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劣情
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綺麗なだけの愛なんて、ある訳ない。
いつだって、思っていた。
本当の自分は、とても卑しい男だと。
ひんやりとした風に、木の葉が揺れる。
料亭の門の内。
計算されて植えられた木々が犇めき、青苔や庭石が濡らされて光る様が、美しい日本庭園を演出す。
石畳を進めば、料亭本館。
多くの組員達が、これから始まる定例会の為に準備をして、そこに待つ。
冷たい。
ひんやりとした風が、静かに木の葉を揺らし、頬へ触れて過ぎ去る世界で、大和は優しい温かさに包まれる。
「高橋…………………………」
『渡しません………………ガキなんぞには』
ほのかに香る香水と、落ち着いた高橋の声。
ガキなんぞには。
少しだけ語尾が強まった言い方に、男を見る。
大和は、高橋の香水を鼻で味わいながら、いつもとは違う雰囲気に、緊張を覚える。
トックン、トックン……………。
大きくなる胸のドキドキが、高橋に聞こえてしまいそうで、何だか情けなく思う。
そんな躊躇いの中、高橋はゆっくりと口を開く。
「ずっと…………………思ってきました」
ずっと。
それは、まるで話す時を待っていたかのように、とても考え深げに。
「………………………え?」
耳元で囁くような語り口調に、大和は顔を僅かに横へ向けた。
大人の色気とは、こんな男を言うのだろうと思わせる、高橋の端整な顔立ち。
まだ、男盛り。
誰が見ても色男である高橋は、この男盛りな時を手のかかる主の人生へと費やしている。
何とも勿体なく、惜しい時間であろうか。
ドキドキだけだった胸が、チクリと痛む。
自分が一人立ち出来たなら、少しは楽をさせてやれるのに。
「お……………思ってたって………………何をや………」
「これからの………………若と私の関係です」
「関………………係………………?」
関係。
……………………って、何。
高橋の肩越しに見える美しい庭園の深い緑が、微かな不安と重なる。
目の前の景色を眺めながら、大和は高橋の温もりにしがみついた。
だって、自分と高橋の関係は、言うまでもないだろ?
誰にも邪魔出来ない、強い絆がある。
強い、絆が。
「ええ……………関係。まだ若く、先のある若のお側に、私がいつまでいられるか……………そのお隣にいるのが、私ではなくなる日がいつ訪れるやろうか………それを、ずっと思ってきました」
「は…………………………」
隣にいるのが、私ではなくなる日…………………。
痛む胸を抱え、不安になりながら訊ねた大和を、余計に不安に突き落とす言葉。
冗談やろ?
大和は咄嗟に身体を離し、微笑む高橋を見つめた。
「いやっ…………………笑うとこちゃうし!!」
自分の腕を掴み、怒る大和の愛しさ。
何度抱きしめても、自分を拒まない。
それよりも、こうして自らしがみついてくる。
どこまで素直で、どこまでわかりやすいのか。
毎回それが可愛らしくて、また愛してしまう。
「申し訳ありません、ストレート過ぎましたね」
「過ぎるわ!!そないな話、聞きとうないっ!」
ふて腐れる大和に、高橋は笑みを浮かべ、手を差し出す。
愛しい顔を撫でる、自分の指先。
大和が怒るがゆえに、触れる指も熱くなる。
なんと、甘美な感覚。
人は言う、高橋ほどの有能な右腕はいない、と。
有能な右腕……………………?
いや、自分は最低な右腕だ。
思い切り、ここに私情を挟んでるのだから。
「でも、そう思っていたのはホンマです」
「高橋………ぃ…………っ」
自分を失う不安で、わかりやすい程声を震わせる、大和。
可愛い。
その不安な眼差しも全て、奪い去ってしまえたら、どんなに幸せだろう。
高橋は、大和の髪の毛をソッと撫で、自分が溜めていた想いを語る。
「若…………………私は、親父の代の人間です。後から伸びるであろう若手を育て、次へ繋げる義務があります。それは、多分親父も同じ事を思ってられる筈。古いもんがいつまでも幅を利かせとっては、次は育ちません」
「せやけどっ………………お前は、俺の右腕や!!俺と天辺へ行くて、話してくれたやないかっ」
「ええ、勿論です。若を天辺へ行かすんは、私やと腹に決めてます」
「だったら…………………っ」
「桜井湊が、現れたんです」
桜井湊が。
「…………………………っ!」
その名に、大和はハッとする。
桜井湊。
紛れもなく、次世代の華あるヤクザ。
幼い時から、父親を見、高橋を見、才あるヤクザを見てきた大和の目は、間違ってはいなかった。
嵩原も高橋も、桜井の潜在能力を見抜く。
それの未来が、輝かしき光に満ち溢れる事を。
「若が、あの男を引き抜きたいと思うた気持ちは、正解です。あれは、将来必ず若にとって手放せない存在となり、竜童にとって必要不可欠な幹部へとなるでしょう」
「高…………………………」
「山代を引っ張った時も、素晴らしいものを堀当てたとは感じましたが、桜井は別格…………………私が、先々今ある席を獲られる事があるなら、きっとそれは桜井です」
桜井です。
そう言い切った高橋の目が、大和から言葉を失わさせる。
偶然な出会い。
ただ、本当に偶然な出会いだったが………………自分が桜井に会わなければ、高橋がこんな話をする事もなかった。
嫌や。
大和は震える唇を噛み締め、何も言えず俯いた。
嫌や………………………高橋が隣におらん毎日は、俺には必要ない…………………。
ガキが、ヤクザになる。
誰にも相手にされない日々で、唯一側にいてくれたのは、高橋だけ。
高橋がいなかったら、今でも自分は食えない不良止まりだったに決まってる。
「若、お顔を上げて下さい…………………若は、類い稀なる逸材を見出だしたんです。それだけの目ぇを養われた言うんが、私は嬉しゅう思うてます」
「そんなん………………っ」
ああ、あかん……………………。
言い返そうとしても、何か喋ると涙が零れそうで、大和は必死にそれを堪えた。
高橋の事では、自分は冷静ではいられない。
それなのに、桜井の実力に惹かれる自分と、高橋を離したくない自分が葛藤する。
人間の欲とは、汚ない。
二人共、失いたくないんだ、本心は。
揺るぎない姿を晒した父親を目にした後の自分が、どうしようもないちっぽけなヤクザに思える。
救いたいものを全部救える男には、ほど遠い。
「…………………とは言うても……………実際、そうなりうる男が現れると、譲りたくないと心は訴える」
「た…………………高橋………………」
今にも泣き出しそうな大和へ、右腕は笑う。
大和がこうなる事は、想定内。
何年、大和を見てきたか。
自分の武器は、経験。
才能や力は、努力をすればある程度は身に付くが、経験はやってみないと知り得ない。
高橋の身体にあるのは、日本一のヤクザ嵩原に与えられた経験と、昔から大和を世話してきた体験が刻まれる。
「ついに来たかと思うた反面、負けとうない闘争心がフツフツと沸き起こりました」
フツフツと。
ガキなんぞには……………………そう、ガキなんぞには、負けとうない。
高橋は顔を綻ばせ、瞳を潤ませる大和の唇へ親指をなぞらせた。
「あ……………………ぁ……」
小さな隙間から、愛しい吐息が漏れ出る。
これを、誰にやれと言う……………………?
「私の………………若です。この隣は、私だけの場所」
流れる風が、背中を押す。
サァァァァと木の葉の擦れる、心地好い音色。
「私だけの………………………」
「………っん……………………た……」
重なる熱に、身も心も溶けるよう。
高橋の手が大和の項を滑り、唇と唇が密接に絡み合う。
抵抗する隙もない高橋の上手さに、大和はあっという間に囚われた。
「は…………………ぁ………んぁ……っ」
優しく、優しく…………………そして、身体をゾクゾクとさせるエロい口付け。
唇を濡らす高橋の舌が、瞬く間に口の中へ入り込み、逃げる事さえ許されない。
撫でる舌の淫らな様。
父親とは違う大人の愛撫に、大和は高橋の身体へ崩れ落ちる。
「や………………………高………………橋…ぃ」
「ホンマ……………………若は、純ですね………………」
我が身にすがる大和に、満たされる。
自分が迫れば、その身体さえも捧げてくれそうな、無垢な若頭。
「や…………………やらしいわ………………」
「…………………………男は皆、狼ですから」
「俺も、男やし………………っ……」
「若は、まだお子ちゃまやと思うてました」
「もっ………………………」
お子ちゃま……………………っ!!
…………………………ヒド。
大和、頬をぷっくり膨らます。
うん、そこがお子ちゃまであろう。
しかし、涎で光る唇を舌で舐め、口元を緩める高橋の姿は、嵩原と並ぶ人気を誇っていた時代を思い出させて、大和の視線を離さなかった。
やっぱり、高橋も桜井に負けない位いい男だ。
「若……………………定例会、見とって下さい」
「……………………………ん?」
定例会。
照れる大和を見据える高橋の眼差しが、その言葉に深い光を帯びる。
「4地区の経過と、一年間の目標を地区長が発表します。まだまだ若手には負けへん所、見せたりますさかい」
「高橋………………………」
4人を幹部の上へと据えた、大和の最初の真価が問われる。
そこで、大和に恥をかかせてはならないと、見えない所で4人は動いて来たのだ。
多くの成果を出して来た、高橋の誇り。
大和を想い、関東者として戦う、山代。
その高橋や山代に挑まなくてはならない、伊勢谷や花崎の努力が、お披露目される。
だからこそ、全員が今日を大切に想う理由が、そこにはあった。
「行きましょう……………………皆が、待っとります」
そうして、定例会が幕を開ける。
総勢80あまり。
100畳はあろうかと言う大宴会場に揃う、黒染めの厳つさ。
其々の幹部の前には、料亭自慢の膳が並べられている。
これだけで、まだ関東にいる竜童会組員の一握りにも満たない。
全国規模とは、恐ろしい数である。
ザッ…………………………
「お疲れ様です……………………っ!!」
野太い声が一斉に轟き、会場の幹部達の目が一気に畳を見る。
「おう………………………皆、揃うたか」
大和が会場入りしたのを見計らい、別室で待機していた嵩原が、錦戸を連れ敷居を跨ぐ。
横では、伊勢谷と花崎が両脇の襖を開き、道を作り出す。
嵩原は、目の前で立ったまま頭を下げる大和と高橋を捉え、それから幹部達の後頭部を一周した。
「お待たせし、申し訳ありませんでした」
それを迎える大和は、自分のせいで待たせた詫びを口にする。
その間、幹部達はまだ頭を上げたりはしない。
嵩原の一言を、じっと耳を澄ませて待っている。
「そうか……………………ほな、始めてくれや。支部の意気込み、見せてもらうわ」
意気込み。
嵩原の号令とも言うべき発言が、空気をより引き締める。
竜童会が、久し振りに力を入れて立ち上げた、関東支部。
ナメた話じゃ、組長の首は縦には動かない。
嵩原が上座に腰を下ろしたのを確認し、大和は前を向く。
「……………………………はい」
どんな感情も、その緊張には、今はただ霞む。
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