの、言い忘れてたなら悪いんだけど、俺、探してる場所があるんだ」
「知ってるよ。そんなこと言ってたよね、昨日」
「じゃ、なんで」
「えーと、確か、‘帰る場所’だっけ?」
ミカはアルに答えずに続けた。
そう、アルは探している。‘帰る場所’を。
これは良くある帰属集団や家族や誰かを指しているのではない。
本当に場所、物理的な場所なのだ。
「あてはあるの?」
昨日の内に無いと答えていたから分かっているのに、ミカは念押しするように尋ねた。
「足の向く方…」
掴み所の無い話だ。
しかし、アルはそれが存在すると確信している。
あやふやな記憶、ぼやけたイメージ、それでもそこは存在するという確固たる感触。
「探すヒントは無いのかな? 例えば家なら一戸建て(メゾン)か集合住宅(アパルトマン)か。色とか形とか。近くにあったものは? 学校? 森? 川? 海? 暖かい地方なのか、それとも寒いところなのか。都会か田舎か」
アルは全てにふるふると首を振った。
「わからないよ。でも、あるんだ。絶対」
まるでおとぎ話だ。
妖精の国のように、特定の人間だけが入れる異世界が、入れない人間からすれば存在しないのと同じように、アルが存在すると主張する‘帰る場所’はミカにとっては雲を掴むような話だった。
「だから行くよ。泊めてくれてありがと。ごちそうさま」
アルはイスから立ち上がると玄関へ向かって歩きだした。
「ちょっと待って」
ミカは手首をつかんでアルを止めた。
ただ引き止めてもアルは行くだろう。
何か方法はないか。
とにかく少しでも時間を稼いで、考えて…。
「えっと、アル、カフェオレのおかわりはいらないかい?」
「いらない」
「あ、いや、飲んでくれないかな? 余っても困るし、僕ひとりじゃ飲みきれないし」
「冷蔵庫に入れときゃいいじゃん」
「一緒に、…一緒に飲みたいんだ、君と」
ため息をひとつついて、アルは再度イスに座った。
「じゃ、一杯だけもらうよ」
ミカはホッとして頷くとカフェオレボウルになみなみと注いだ。
わざと少しずつ飲みながらミカはアルに聞く。
そしてアルが話すことを聞いていく内にやはり引き止めようと決心した。
アルはどう見ても未成年だ。
ひとりでフラフラと旅をさせるのは危険だ。
しかも、ほとんど金も持っていないらしい。
今までどうしてきたのか聞くと、毎日誰かしらに泊めてもらっていた、コツがあるんだよ、と笑って答えるが、そのコツとやらはひどいものだった。
つまり、身売りだ。
そう、だから昨夜ミカは誘われた。手を出さない彼にアルは驚いていたが…。
よく今まで人身売買に引っかからなかったものだと運の良さに驚いたが、それがこの先も続くとは限らない。
ましてや、あてのない旅。いつまで続くかわからない。
ならば―
「ここを拠点に探せばいいんじゃないかな?」
「?」
「僕が車を出すよ。それなら今までより遠くまで早く行けて広範囲を探せる。どうだい?」
「ダメだよ。足で行かなきゃ。匂いっていうか、空気の感触っていうのかな…、肌で風を感じなきゃ探せないんだ」
「それなら所々で車から降りてみればいい。そして方向を決めて車を走らせれば早く着くよ」
「どうして?」
何を聞かれたのか分からず、ミカが目を瞬いているとアルはもう一度聞いた。
「どうしてそこまでしてくれるわけ? ミカには何の得も無いでしょ? 俺、金無いし、何もあげられないよ?」
どうして?
ミカは自問した。
なぜアルにここまでの協力を申し出るのだろう?
なぜアルを助けたいと思うのだろう?
未成年のアルを、このまま放置できないという常識的な理由?
危なっかしいから見ていられない?
しかし他人だ。昨日、初めて会ったばかりで、何も知らない他人だ。
なのに、なぜ?
ミカはまじまじとアルを見つめた。
直毛に近い栗色の髪、アンバーの瞳。
起きている時は少年らしい快活な表情を見せるのに、寝顔はあどけなさを通り越して天使のようで、触れたら消えてしまうかと思うほど。
心配で放ってはおけなかったというのは確かにある。
しかし、それは表向きの理由だ。
つまりは一目惚れなのだろう。
しかし、ミカはまだ、そこまで自覚していなかった。
だから、自分でも自分の行動が理解できていなかった。
だから、ありきたりな答えをした。
「大人の役目だよ。君は未成年だよね? 保護するのは当然だ」
アルは鼻で笑うと、「答えになってない」と言ってカフェオレを飲み干しイスから立った。
「施設に入れられるのは避けたいんだ。だから見逃してくれるとありがたい。もう迷惑はかけないからさ」
ミカをまっすぐ見つめ、礼を言うとアルはダイニングを出ようとドアを開けた。
何か探さなきゃ、アルを引き止める口実を。
ミカはアルを追いながら頭をフル回転させた。
「アル、アル、待って!」
困ったような笑顔でアルは振り向き、足を止めた。
「やっぱ、する? 何もお礼してないし」
「?」
「昨日してないから、いいよ? 今から抱いても。シャワー借りれる?」
アルが何を言ってるのか分からなかったミカは、ようやく意味を理解してアルを壁に押し付けた。
「そんなに自分を安売りするな…!」
「だって今まで泊めてくれた人は皆そうしてきたよ?」
ミカは激しく首を振って、「ダメだ」と呻くように声を絞り出した。
「痛いよ、ミカ」
いつの間にか力を入れて握っていたのだろう。
ミカの指はアルの腕に食い込んでいた。
ハッとして力を抜くミカの手をすり抜けて、アルは再び言った。
「ありがと。行くよ」
長い廊下を進むアルの後を小走りに追うミカ。
どうにかして止めなきゃ。
何とかして。
理由、口実、何でもいいから。
「アル」
ミカは彼を後ろから抱きしめると苦い表情で続けた。
「君を抱きたい」
それは苦しげな声で告げられた。
しかし、アルはなんでもないことのように、「わかった」と頷いた。
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