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心配①
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ピピピピッ──
「んん……」
目覚まし時計の音で目を覚ます。
今日の起床場所はベッドではなく、リビングのテーブルだ。
どうやら寝落ちしていたらしいが、念の為目覚まし時計を掛けていて正解だった。そうしていなかったら、今度こそ寝過ごしてだろう。
部長に初めて怒られる理由が寝坊というのは、なんか嫌だ。
「…うるさ……」
俺はテーブルに突っ伏したまま、手探りで目覚まし時計を止める。音は止まったが、そこに手を掛けたまま、しばらく俺は停止した。
今日の睡眠時間は3時間。
社会人ともなると、睡眠時間がそのくらいの時など定期的にある人もいるだろうが、常に規則正しい生活をしていた俺にとっては相当短い時間だ。
そして、そろそろ起きようと頭を上げる。が、しかし、
「ぅ……」
どういう訳か、まるで二日酔いのように頭痛が走った。
まだ大丈夫だと大した休憩も取らなかったが、自分が思っているより、身体は疲れているのかもしれない。
さすがに、週末には病院に行ってみるか。
どうせ頭痛も良くなるだろうと、俺は重い腰を上げた。でも、仕事に支障が出るのも困るし、一応頭痛薬でも飲んで行こうと思う。
▽ ▽ ▽
タクシーを降りると、丁度生駒さんに会った。今日はまだ抜けているところは無い。
「おはようございます!」
「おはようございます」
生駒さんはいつもの調子で、軽い足取りで歩く。内側に巻かれたミディアムヘアが風に揺れた。実に女の子らしい。
「そう言えば、佐伯さんのチームって企画任されたんですよね!すごいです!」
生駒さんは思い付いたように言う。
「そうですか?ありがとうございます」
「そうです!」
とても明るい笑顔だ。
なぜだかいつも、生駒さんは朝から元気がいい。
まるで、1日の疲れをリセットするボタンが備え付いてあるみたいだ。と言うか、本当に付いているのでは無いのだろうか、なんて思ってしまう。
すると生駒さんは、ひょこっと顔を覗き込んで来た。
「なんですか」
「…もしかして佐伯さん、寝不足ですか?顔が疲れてますよ」
いや、元気ハツラツな生駒さんからすればそう見えるかもしれないが、鏡で見て来た限りでは表情も昨日とそれ程変わらないと思う。
「そんなことないですよ」
俺は誤魔化すように作り笑いを見せた。
「ほら、前見て歩かないと転びますよ」
「え、うわぁ!」
だから言わんこっちゃない。
生駒さんは平面にも関わらずつまずいた。
▽ ▽ ▽
現在の時刻は8時を回り、社員は皆出勤を完了していた。勿論、俺と同じチームの人も全員いる。
俺はとりあえずその場に立った。
早急に会議を終わらせたくて、俺は集合を掛けることにした。
「すみません。俺と同じチームの人は聞いてください」
一斉に集まる視線。だが、チームが違う人はすぐに自身の作業へ戻る。
「商品企画について俺から簡単に説明をしたいと思いますので、隣の会議室に集まってください」
その時、LINEの通知音と共にバイブでスマホが揺れる。びっくりして急いでLINEを開くと、一ノ瀬くんからだった。
仕事中のスマホの使用は禁止されていないが、うるさいと迷惑だと思って慌てた。
『佐伯さん、体調悪いですか。』
「え……」
そんなに心配される程だろうか。
でも今は頭も痛くないし、体調は普通だ。
『大丈夫です。いつも通りです。』
すぐにそう返すと、スマホをデスクの上に置き、ファイルと7人分の資料を持って部室を出た。
「……はい。集まっていただいてありがとうございます。今からプリントを渡すので、一通り目を通しておいてください」
予め設置してある椅子に全員が座ったところで、俺は自作のプリント数枚を皆に渡した。その中には早坂さんもいる。
俺はその後、説明する内容をおおまかに反復しながらファイルをテーブルに広げた。
「えー、では、私の方から今回の企画の趣旨を説明させていただきます」
一度皆の方を見渡すと、他の人たちは資料に目を通しているのに、一ノ瀬くんだけが頬杖をついて俺を見ていた。
「……っい、1枚目の資料を見てください」
俺はファイルに目を落とし、1つ咳払いをした。特に意味は無いが、何となく気を持ち直す為だ。
「今回の企画の内容を簡単に言いますと──」
2日も何も無かったのに、急に意識させるようなことしないで欲しかった。
▽ ▽ ▽
「──では、これで企画の説明を終わります。各自3週間以内に企画書を書き、私に提出してください」
俺が解散を告げると、皆各々に散って行った。
会議は2時間くらいで終わったが、何とか滞り無く進めることができた。俺は安心しつつ、筆記用具やらをケースに仕舞い、資料はファイルに戻す。
「お疲れ様です」
全員が会議室から去った後、一ノ瀬くんが声を掛けてきた。
会議中は、最初に目が合ったきり一ノ瀬くんは普通に話を聞いていたから良かった。
「はい、ありがとうございます」
すると一ノ瀬くんは、自発的にホワイトボードの文字を消してくれる。
「…あ、すみません」
後ろにいる一ノ瀬くんを振り返ろうと、身体を180度移動させた。その時だった。
「…ぅッ……?」
──ガタンッ
「佐伯さん?」
あれ、どうしたんだろう。一瞬、視界が真っ白になってバランスを崩した。
長テーブルに右手を付いて倒れるのを防ぐ。もっと早くに病院行くべきだったかな。
だけどこれ以上、一ノ瀬くんに悟られては駄目だ。気付かれたら、一ノ瀬くんに言われることは分かっている。
「佐伯さん、大丈夫ですか」
「…はい、すみません」
何でも無い風を装い、荷物を持ってすぐさま立ち上がる。早く、一ノ瀬くんから離れないと。
「俺もう…」
一ノ瀬くんと目も合わせず会議中を出ようとしたが、やっぱり引き止められた。
「待ってください」
俺には触れず、声だけで呼び止められる。口調がいつもより少し強くて、立ち止まざるを得なかった。
後ろは、向けない。
「佐伯さん、今日は早退しましょう。やっぱり顔色悪いですよ」
予想していた言葉。
俺は俯いて、ファイルとケースを胸の前に抱く。
「……それは、駄目です。大丈夫ですから、俺に構わないでください」
部屋を出る為、ドアノブを握る。
しかし、一ノ瀬くんがそれを許してくれなかった。
「佐伯さん!」
次こそ大きな声を上げられた。初めて聞く、一ノ瀬くんの荒っぽい声。最初に聞いた一ノ瀬くんの声よりも、ずっと怖い。
なんで怒るの?
こんなの一ノ瀬くんじゃない。
一ノ瀬くんは優しいから、俺は安心できた。
それなのに、そんな大きな声出されたら怖いよ。
そう思って、つい何も隠さない本音が、口をついて出てしまう。
「どうして、そんな…怒るんですか……、一ノ瀬くん、怖い……っです……!」
声が震えた。
情けない。一ノ瀬くんが悪い人じゃないことくらい分かってたはずなのに、口調が強いだけで身体が震える。
一ノ瀬くんが心配して言ってくれているということは理解している。それなのに心無い言葉をぶつけて、俺の事嫌いになるよね。
ごめんなさい。
一ノ瀬くんは前に進もうとしてるのに、俺だけ足踏みしたままだ。これじゃ、一ノ瀬くんの気持ちに応えられそうにない。
一ノ瀬くんは動き始めているのに、俺だけ何もしていない。一ノ瀬くんにもらった分を、菜にも返せていない。
「どうしよ……」
一ノ瀬くんの言葉を踏み躙ってるみたいだ。
「…ふッ……ぅ…」
自分でも訳が分からなくなって、泣きそうになる。
だけど俺が泣いてしまったら、一ノ瀬くんをまた心配にさせてしまうから、口に手を添えてそれを抑えた。
泣いちゃ駄目。一ノ瀬くんに甘えちゃ駄目。
一ノ瀬くんに縋ってしまったら、増々自分が分からなくなってしまう。そんなのは、駄目だ。
すると一ノ瀬くんは自分を落ち着けるように、1つ息を吐いた。
「…すみません、佐伯さん。怖かった……ですよね。謝ります」
そう言って深く頭を下げる。
一ノ瀬くんが謝る理由なんて無いのに。本来ならば、俺が何度も謝るべきで、一ノ瀬くんが悪い事なんて何も無い。俺が我儘なだけなんだ。
だけど、俺からは何も言えなかった。
「ですが佐伯さん、俺は佐伯さんに無理をさせたくないと言ったので、佐伯さんが辛いなら家に帰します」
「それとこれとは、違いっ、ます……から」
俺はファイルを強く抱き締めた。
一ノ瀬くんの声色は、いつもの優しい調子に戻っている。俺が怖がらない口調とトーン。
男でも大丈夫だと思える、一ノ瀬くんの声だった。
「違いませんよ。佐伯さん、今休みを取らないと、後で悪化して困るの佐伯さんですから、だから言っているんです」
「………」
「佐伯さんが無理してるのは、俺が見たくありません。それに、佐伯さんが体調崩したのは俺にも原因がありますから、お願いします」
俺はやっと、一ノ瀬くんに対する恐怖の感情が消えて、後ろを振り向く。
一ノ瀬くんは、口調では分からなかったけど、本当に困った顔をしていた。俺を心配してくれているのが、心から伝わってくる。
「……じゃあ、一ノ瀬くん。俺が家に帰ったら、一ノ瀬くん、もう怒りませんか」
「え……?」
一ノ瀬くんは瞬時驚いた顔をした。それから、フフッとおもしろ可笑しく笑う。
「はい」
俺は、一ノ瀬くんの笑った顔が好きだった。
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