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狩り
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雪深い山をパンを抱えて必死に走り、足場が険しくなった所で後ろを振り返る。はあ、はあ、と荒い呼吸が白い息となって彼の頬を撫でて散った。空腹はとうに限界を過ぎ、村に行き、やっとの思いで盗んだパンを食べる間もないまま逃げている。
淡い栗色の短髪、透き通る白肌、身に着けた薄汚れた白シャツが雪に混じる。靴も履いていない素足、ぼろぼろのズボン、普通の人間であればとっくに凍死しているだろう格好だった。その中で、金の瞳だけが生命力を宿し印象的に美しく輝く。
あそこにいるぞ!
早く捕らえろ!!
猟銃を持つ毛皮をまとった男達は猟犬を従え、なおも執拗に追ってくる。その目的は追われる身には明らかで、恐怖を誘うものだった。追っ手が一人であれば、彼はこの場から逃げられただろう。だが、後方から迫るのは腕に覚えのある成人男性三名と凶暴な猟犬が五頭、そして彼の今の姿は中途半端に耳と尻尾の生えた十五歳前後の少年である。状況は彼にとってあまりにも不利だった。
脚を狙え!
誰かの叫びに、ハッとする。猟銃を構える男は明らかに下方へ狙いを定めている。嫌な記憶がよみがえり、彼はちらつく雪の寒さよりもその記憶により凍り付いた。人間だった母親は殺害され、彼の父親も、兄弟も、人間の手により狩られ、その後の消息は分からない。きっともう、この世には居ないだろう。何故なら、人間にとって彼らの血液は若返りの秘薬となるからだ。だから、殺す事に躊躇いもない。もしくは、生きたまま捕らえられ闇オークションにかけられるだろう。今回は生け捕りが目的のようだった。
パンッ!!音と共に足元に向かう弾の軌道を目に捉え、高く跳躍する。着地する平らな足場がない事は分かっていた。雪に覆われた斜面、不規則にそびえ立つ木々の間を転がり落ちる。それでも、パンを掴んだ手は離さない。今の自分を救うのは、空腹を満たし損なったパンであるかのように大事に抱え込んだ。
落ちたぞ!
くそっ、どこだっ!
おい、身を乗り出すな!危ない!
猟犬の吠える声と男達の英語での会話が遠ざかり、雪を巻き込みどんどん加速して滑り落ちる。ドッ!!痩せた体が大木にぶつかり息が止まった。ドサッと枝から落ちた雪が降り積もった雪を押し潰す。どくどくと頭から流れる血が白を赤く染め広がり、やがて降り止まない雪に意識を失くした体は埋もれ始めた。
トク、トクン…トク…ン、心臓は緩やかに停止した。耳と尻尾はそのままに、少年の体は白銀の毛に覆われ、骨格が変化して狼へと姿を変える。パックリと割れた頭の傷は、じわじわと皮膚が再生し傷跡を失くしていく。死んでいるにもかかわらず、細胞はより活発に体の修復をするという奇妙な状態だった。半獣であるその体は、脳や心臓に致命傷を与えない限り、仮死を経て、やがて別の人型へと再生する。それは、種の存続をかけた進化とも言えた。
それからどのくらい時間が経ったのか、雪は止み、星の瞬く空の下、月に照らされ輝く雪面から手が伸びた。掻き分けた雪から這い出し、ぷるぷるっと頭を振って雪を払ったのは銀色の長髪と、紫色の瞳を持つ美貌の少年だった。長い髪を邪魔そうに払い、再び自らの埋まっていた辺りに手を入れて、何の冷たさも感じていないように雪の中を探る。目当ての物を見つけ、満足そうに取り出したのは、凍り付き、固くなったパンだった。それを小脇に抱えて、道なき山を下り始める。
彼には行く宛もなく、頼るべき者もない。自分以外に、狼男が存在するのかも分からない。それでも運は彼に味方した。
狼男の伝説が残る村を離れ、後に彼が密入国した先で手に入れたのは、新たな戸籍とベルーガ クラインという女性の人生だった。
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