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⑤
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「ここで大丈夫です」
その後でタクシーは僅かに進み、停止した。
車中ずっと一ノ瀬くんから距離を取り、俯きながら、俺は緊張感で黙り込んでいた。
隣に座る一ノ瀬くんも何も喋らず、ずっと窓の外を眺めていたし。
そして、外は既に暗い。建物の明かりがやけに強く感じる。星も見えない。
帰宅中の社会人が多く見受けられた。
そんな感じで着いた先、恐らく一ノ瀬くんの家の前に止まったタクシーを降り、二人で外に出た。
その彼の家というのは、多分目の前のマンションだろう。大きい。
「ついて来てください」
一ノ瀬くんに言われるまま、案の定そのマンションの中へと歩みを進めた。
▽ ▽ ▽
後はエレベーターで20階まで上り、一ノ瀬くんの住む部屋まで行く。その間、一ノ瀬くんは無言だったから、俺も何も言わなかった。
それが怖くて、やっぱり断れば良かったと、心の隅で軽く後悔した。
「ここです」
20階にある部屋の一室で、一ノ瀬くんは足を止めた。そしてカバンから合鍵を取り出し、部屋の扉を開ける。
「入ってください」
「はい…」
頷くものの、実際は躊躇った。変に動悸がして、胸元のスーツを握る。玄関で一ノ瀬くんが俺の方を見ているのが分かった。
しかし、これ以上ここで時間が過ぎるのも申し訳なくて、俺は足を進め始めた。
──その時。
「なっ…」
カバンを持っていた方の手首を一ノ瀬くんに強引に引かれ、玄関に連れ込まれると同時に扉が閉められる。
「……なん、ですか」
一ノ瀬くんは何も言わず、俺の目を見ていた。前触れも無く訪れる異様な静寂。
そして突如、
「………っ!」
ドンッと大きい音を出し、背後の扉に両の手を付いた一ノ瀬くんは、俺の逃げ場を無くした。
俺よりも高い背。
切れ長の目。
無感情な表情。
怖いくらいの強引さ。
なんで、こんな……?
もう頭の中には不安なんて生温いものは無く、恐怖の2文字が身体を蝕んだ。
まただ。また、あの記憶。
「はぁッ…はっ……ぅ」
俺はどうにか酸素を取り入れようと必死で、藻掻く。自身の腕に、爪を立てた。
「…佐伯さん」
「嫌っ、です……!」
一ノ瀬くんの大きな手が、俺の方に伸びてくる。
俺はきつく目を瞑り、顔を斜め下に下げた。
瞬間、頬に触れる一ノ瀬くんの冷たい手。
やっぱり、悪い人だ。
吐き気がしてくる。
「ふーッ…は、ぁッ……」
嫌だ。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い、怖い……
……逃げたい。
「佐伯さん」
「………っ」
気が付くと、そこには一ノ瀬くんの顔があって。
だけど、一ノ瀬くんは俺に触れなかった。
「はッ、ぁ……」
心臓が可怪しくなったのかと思うくらい、忙しなく脈打っている。
「何なんですか……?」
安心したのか怖いのかよく分からなくなって、俺はその場にしゃがみ込んだ。
一ノ瀬くんも、俺の目の前に屈む。
「すみません、佐伯さん」
「………」
俺は何も答えない。
一ノ瀬くんは一体どういうつもりで俺を連れ込んだのか。訳が分からなかった。
「…佐伯さん、男性恐怖症なんですか」
やっぱり、見透かされた。わざわざそれを確かめる為に連れて来たとでも言うのだろうか。
俺は誤魔化すつもりもないので、素直に頷いた。
「やっぱり、そうだったんですね」
すると、僅かにだが、一ノ瀬くんが笑う声が聞こえた。尤も、俺は顔を伏せているからそれを確かめる術は無いのだが。
「佐伯さん、顔上げてください」
なんて、一ノ瀬くんに言われる。
「何するんですか…」
さっきの恐怖の反動からか、一ノ瀬くんが近くにいても、いつもみたいに緊張しなかった。だけど、まだ警戒は解けない。
「大丈夫です。触りません」
「本当ですか…?」
「本当です。何なら俺、もっと離れます」
俺は頷いた。
一ノ瀬くんが立ち上がり、布が擦れる音。俺から距離を取る、革靴の音。
そして、さっきまでよりも離れたところから、一ノ瀬くんの声がした。
「はい、離れました。顔上げてください」
「………」
そっと顔を上げた先には、笑っていない一ノ瀬くんの姿があった。一ノ瀬くんが笑ったように聞こえたのは、俺の空耳だったのだろうか。
「…佐伯さん、泣いてますか」
「泣いてない、です」
本当は泣いたかもしれない。しかし、訳が分からなくなったら、もうそんなことはどうでも良くなる。
「佐伯さん、聞いてください」
何々してください、何々してくださいって、新人のくせに威張り過ぎだ。
「佐伯さんは覚えているか分かりませんが、俺、佐伯さんと面識があるんです」
急に、何を言い出すのだろう、一ノ瀬くんは。
彼の視線が、俺に突き刺さる。
「そして、その時から俺、佐伯さんのことが気になっていました」
恋愛面で、と付け足す一ノ瀬くんに、俺は反応に困る。まさか、こんなことを言うために俺を連れて来たのだろうか。
すると一ノ瀬くんは、悪戯っぽい表情で笑った。
「言っても、気になってるってだけです。だけど、もし俺が佐伯さんのこと好きになったら、その時は俺と付き合ってください」
「なんで…」
どこまで直球なんだ。こんな、男の俺に、有り得ない。
俺は、何を言えばいいのか分からなくなった。
「俺、佐伯さんが男性恐怖症なら、俺だけを佐伯さんの"好き"にしてみせます。佐伯さんに、男の俺を好きだって言わせます」
そう、一ノ瀬くんは堂々と言い張った。
「佐伯さん」
一ノ瀬くんが近付いて来るから、俺は咄嗟に立ち上がる。
これ以上一ノ瀬くんに関わったら、もう気が変になりそうだった。
「勝手にしてください…!」
だが、こんなに真っ直ぐ言われたら、さすがにこっ恥ずかしい。それが一ノ瀬くんに見られないように、顔を伏せながら俺は部屋を出た。
「意味が、分からないっ……」
顔の火照りは、秋の夜風が攫って行った。
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