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契約のしるしを
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時給1800円のファンタスティック
犬飼澄晴の趣味と三雲修の初めての質問。衝撃の出会いとかファミレスとか。だいたい二人しか出てない。友情(?)出演は牙のすてきなあの人。
この笑顔は216円
モブの女性店員が勤務中に見た二人の不思議なお客さん、とは。やたらとサービスしてくれるお店ってありますよね。田舎だと特に。
最初から最後までモブが話してます。ダメなら飛ばしていただいても話の流れ的には問題ないです。
くすり指なら何万円?
三本だて。鈍感な修と、指輪についてのエトセトラ。犬飼先輩はあんまり性別とか気にしなさそう。でも気は遣えるから強い。
三雲母が出ています。
時給1800円のファンタスティック
売春の相場は?と聞かれたらどうするだろう。
見知らぬ町、見知らぬ場所。そして見知らぬ、同じ性別の、大してかっこよくもかわいくもない、ただの他人に。
大学二年生の犬飼の休暇は、散歩か、飛行場へバスへ行くのに費やされる。ほかに大して趣味がないからお金がたまる一方だ。
小旅行の内容は、行って、見て、帰ってくるだけ。遠くの飛行場へだと夜行バスで。近くの飛行場へだと、途中下車してそこから歩くこともある。今回のは後者だった。
ふらふらと入った裏路地でネオンのシャワーを溺れるくらい浴びて歩いていた。すると自分より一回りも小さい少年――高校生くらいだろうか――に声をかけられた。
結果だけで言えば、冒頭の問への答えは『素直にそのまま答えてあげる』だった。それを聞いてきた少年が切実な表情をしていたものだから、なんだか答えてあげなければいけないような気がして、つい。
「よくわかんないけど、このくらいじゃない?」
聞き耳をたてられていることはなくとも、ここが妖しい場所であろうとも、往来で金額を堂々というのは憚られたため、指でマルと数字を作って見せてやる。時間の単位を言ってやるのも忘れない。
その数字に少年は感心すらしてみせた。どうやら本当に知らなかったらしい。
「……こ、こんなに……ですか……!!」
しかして、犬飼がそういう方面に詳しいなどということは、誓って全くない。ただ先日の講義で取り上げられていた議題が興味深かったため覚えていただけである。
買春行為の低年齢化。
もしやこの純朴そうな少年も、おふざけ半分で世間の荒波に揉まれようとしているのであろうか。
それならば自分は止めるべきである。犬飼はヤンチャするのを止めたいタイプではない、しかし一時の感情に流されて公開することの辛さはこれまでの反省で知りすぎてしまっていたし。
「きみ、女の子を買うのはやめといた方がいいよ。やらかしちゃったら責任転嫁もできないんだから」
「……え、あ、その」
明らかに戸惑っている。出会い系サイトでも見て興味を持ち、ろくに調べずにそういう界隈に赴いて、“詳しそうなチャラチャラした青年に聞いてみた”とかだと思ったのだがちがうのだろうか。
仲間内で罰ゲームにさせられている……とか?
「ぼくは買う方ではなく……売る方、で」
「……へ?」
二十年生きていて一番の衝撃かもしれなかった。実は少年は花も恥じらう乙女で――という風には見えないし(乙女が花を売るのなんて現代に始まったことじゃない)、およそ“売る側”としての隠秘な雰囲気もない。
「……あ、あの……?」
「…っああ、ごねんねぇ。なんだっけ、きみは売るために相場が知りたくて声をかけてきたんだよね、てことは俺に買ってほしいの?」
少年は、固まっていた犬飼がやっと絞り出した一言にあどけなく戸惑う。
「いえ……? そんなことは、考えていなかったです。こういうものは、サラリーマンだとか、年配の男性の方がお金を出してくれるものだとうかがいました」
こいつ、意外と冷静だな?! 犬飼は内心可笑しく思っていた。この少年が何を考えているのかわからないのは相も変わらず、しかし、ずっと大きな関心が浮かんでいる。
通行人に「ジャマだどけ!」なんて怒鳴られて、二人で道のはしに移動する。
「お金持ちのおじさんってだいったい趣味悪いから、すっっっごいプレイを要求されると思うけど」
「ぼくはそうすべきだと、思っています」
「どんなに辛くても?」
「……はい。母が、待っていますから」
勇ましくも美しい、緑の瞳に魅入られそうになる。まぶたが伏せられたことにそれなりの残念さを感じながら、犬飼は少年の深層に迫っていく。人の懐に潜り込むのは犬飼の得意とするとことだし、少年は隠そうともしていなかった。
これくらいのこどもが、母への孝行なんて自然に思い浮かぶわけもない――この少年ならばあるかもしれないが。まぁ、それはおいておくとするならば、彼の母、とやらは、おそらく。
「病気なの、おかあさん?」
「はい、そうです……なんで、わかったんですか」
「うーん、なんとなく、かな?」
良かった。と、犬飼は最悪の想定が当たらなかったことに安堵した。もしもお母さんが亡くなっていて、そのお葬式のためだとか言われたらどうしようかと。
「そっかあ、そのための手術代? それともお母さんが働けないから代わりに働きたいのかな」
「母は日常生活なら問題なく動けるんですが、時おり発作がくるんです。その薬が、けっこうな値段で」
「…そう…」
赤く発光する看板の光線が少年の頬をきらきらと、この夜の町に似つかわしくない耀きに晒す。
なんとなく、それをきれいだな、もしかするとこれを自分だけのものに出来るのかもしれない、と思って。
興奮して、胸がぞくぞくと躍るようだ。不謹慎なと言われるだろうが、このときの犬飼には倫理よりも、目の前にいる少年をいかにして手にいれるかの方が先決だったのである。
「じゃ、時間1800円にしよう」
「……は?」
母のことを思い出していたのか、いくぶんか沈んだ少年の顔が、驚きに跳ねる。いい反応に犬飼はにこりと笑って、尻のポケットから財布を取り出した(スリに遭う可能性もあったが、彼は自衛ができるので)。
カチリ、留め金をはずすと、中から二枚の紙幣を取り出す。少年の、足の横に下げられた手をぐいっと持ち上げて、それを握らせた。
「フツーのバイトなら高くても 900円。単純計算で二倍だ。十分でしょ」
日々だらだらする大学生とはいえ、バイトくらいはしている。日は少ないが、顔と愛嬌を最大限に使った犬飼は安易に高い収入を得ることができていた。加えてあまり出かけないお陰で金だけはあるのだ。少年にそれを流したところで、さしたる問題もない。
突然渡された二枚の千円札に目を白黒させていた少年は、犬飼の言わんとするところを察したのか、ぎゅっと薄っぺらな中身を握りこんだ。
「その、よろしくお願いします」
武者震いのようにひとつだけ震えてから、キンと凍った冬の湖のような透き通った目で犬飼を見る。犬飼は、自分の判断が間違っていなかったことを感じて、破顔した。
少年を手込めにしようと思っているようには見えない犬飼の笑顔に、少年は首をかしげた。
「よし、じゃあ早速行こうか」
「へっ?!」
「ほら早く、ついてきて!」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、少年は犬飼にひかれて走り出す。街は、ギラギラと輝きながら二人を押し出した。
クラシカルドレスを象ったワンピースを着たウエイトレスが、ガラスのコップを二つおいていく。足音が遠ざかると、犬飼はおもむろに財布を開いた。
夜の闇とはほど遠く、明るいファミリーレストランの一席で、高校生と大学生のように見える二人組。兄弟かなにかと思われているだろうか、まさか、犬飼がお金を渡して三雲少年の時間を買っているとは夢にも思うまい。
もう何度めかの会瀬で、立て掛けたメニューの厚紙の裏、お金を払い渡されるのには慣れていた。
「はい、5時間分。いまからのオヤツのぶんは払うから自由に食べてね」
「いつもありがとうございます。犬飼さんは何にされますか?」
三雲はさっと自分の札入れにお札を差し入れると、メニューの向きを犬飼にむけた。いつものごとく、犬飼の欲しいものを聞く。彼が犬飼より良いもの、高いものを頼むことはけしてなかった。犬飼がそうしろと言ったわけではないし、むしろもっとわがままを言ってもいいというのに、彼は変わらず少しだけ微笑んでいる。
最初に来たときなんてなんにも食べてくれてくれなかったもんなぁ、と思い出して、犬飼は苦笑いを浮かべた。たしかそのときは、絶対に食べきれないポンド数のステーキを頼んで、残りを少年にあげたのだ。そんなことを繰り返すと、彼はやっと観念してくれた。
「ん~、甘いもの食べたい気分だしこのハニートーストにしよっかな。メガネくんは?」
「……ぼくは、抹茶パフェをお願いします」
きっちりマイナス100円。頭のなかで勘定すると、犬飼は含み笑いを漏らす。三雲がウエイトレスを呼び鈴で呼んで注文を伝える動作を観察した。
犬飼が三雲に一定の金を払い、三雲は犬飼に“時間”を売る、という関係が始まってから何ヵ月かたった。初め、三雲は犬飼に体を売るものだと緊張を露にしていたが、二度三度逢うのを繰り返すうちに犬飼の思惑を知った。
犬飼は、時給1800円で五時間を目安にして、三雲をいろいろなところへ連れ出した。例えば遊園地。水族館、新しくできたテーマパーク。今いるようなファミリーレストランやカフェ、近所のどんぶり屋だとかおすすめのレストランに。ときには漫画の聖地を練り歩くこともあったし、一日で何本も映画を見たり、食べ歩きをすることもあった。
とにかく、一人では足を運びにくいところ、楽しめないところに行った。驚くほど健全に遊んだのである。
「でも、ラブホテルにつれていかれたときはついに、と思いました」
犬飼と同じに思い出していたのか、三雲はクスクスと笑う。
あのときは、キラッキラの豪華なラブホテルの部屋で、トランポリンみたいにベッドを弾ませて遊んだんだっけ。犬飼もつられてにこにことした。
あるとき、その話を聞いた悪友(犬飼が勝手に思っているだけだが)が、「それは売春って言わねぇだろ」と苦虫を噛み潰したような表情で意見した。全くの正論。しかし、それに答えた犬飼の言葉が、この関係をすべて物語っている。
「俺は三雲くんの人生の春を、青春を買っているんだ。責められるべきことだし、十分に罪をおかしてるんじゃない? ははっ、止める気はないけど!」
この笑顔は216円
どうもこんにちはみなさん、私はしがない店員さんじゅっさいです。どこの店員なのか?まぁそれはおいおいわかること。
さて、お話しするのはうちのお店にご来店された二人のお客様のことです。
「ねぇメガネくんどれにする?全部買っちゃう?」
「そうですねぇ……」
棚越しに見える店内には、テーブルにかけるお客様はおらず、いるのはこのお二方だけのようです。一人は金髪で笑顔の眩しいイケメン(美青年というにはちょっとお茶目)、もう一人はその後ろで穏やかに笑っているらしい少年で、少年のほうは青年の影になってあまり見えません。黒髪で、青年よりも落ち着いた服装です。ひとつひとつのアイテムは地味なようですが、合わせかたがうまいなぁ、と思いました。差し色が、青年と似かよっているような気もします。
二人はレーンにならんだ色とりどりのドーナツ――そう、うちのお店はドーナツ屋です――をきょろきょろ目移りしながら話しています。トレーには既に十数個が載っていますが、アレは二人だけで食べるのでしょうか。
「一つずつ全部持ってって半分こしよっか」
「食べきれますかね……」
そのようです。それにしても、二人の距離が近い。棚越しでもわかってしまう仲良しさです。顔や服装の系統も違い、雰囲気すら全く違いますし、兄弟というのはまちがいなような。友人? どう知り合うというのでしょう。なんだか気になってきました。
けれど私はただのドーナツ屋の店員。深入りはいけません。おとなしく見守ることにしましょう。
「それでは、どうしましょう。やはり全部ですか」
「うーん、よーし、メガネくん放り込んでって~! 食べれなかったらゾエにでも差し入れよう」
ちょっと強引な青年です。少年は逡巡していたけれど、青年からなにか、よくわからないことを囁かれると、トレーに、そう、全種盛りを始めたのです! 何と言っていたのか?
……具体的にいうなら、「これは別料金だから、ね?」とか、そういうのです。ワクワクとこどものような笑みを撒き散らす青年に付き合う少年は、呆れたような、でも、縁側で眠る猫を見ているときさながらの穏やかな表情。ああ、しあわせなんだなぁ、って、思わせられるような。
「フレンチクルーラーはプレーンがいいです」
「フーン? じゃあ入れてこ。おんなじ種類のが一杯あっても仕方ないしそのへんは考えよっか。ポンデは全部食べたいな~」
「好きですよね、犬飼さん」
そういえば、がらんとしていた店内も、おやつ時ですからそろそろ人が増えて。少し列がつっかえているにも関わらず文句のひとつも言わない女子大生のお客様と、老夫婦のお客様。どことなく微笑ましげです。……わかりますよ、その気持ち。
ようやく全種類(類似品は抜いている)のドーナツやチュロス他を乗せ終えた二人は、トレーを両手に抱えてきます。
「お会計お願いしまーす」
「ええと、持ち帰り……テイクアウトで」
わかっていますとも。
金髪の青年が店員にきちんと敬語を使ったことに一瞬だけたじろいて、失礼だった、と思い直します。やはり見た目で判断するものではないのです。
●年も勤めた職場ですから、箱詰めくらい朝飯前。パフォーマンスもかねて超速急でドーナツを詰めると、少年は驚きと共にほのかな笑みを見せてくれたのでした。もったいない、それは隣のお方に見せてください。
「だってさ、メガネくん」
失礼しました―――――!!!!
声に!出ていたようです!
平謝りする私に、羊のような柔和な顔の少年は気にしないでください、と言います。それにしてもなにを考えているのでしょう私は。それもこれも、この二人が仲がよすぎるのが……と失礼にも責任転嫁しつつ、私は二人を少しだけ待たせてバックヤードに引っ込みます。
「……これは?」
「あっ! これ限定何個かであんり食べれないやつじゃない?!」
私が彼らの何箱分かのドーナツに紛れ込ませたのは、新発売で品数が少なく、買うことがままならないと噂のドーナツでした。チョコレート風味たっぷりの、クッキータイプのドーナツ。生地の濃厚な甘みと、サクサクッとした食感を楽しめるもの。
サービスです、と言ったそれは、店員の職権濫用に寄り手に入れた二つでした。ちょうど数も合っていましたし、この可愛らしい二人組にプレゼントすることにしたのです。
「ありがと~店員さん。ねぇメガネくん、やっぱり大人買いはお得じゃない?」
「駄菓子屋の箱買いはもうしませんよ。
……お気を使わせてしまってすみません、ありがとうございます、店員さん。また、越させていただきますね」
もしかしたら待ってらっしゃるお客様がたから不平不満が出るかとも思ったのですが、杞憂でした。むしろ列の後ろについたおばさま(虎柄のTシャツを着ていらっしゃいます)なんかは飴を手にうずうずしています。
「またのお越しをお待ちしております」
テンプレートのような私の台詞にも本物の笑顔で答えてくれた二人組。スキップで少年を誘う青年は、きらきらと屈託のない目を細くして、満足そうに、得意そうに、無邪気に笑み続けていました。
以上が、私がお話ししたかった二人組のお話です。とても関係性を探りたくなる方々でした。とにもかくにも、仲のよいことはいいことです。
この仕事も長い私ですが、ドーナツ二個であれだけ優しく嬉しい気持ちになれる、素晴らしい仕事だと再確認できました。今度いらっしゃったあの二人には、最上級をサービスをしなくては。
くすり指なら何万円?
×
終電がもうすぐに終わる。ビルや駅にはきらきらと人工的な照明がひかり明かりが漏れている。全面に光るガラスに覆われていて、ときどきある黒っぽい箇所にあるのは緑らしかった。寂寥感と煌めきとを同時に孕んで、眼下に美しく広がる夜景。
修はほぅ、と息をついた。なんて、美しいんだろう。身長の高いタワーの、十数階から見える景観に、宝石箱をはじめて開けた少女のように見惚れていた。その横顔を、犬飼が、夜景より眩しいものだと思っているとはいざ知らず。
「今日は、向こうに見える遊園地で大規模なカーニバルがあるんだってさ。人気の観光タワーもこうなったら形無しだよね」
「そうだったんですね」
修と犬飼は、とある都内のタワーに来ている。一番人気であろう見晴らしのいいフロアには家族連れはおろか、カップルの姿すら見えない。
館内放送の、有名な邦楽のアレンジジャズだけが円形の展望室に響いていた。真ん中に位置するエレベーターに表示された数字は最上階で留まっている。
「メガネくん、気に入ってくれた?」
「はい、とても……」
「ふふ、もっとガラスに近づいてもいいのに。怖い?」
「そんなことはないんですけど、せっかくきれいに磨きあげられているのに、よごしてしまいそうで」
強化ガラスから一歩離れたところで微笑む。
修は、自分に向かって緩く笑う犬飼のことを、人好きのする優しい青年であると思っていた。実際彼は人付き合いがいい方であり、懐にいれたものには砂糖菓子のように甘いたちであったが、かといって無条件に甘いというには利己的だった。いわゆる、情けは人のためならず。
享楽的な気がある、といわれることも、ないではない。
「……でも、本当にこんなところ、良かったんですか?」
修を連れてくるまでには、犬飼は大変な思いをしたはずだ。人の少ない時を考え、タイムスケジュールをはかり、入るにもお金がかかっただろう、それまでの交通費も。
しかし、犬飼は修が心配するように、優しいから、苦労して楽しみを提供してくれているのではなかった。その証拠に、修に見つめられた瞳は酔いながら揺れた。鮮やかなまでに透明なガラスに反射した表情は、今にも修を捕らえんと爛々としている。自分に向けられる感情――それが善意であっても、その逆であっても――については疎すぎる修は、真意を読み取れない。
「俺、メガネくんが思ってるようなイイヤツじゃないよ。今だって、……下心でこんなとこ連れてきてる」
階下に目を向けながら、修の目を見ずに犬飼が呟いた。
彼は、なにを考えているんだろう。
修にはわからない。ただ、いま彼の言葉をそのままに受け取ったら、なにか大切なものを溢し落としてしまうような気がした。犬飼の言葉はどこか、深い夜の底に消えてしまうのを望んでいるかのように聞こえた。
忘れてくれ、なんて、言うつもりなのかも。
修は彼に向き直る。
「……いい人、ですよ」
「そんなことないよ? 俺は、君を勝手につれ回して、」
「一度でも」
「え、」
「一度でも、ぼくが、あなたに嫌だと言ったことが、有りましたか?」
語気を強めて言うと、犬飼は静かに瞠目した。同時に、修は彼の腕を引く。むりやりに、二人の目線を会わせた。
そういう強引なことをするのは自分の役割だと思っていた犬飼の腕は、意外なほど簡単に引かれた。大窓のガラスに、あと数センチでくっつきそうな二つの影が写る。
「僕はあなたといることで、お金をもらっています。あなたは過度なほどにたくさん、ぼくに与えてくれているんです。お金だけじゃない、やさしさ、たのしさ、あたたかさを。
……ぼくが、お金のためだけに付き従っていると、思っているんですか」
修は、自分がなぜこんなにも憤っているのかがわからなかった。しかし、つらつらと思いを吐き出すうちに、自分が、犬飼に金だけを目的にしているのだと思われていることが悲しいのだと気づく。
「……下心、というのがどういうものかは、何となく予想がつきますが…あなたは、ぼくのいやがることはしない。ぼくが拒否したら、きっと犬飼さんは、引いてくれるんでしょう」
目を見開いて修を見ている犬飼の、強くつかんでいた腕を柔らかく解放した。そして、手のひらにたどりつくと、絡めるように手を繋ぐ。いつからか、犬飼が修にそうするようになった、ように。
館内放送は、最初流れていた曲に戻る。リピートするよう設定されているだろうそれは、空っぽのフロアを満たしていた。
曲のはじまりに合わせて、修はさらに言葉を重ねる。なにかを躊躇している犬飼から、そのなにかを引き出すために。
「拒否なんて、できないものだと思っていました。どんな無体をはたらかれても、そういうものだと」
修は修なりに、体を売ると言うことの重大さはわかっている。犬飼に、『責任もとれないんだからやめておきなよ』なんて、憐憫とおかしみを込めた眼差しで諭されたとき、頷きそうになった。逃げそうになった。恐ろしかったのだ。
結局やることはなかった色事をおもい修の手が震えたのを、犬飼は感じ取ったらしい。
「……そうするべきだ、自分がやると決めたんだから、って、体を開くかもしれなかったんだね、メガネくんは」
「…もちろん、です。事実、こうして犬飼さんにお金をいただいて、ずいぶん楽になっていますから」
「……犬飼さんで、良かった」
ほろ、と口からこぼれたのは、素直な修の気持ちだった。犬飼が狼狽し顔を言葉に詰まっているうちに、修は続けて本心をさらけ出した。
「あなたが、ぼくにいろんなことを教えてくれて、やさしく、してくれて。嬉しいんです。そこにどんな魂胆が潜んでいたとしても、ぼくは犬飼さんがやってくれたことを信じます」
月を雲が覆い、窓から落ちる光の瞭が少なくなる。犬飼の表情が見えにくくなった。修は、くっついていた手のひらをするりと手放した。
下心というのだから、肉欲の類いなのだろう、と修は考えていた。犬飼は修に気遣って、それを躊躇しているのだろうと。だから、犬飼に問われたのにもすぐに頷くことができた。
「じゃあ、もし俺がメガネくんを抱きたいっていったら、させてくれるの」
「ええはい、犬飼さんが望むのなら」
数秒とおかず答えると、唖然として、まじまじと見つめられる。
少しそうしてから、犬飼が寂しそうに笑った。
「……気持ちのないセックスでも、メガネくんは出来ちゃうんだね」
「そうですね……ぼく、犬飼さんのこと好きですけど…犬飼さんにそういう気持ちがなかったとしても、ぼくは構いませんよ」
「……………へっ、え?」
あまりにもあっさりと言われて、犬飼は動揺を隠せないようだった。口をハクハクと動かして、金魚みたいだ。それならさながら、犬飼さんは高級魚だなぁ、なんて修は思う。
「……もう一回言ってくれない?」
「…………構いませんよ?」
「その前! 犬飼さんのこと、の、あと……」
聞かせて、という犬飼のすがるような声音に、修はぱちりとまぶたを動かした。
「好きです」
「う、っわ、マジ?」
「すみません、つい言ってしまいました。…迷惑でしょうし、忘れてください」
修が付け足すのを、犬飼はずるずるとしゃがみながら否定した。首を横に振って。何やらボソボソと呟き、その耳は真っ赤だ。
「あー……、なんで、好きになっちゃうかなぁ………せっかく放してあげようとしたのに……っていうか気付かなかった……そんなそぶり見せてた? メガネくん……うー…ごちゃごちゃ考えてたの、全部無駄だよ」
何でそんな顔をするんだ?
修はどこまでも鈍感だった。と、いうより、はなから犬飼が自分を好いているなどという選択肢は消していたのだ、気づきようもない。きょとりとする修を見上げ、犬飼が大きくため息をはく。
「かなわないなぁ、メガネくんには」
きゅっと目を細め、犬飼は修を眩しそうに見つめる。そして、心底可笑しいというように笑う。
「君にかなったことなんてなかったかも」
そう呟いて、両手でぱんと膝を叩いて立ち上がった。ごそごそと、肩にかけていた鞄をあさる。
「メガネくん、これ、あげる」
「なんですか……?」
ひょい、とかれが取り出した立方体は、吸い込まれるように修の手に収まった。
××
きらきらと、また顔を出した月に照らされた少年はまだ幼さをまつげに、みみたぶに、ほおに残していた。こちらを見る純度の高い眸子に自分が写ることが、こんなにもうれしい。
彼となんどもなんども“売春”を繰り返した。終着点は、奈落のそこにあるだろう、と思っていた。
「好きです」
ぐるん、と、線路が宙返りしたみたいだ。ボロボロに垢に錆びていたはずの恋は、その線路は、美しく塗り替えられていく。鞄の中、捨てられるはずだった想いが、その重みが、一気に軽くふわふわとしてくるのを感じた。
「……かなわないなぁ」
俺が、彼のことを好きなのを、本人は気づいていないのだと思う。そうでなければ、こんなにも明け透けに告白してはくれなかっただろう。結果的に良かった、というべきなのか、気持ちが伝わっていなかった、と嘆くべきなのか。まぁ、たぶんこの終点は思っていたような絶望的なそれではないようだし、楽観的に、前者を選んでおこう。
「……ね、メガネくん」
「なんですか、犬飼さん」
俺は、汗の滲む手で箱をつかみ、三雲くんの手のひらに押し付けるみたいに乗せる。
「……これは?」
「開けてみてよ」
ぱか、り。
覗いた、光る銀のわっか。指輪だ、と三雲くんが呟く。
「メガネくん、俺ねぇ、そこそこいい仕事についたんだよ。それでコツコツ貯めて、買ったの。換金すれば、きみの大学進学の足しになると思う」
俺はこれから仕事で忙しくなるだろうし、三雲くんも受験で同様。その前に激励として、あげる、と言った。それは紛れもなく本心であり、そして言い訳だった。彼が俺を好きじゃなかったら、文面通りに受け取っていてくれただろう。「すみません、ありがたくいただきます」……なんて。
三雲くんは、静かに指輪の入った箱を撫でる。輪郭を確かめるような動きだった。彼が、この指輪をどう受けとるかは、賭けだった。
「それは好きにしてよ。……また連絡するから」
俺の性格を知っているやつなら、なんで素直に告白しないんだ、と詰るだろう。そりゃあ、俺だって好きだの一言くらい言いたい。三雲くんが同級生だったりしたらこんな回りくどいことはしなかった(俺は性別とか些細なことで恋を終わらせたくないタイプだ)。
だけど、三雲くんは年下で、しかも俗に言う援助交際を――俺と三雲くんの間では売春、だけど――しえいる身だ。これが明るみに出てみろ、責められることは必至だ。俺は、いい。でも、三雲くんにそんなおもいはできるなら、してほしくなかった。
だからといって諦めたくなかった俺は、このきれいな生き物が、俺のおもいに気づいて、その上で自分から火に入ってくれることを期待した。
俺に流されて決断するのではなく、彼の言う、すべきことだと認識してくれることを、期待した。
彼は、一度決めたことなら、どんなに傷ついても俺と共に歩いてくれるとわかっていたから。
指輪を受け取って、ぐっと考え込んでいた三雲くんは、何か閃いたようにひゅ、っと息を飲んだ。
「……できません」
三雲くんが、小さく、いう。
後ろを向き、帰るのを促す姿勢だった俺は、その声に振り向いた。
「メガネくん? どうした、の」
ふわ、と薫ったのは、花の匂いだろうか。金木犀のようにささやかで、あとに残る。
その正体は明白で、俺の腕のなかには、一人の少年がいた。
「できません。……売る、なんて。ぼくのために、犬飼さんが買ってくれたものなのに」
先程、俺のはいた暴言に反論したときのような強さはない、くぐもった声で言う三雲くんの首もとには、俺が送ったネックレスが在る。そういえば、三雲くんは贈り物をつけて見せてくれることが多い。
「……ぼくを、試しているんでしょう」
「…わかっちゃったんだ」
さすがに指輪は露骨だったか。
ズバリと当てられて、俺は口許が緩むのを感じた。もう少し、あとすこし。終着点は、もうすぐ先。かたり、かたりと指輪が動く。
「ぼくは、あなたのことが好きです。これはぼくの意思で、誰に強制されたものでもない。誰になにを言われても、変えるつもりはありません」
「熱烈だなぁ、それ、刷り込みだったりしない?」
割れながら最低なことをいっている。もぞりと動いて、三雲くんは、俺を見上げてくる。
逃げないでください、と懇願するようでいて、反対に、ひたりとナイフを突きつけるような、強い視線。
「刷り込みの何がいけないんですか。ぼくは恋と言うのを今までしたことはなかったですけど、周囲の人がしている恋と言うのは、大抵刷り込みから入っているように感じます」
「世界中の恋愛至上主義者を敵に回すような発言だなぁ」
「ぼくは犬飼さんのいいところも悪いところも全部、知った上で、好きだと思ったんです」
「…………変えるつもりはない、ってさ、俺が、君を拒否したら?」
「そのときは、……ぼくがやるべきだと思ったことを」
するだけです、と続くはずだった言葉は、二人の唇の合間に融けた。口づけを送ったのは、三雲くんからで。俺はなにもすることはできずに感受していて、そうして、惜しむように肌が離れていく。
「……だいたーん」
「こうでもしないと、犬飼さんは信用してくれなさそうなので」
俺の後ろで組まれた細い腕が締められ、三雲くんの眼鏡の奥で、心の底に潜んでいる優しい、正直な人柄の光がほのめいている。
遊園地では、大粒の花火が降り注ぎ、タワーが閉じるのを告げる放送と共にはぜる音が届く。
「犬飼さんが嫌だ、と言うなら、控えますよ」
「やめる、じゃないんだ?」
「……やめたいんですか」
初めて。初めて見せる三雲くんの弱さは、俺の胸に伏せられた彼の表情に見えかくれしている。強気にするんなら、最後まで貫き通さなきゃ――俺はそのからかいを口にはしなかった。やり過ぎて嫌われてしまったらイヤだし、さんざん与えられた率直な「好き」は、俺の表情筋をゆるゆるにとかしきってくれていたから。
「メガネくんさ、誕生日、明日だよね」
「……知ってたんですか」
「だからここに来た、っていうのもあるんだ。建前だけど。それで、幾つになるの?」
「歳、ですね? えっと、十八です」
「うん。知ってる」
ぱぁん、と赤く花火が弾けた。
「ねぇ、三雲くん。俺たち、結婚できるね」
彼の目蓋が瞬いて、瞳孔まで開いている。
「君に犯罪を、おかさせたのは俺だよ。だからさ、俺に責任とらせてくれない?」
そうしてつむじにキスを落とす。すると、三雲くんが俺の腕の中で背伸びをした。そちらから、もう一度キスをしてくれるのかと思ったら、その寸前で待っている。
「……病めるときも、健やかなるときも、でしたっけ」
三雲くんの右手に握られた小さな箱が、こつりと背骨を叩いた。
「誓いのキスってことか」
「して、くれますよね」
……ああ、もう! 降参! お手上げだ。
俺は三雲くんの体を抱き締めて、彼の柔く脆い唇にくちづけた。成熟しきっていない体はどこもかしこもすべすべとしていたけど、男というのをあらわすように細く骨張っていて、到底女の子には敵わないだろう。でも、俺の求めていたのは、最初からそんな豊満さではないから。
きゅ、と舌を甘噛される。あわてて、彼のなかから舌を抜いた。
「ッ、みくもくん?」
「ほかのこと、考えてるんですか。ぼくはここにいるのに」
「――ううん。きみのこと。だいすきだなあって、思って」
三雲くんがえらく満足ぎみに笑うから、俺はもう一度、矢継ぎ早にキスの雨を降らせるしかなかったんだ。
×××
窓の外を眺めながら、手を挙げ月の光にかざす。銀色の輪に映った月が散り散りに砕けて、光はひっくり返した宝石箱のようにきらめいていた。
あの日、閉まっていくタワーの扉を背中に、犬飼は修の左の薬指に指輪をはめた。二人を追い出したスタッフが、眼を点にしていたのは失礼だが、笑ってしまった。
今、修の手にくっついている銀の塊は、約束事を誓約するしるしの輪であるけれど、結婚の誓いとして使われてはいない。つまり、なんの法律にも守られない口約束。犬飼は、結婚できるねなんてのたまったくせに、関係を法的にすることはなかった。公にはしたが(彼の友人たちにサプライズパーティをしてもらったことはいい思い出である)。修もそれでいいと思った。
扉をノックする二回の音。淡々とそれをするのは母しかいない。
「どうぞ、母さん」
「入るわよ。………………また、あなたそれ見てるの」
飽きないわね。
扉にスリッパを挟んで閉まらないようにとした母は、静かに言う。
修は大学に入り、犬飼は大手との契約の仕事を任せられ、それぞれ忙しい日々を送っている。犬飼と修の出資により手術をし、発作を直した母が、家をでることも勧めたが、修はあえてそれをすることはなかった。
「あなたがあの子を連れてきて、話を洗いざらい吐いたとき。私が言ったことを覚えているかしら」
「ああ、勿論」
犬飼は、修をタワーから送った次の日、菓子折りを携え三雲家を訪れた。そして、修とその母の前で、今までしてきたことと、これからしていこうとしていること(つまり、付き合うということ)を話した。
全てを聞き終わった母は、『修が幸せになるのなら、手段はなんだって構わないわ』と言い、ついでに『私を思ってしたんだろうし、お節介も許しましょう』といったのだった。
母の前でつけて見せた指環は、シンプルすぎるんじゃないかとしてきもうけたけれど。
「……もちろん、母さんが言ったことは覚えてる。でも…いま、ぼくも犬飼さんも、これ以上ないくらい幸せだから」
神聖な意味がある指だとされる薬指、そこに、金と欲で始まった関係を象徴する指輪がはまっている。それがどれ程奇跡的で幸福かを、他の人間に伝えることはあまりにも難しい。
「あなた、それで満足なの?」
腕を組み、母が、修の真意を探ってやろうとドアにかたをもたせかける。修の指が、手のひらが、指輪をつけた左側の胸に、重ねられる。心の臓を指して、修は微笑んだ。月の光に照らされた修の姿は、とても満ちみちた、ガラスの器のようにも見えた。たぷり、とそれが傾けられ、言葉が溢れる。
「この指は、心臓に繋がる血管があると信じられていたんだって、犬飼さんが言ってた」
「心臓に?」
「うん」
世界史の講義をとった犬飼は、神話に由来があるのだと教えてくれた。図書館で勉強会をしていたときのことだ。古代ギリシャでは心臓は人間の感情を司る場所だとされており、左手の薬指はそれに直結するのだと。
「だから、ここにこの指輪がある限り、ぼくの心はあの人のもので、あの人の心はぼくのものだ……ぼくは、それで充分満足なんだ」
結婚式の時に新郎新婦が指輪を交換するのは、夫婦として歩んで行く誓いを形に表すということ。同じように修と犬飼は、たとえすこし道が離れていても、一緒に歩いているのだ。
寝間着代わりのTシャツがひらめき、ぶわりと風が入ってくる。窓を閉めた修は、母の審判を待った。彼女はまれに、こうして二人の仲を判するようなことをする。それは、息子を心配するがゆえ、息子を預ける犬飼を信用していたいからだと、修はわかっていた。
「……はあ。…………いいわ」
「母さん!」
「…大袈裟ね。……澄晴くんに伝えて。『そろそろしたの名前で読んでもいいんじゃないの』ってね。あなたもよ、修」
「…あ、ああ」
いつまでもウブな息子と、それを暖かく見守っている気の長すぎる青年のよりそうさまを思い浮かべて、恋には積極的だった母はじれったく思っているのだ。二度目の息をついて、息子たちの幸福を願うように一度眼をつむった。
「夜食でも作るわ。食べなさい」
「ありがとう」
修が出た部屋は、変わらず月下の暖かさを保つ。きらめく窓辺に置かれた空っぽの宝石箱は、湿った空気を吸い込んで膨らんでいた。
そこにほとんど入ることなく修の指におさまった丸い結婚指輪は、永遠に途切れることのない愛情を象っていることだろう。
四角く切り取られた夜景には、てんでんばらばらに明かりが落ちていて、ひときわ、毒々しく艶やかに光っているのは、きっと、二人が出会ったあの街だ。
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