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伍
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「写真部員でいられるのは秋まで。在学してられるのは半年。卒業した僕が先生に会う機会は多分無いんです。」
自席についた先生は拳を膝に置いて、大きな体を小さく屈めていた。
椅子に座ったっきり顔をあげようとすらしない。なんだか小さな子を頭ごなしに叱っているような気になる。僕よりも遥かに大きな人なのに。
「…あと半年だったのに…」
「すまない。」
頭を更に低くする先生を見たい訳じゃないのに、何をどう話しても、先生は頭をあげないのかもしれないと思ったら、僕の考えは固まった。
「先生こっち!」
強引に手首を引いた。
背を丸めたまま歩き出した先生を暗室の奥に引っ張っていく。
定着液に沈んだままの二枚の印画紙を白いゴム先のピンセットで乱暴に引き揚げると、流しに溜めた水の中に落とした。
水の中を泳がせてから持ち上げたのは──
「先生のネガから見つけて焼いた、僕です。」
セーフライトに照らされた写真を見た瞬間、先生は背中を仰け反らせた。僕は見ないふりで印画紙の表面を水が滑り落ちていくのを見ていた。
流しの上を縦断する紐に印画紙の角をクリップで留め、僕はもう一枚も水の中から掬いだした。
「これは、僕が撮ってた写真。」
同じように水を弾きながら水面にあげた印画紙の中の人は、横に立つ人よりよっぽど大人らしくて眩しくて…僕は知らず寄っていた眉間のしわがのびていくのに気づいた。
クリップで紐に留めている間、先生はその二枚と僕を順に見ているようだった。
分かってくれると思えた。僕に人物写真の撮り方を教えてくれたのは、御輿先生なんだから…どんな気持ちでシャッターをきり続けたのか、今僕がどう想っているのか伝わるんじゃないかと思った。
「卒業迄残り半年。我慢するつもりでしたよ。」
暗室の中、何も答えない先生の代わりに排水されていく水と換気扇の音と話している。
「あれはジョーク?誰かの身代わり?」
顔を横に振る先生が、それでも口を開きそうにないから、僕は躍起になって話し続けた。
「言わない予定だったのに!先生が一人凹んでんの嫌だから言うけど、中等部の頃から……チッ……好きなんだけど!!」
あれだけ偉そうに言っていたのに、想いを言葉にするとなると予想外にイラついて、正面向いて伝えられなかった。
格好がつかない。
じっとしていられなくて、さっき留めたばかりの印画紙を再び水の中へ戻した。先生の写真が沈む。僕の顔もその上から深く沈める。もう笑っている顔も見えない。
何とか言えよ!
浮かんでこようとする印画紙を制しながら、現実逃避にも似た笑いが零れてきた。
泣きそうだ。そんなことは勿論見せないけど…。
だから、何か言えって!!
目一杯の力で目をとじた。すると、力の入った肩に先生の大きな手のひらが、遠慮がちに僕の肩に添えられていた。
「…新任で上手くいかない時だった。写真部の副顧問として中二の加野君と逢ったの覚えてるかい?」
僕は下を向いたまま返事をした。
「なんでも素直に俺の言うことを聞いて、最初は純粋に可愛い生徒の一人だった。でも……仕事で落ち込む事がある度に都合よく加野君を思い出していたら、いつしかすっかり加野君の存在に頼るようになってた。それからは中等部の加野君と交流を持ちたくて、副じゃなく顧問となって中等部に出入りしたんだ。」
ゆっくり静かに話し出した先生は、片手で顔を覆っている。手のひらで顔を拭うように、話の途中で何度も深い息を吐いた。
「高等部に入ってからの加野君は、ますます俺になついてくれて…たまらなく嬉しかったよ!」
高等部に上がったときの僕と同じだ。
得意でもない化学の授業は待ち遠しくて、部室を兼ねた化学準備室に早く行きたくて。いつもホームルームは落ち着かなかった。
「いつか手を出して嫌われるんじゃないか、免職を喰らうことになるんじゃないかって…危惧してたくらいだ。」
構って貰いたくて部活して、誤魔化したくて悪態をついてた僕と同じ。
「今日、たがが外れて…教職の事より嫌われる事に凹んだよ。もう後戻り出来ないのかって。」
「……僕も、ですよ。あと半年が待てなくなった。」
「…もう一回…キスしても良い?」
肩を強く掴まれ顔を見れば、そこにはすっかり背筋の伸びた先生が居た。
無精髭で疲れた目をした御輿先生。真上を見なきゃ見れない先生。
「…なぁ…今…キスしたい。」
「嫌です!絶対駄目です。」
セーフライトが先生の驚いた顔を照らしている。
…まるでコントだ。開いた口がせわしなく動いているけれど、まるきり声にはなっていない。
「次はきっと、我慢出来ません。先生より十も若いからね。盛って取り返しがつかなくなります。」
勿論本音は違うけれど、でも実際そうならないとも言い切れない。
五年も我慢したんだから、半年なんてすぐだろう。ただでさえ障害が多いのだから、せめて先生の仕事を奪う一番の可能性は控えなければと思った。
それに今までの我慢に比べれば、我慢と呼ぶのも違う気がする。前向きで明るいモノだ。
「加野君、十代なのに真面目過ぎるょ。」
「卒業したら、また言っ下さい。」
「なっ。クソッ!一日中キスするからな!加野が壊れるくらい抱くからな!嫌がっても絶対に止めないからな!」
「バッ、バカ言ってないで仕事して下さい!」
水面に浮かんでいた印画紙を持ち上げる。
『諦めなくても良い。進めば良い。二人とも、変わらないで──』
終幕。
20160720 しずく
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