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あれから一ノ瀬くんの家に入れてもらった俺は、リビングに座っていた。触らないでの意思表示で、体育座りをしている。
一方で一ノ瀬くんは、台所でコーヒーを入れていた。リビングとキッチンが扉一枚で仕切られている為、彼の様子は正面に窺える。
「…佐伯さん、砂糖はどうしますか」
ふいに聞かれて、僅かにビクリとする。抑揚の少ない一ノ瀬くんの喋り方は、余計に怖い。
俺は、警戒したように言った。
「少し、入れてください…」
「分かりました」
一ノ瀬くんがコーヒーを入れている間、俺は辺りを見渡す。
「………」
テーブルより少し離れたところに置いてある、部屋の広さに合わせた大きさのテレビ。
後ろの壁際には大きな本棚。小説や資料、ファイルなどが、規律良く入っている。
ガラステーブルは低く、ソファなどは無いが、ふわふわのマットが敷いてあった。
他には、窓とかドアしか無いが、部屋の隅に大きな観葉植物が置いてある。
一ノ瀬くんの部屋は、全体的に白を基調とした綺麗な部屋だった。
「…砂糖少しってよく分からなかったので、俺が適当に少しの量決めて入れてきました」
「えっ……」
突然近くから声が聞こえて、驚く。
いつの間にか一ノ瀬くんはキッチンから戻って来ていて、コーヒーカップを2つ、俺の目の前と彼の近くに置いた。
「佐伯さんの言う少しは、決まった量でしたか?」
「いえ。ありがとうございます……」
決まった量なら、そう言っている。そもそも、普段からあまりコーヒーは飲まない。
一ノ瀬くんは、俺の正面に座った。いちばん俺から距離が遠いから、気を遣ってくれているのだろう。
「………」
「…………」
何となく、一ノ瀬くんがコーヒーを飲む様子を眺めた。男性のそんな様子を見るのは初めてに等しく、何だか物珍しい。
そう言えば、一ノ瀬くんの私服姿も初めて見た。
今時の20代前半にしては、落ち着いた服装な気がする。同年代の友達と遊ぶときもこんな感じなのだろうか。リングやピアスなど、小物すら身に着けていない。
「…どうしましたか」
カップを置いた一ノ瀬くんに見詰められる。
見詰めるだけで、さっきのことも、体育座りをしていることも、何も聞かれない。何もされない。
目は逸らすが、俺から聞きたいことは聞いてみることにした。
「一ノ瀬くん、俺のことが気になってるって、本当なんですか」
「本当ですよ」
一ノ瀬くんは即答。
「気になってるは気になってるんですけど、今は70パーセントくらい好きの方に傾いてます」
彼は本当に正直な人だ。
何を考えているのかは分からないが、それでも俺のことを好きになった瞬間があったということだ。無表情でそんなことを考えているのかと思うと、何だか気恥ずかしい。
「じゃあ、そう思うなら、何で俺が男性恐怖症なのか、気にならないんですか」
この質問には、即答では無かった。
一ノ瀬くんは、少し考える。
「……そうですね。考えたこと無かったです。別に知らなくてもいいかな、と思いまして」
すると一ノ瀬くんは、俺の目を見て首を傾げた。
「佐伯さんは、そのきっかけを俺に話したいですか」
「え?」
確かに、そう言われればそうか。
聞きたければ聞くか、一ノ瀬くん。
いや、俺が嫌がると思って、一ノ瀬くんは聞かないのかな。どうなんだろう。
「一ノ瀬くんは、聞きたいと思わないんですか」
「佐伯さんが嫌じゃなければ」
そう言われたら、嫌だ。
今では少しマシになったけど、何年か前までは思い出すだけで過呼吸になるわ吐き気がするわで大変だった。
それはあくまで何年か前の話だけど、今だって俺の口から言うのは嫌だった。
俺だって、正直に言っていいんだよね……?
「…それなら、言いません……」
「そうですか」
一ノ瀬くんは淡白な返事をする。
しかしその後で、
「嫌だって、分かりました」
そう言ってまた笑う。
初出勤の時は冷たい人という感じがしたけど、一ノ瀬くんは意外と笑うようだ。
「佐伯さんが無理しなくて良かったです」
恐らく彼の言う無理とは、俺が男性恐怖症のきっかけを嫌々話すことだ。
一ノ瀬くんは、俺が最初に思っていた印象よりも、大分優しい……のかも?
「……さて」
すると、急に立ち上がった一ノ瀬くん。
反射的に身体に力が入ってしまう。
「佐伯さん、帰りましょう。男の部屋にいたって居心地悪いだけですから」
一ノ瀬くんが俺の横を通り過ぎ、俺も立ち上がる。結局、彼が作ってくれた少しの砂糖入りコーヒーは、飲まなかった。
一ノ瀬くんの後ろをついて行くと、玄関まで来て、家のドアを開けてくれる。俺だけが外に出るが、彼はドアノブを握ったまま玄関から出ない。
「タクシーで帰りますよね。お金足りますか」
「…多分、足ります」
さすがに、年下の子に金銭面で賄ってもらう訳にはいかない。それに、お金に困るような生活はしていないし。
「じゃあ、今日はすみませんでした。疲れてるのに、無理に誘ってしまって。ありがとうございました」
「……俺の方こそ、色々とすみませんでした」
俺は一歩下がり、軽く頭を下げる。
「…さようなら」
「はい、さようなら」
踵を返し、歩き出すと、後ろで扉を閉める音がした。
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