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壱
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三号館一階北側。
滅多に使用することもない化学室と、生徒が近寄りたがらない化学準備室。
定年間近の生徒へ指導する精力を無くした白衣を脱がない教師は、使いなれないPCで代わり映えの無い初孫の写真を眺めながらニコニコと添削をする。
その隣りにひょろひょろで頭がもっさりとしている若作りの教師は、いつも落ち着かない動きでPCに向かい趣味と公言しているミニテストを作成している。
そして二人の向かい側の席、背高ノッポの無精髭は重そうに瞬きをしながら隠す素振りすら見せずにあくびをした。
歯に何か挟まっているかのように口元を動かし何かを飲み込んだ彼は、鼻をすすって息をはいた。
「巻き終わったか?」
「まだ。」
ダークバッグの中のリールでタンクを叩いた。
実はさっき一度巻き終わりかかっていたが収まりきらず、巻き直しに時間が掛かってる…なんてことは言わないでおいた。
「なんでわざわざココですんのよ。暗室行けよ暗室。」
頬杖をついた先生が、もう片方の手で肩口から後ろを指差し下唇を突き出す。
僕は見ないでも分かるソレに一応首だけ動かして後ろを向いたフリをした。
ホラッ、要らん事言ってきたからまたズレた…。
吊りそうになる左手首を少し回す。腕に食い込むダークバッグのゴムが痒い。
はめたばかりフィルムをゆっくり外し、もう一度巻き直していく。
バレているのかその目は何か言いたげで、しかし声には出さず体ごと後ろを向いて顎で暗室の扉を示した。
思わず出た舌打ちと共にリール巻きが終わり、ダークバッグの中を空いた右手がタンクを手繰り寄せ静かに入れて蓋を締めた。
「暗室臭いもん。換気扇も五月蝿いし。いつになったら直してくれるんですか?」
抜いた手は蒸れて湿っぽく、椅子にかけてあった既に皺の寄った白衣で手を拭いた。それに対して先生は何も言わなかったが、向かいの先生方はチャイムと共に席をたち白衣を袋に詰め込んだ。
お先に失礼しますと言う二人に、先生は頬杖を止めてお疲れさまでしたと頭を下げた。その横で僕も小さく頭を下げた。
閉まるドアに視線を向けたまま、僕はダークバッグからタンク等を机上に出して並べる。
次は現像だ。
椅子から立ち上がり真上に腕を伸ばす僕の横で、先生は引き出しから出した電子タバコを加えた。
「デジカメにしたら?」
校内禁煙について意見を聞きたいところだが、隠れて吸うその姿にたった五分の辛抱だなと見なかったことにする。
「部費で?」
耳に小指を突っ込んだ先生は、顔をしかめた。
「買い換える金、無いし。」
貼り付けられた現像液の配合を確認してから、その戸棚を開けた。化学準備室らしい独特の臭いがまた増した気がする。
「初期投資だけだろ。時間かかんねぇし無臭だし諸々楽だろう。」
「それって先生でしょ?」
「ハ?」
「楽なのは先生。手ェ抜けるしね。」
部屋の隅の長机に用意した薬液とバケツとカビ臭い雑巾も用意した。
「……可愛くない生徒だな。」
「女子生徒だったらそれ、セクハラ発言ですよ。」
居なくなった先生の机の横に並んだミニテスト用キッチンタイマーを取り、小気味良い電子音を聞きながらセットする。一回目のタイマーがなる頃には、先生の電子タバコも終わっているだろう。
汚い物でもあるかのようにダークバッグを手に、加えタバコで近付いてきた先生は、何もかかっていないハンガーラックに無造作にそれをかけた。
「生憎、俺の写真部に女子生徒入ったことないもんでね。」
長机の側に立ち息をつく先生は、タンクの注ぎ口を開けた僕を物言いたげな顔で眉を動かして見せた。
「男子校ですからね。あぁそれと。作業中は話しかけないで下さい。」
「本当可愛く無いな、加野君は。」
「生憎猫被る大人が今居ないもんで。」
「加野君が同じ先生か、俺が加野君と同級なら良かったのにね。」
「バカ言ってないで仕事して下さい。ソコ、目障りなんです。」
「ハイハイ。」
タンクの中に注ぐ薬液が僅かに溢れたが、すぐ蓋をして二度程机を叩き撹拌作業に入った。
押されたタイマーはカウントダウンを始め、タンクの中のリールがタンクを鳴らす音と後ろでキーボードを弾く音が音楽を奏でる。耳に気持ち良いなと思った矢先、けたたましくなるタイマーを止めて蓋を開けて薬液を排出した。
役割は違うものの、同じような行程を三種。一番地味な、そのくせ最も大切な作業である。
どんなに素晴らしい瞬間を時間とお金をかけて撮り納めたとしても、現像で失敗すれば全てが白紙になる。
けしてデジカメにはないその行程を僕は好きだったけれど、写真部のメンバーはその作業を嫌い、今では僕だけがアナログ写真だ。
顧問の御輿先生ですら最近はデジタルばかりで、以前のようには一緒に作業をしなくなった。
もしかしたらこの写真部の備品類を使うのは、僕が最後の生徒になるのかもしれない。
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