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これからの人生
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今日もまた、太陽は輝く。
どんなに辛い夜も、その光の強さに闇は後を譲る。
「幻のようだった………………」
空には星が瞬き、街は明かりを灯す。
今、目の前で兄が消えたと言うのに、世界は回ってる。
何も、変わっていない。
何も、変わっていない。
人々はいつも通りに生活をし、あの灯りの下は、きっと沢山の感情で溢れてる。
「どれだけ立っていたのかも、わからない………………俺は動く事も出来ず、丘から見える夜景を、ただただ呆然と目に焼き付けた」
そう、ただただ呆然と………………。
救急車を呼ぶ訳でもない、助けを求める訳でもない。
伸ばせば届いた腕を出さなかった自分は、その姿を見に行く事さえ出来ず、景色だけを眺めてた。
「…………………兄貴だけじゃない。本当は、俺もずっと思ってたんだ。兄貴なんて死ねばいいって………死ねばいいって、ずっと…………だから……」
だから、俺は兄貴を見殺しにした……………。
「湊…………………」
身を屈め、顔を両手で塞ぎ語る桜井の肩は、小さく揺れていた。
死ねばいい。
死ねばいいと思っていても、実際面前でそれが起きたら、人間は正気でいられるだろうか?
大和の中に、佐々木達の死が蘇る。
あれだけ仲間がいても、人の死をまともに受け入れるなんて出来なかった。
今でも自分への不甲斐なさと、後悔ばかりが押し寄せる。
それだけ、人の命は重く、尊い。
自分と変わらない位の歳だった桜井は、それを一人で目にした。
自ら命を絶った兄を、一人で……………。
「………………クソったれ」
大和は拳を握りしめ、桜井に聞こえない位の声で苛立ちを吐き捨てた。
なんて残酷なんだ。
桜井の兄は、死んでまで弟を苦しめてる。
生きていたら思い切りぶん殴ってやるものを、それすらも不可能とする亡者。
兄が全て悪いとは思わないが、残された者の苦しみを二度と知る事はないんだ。
そう思うと、自分の苦悩を一番弱い者にしかぶつけなかった兄を、許す気にはなれない。
伝統と格式と、才能に押し潰された兄は、被害者でもあり加害者だろ。
桜井を救いたい。
大和の心に、仲間への想いが一層と強く膨らみを増す。
「それから、俺は何時間か経って、ようやく携帯を手にした。この悲惨な状況がどんな事になるか、考えただけでも怖かったけど、母親達に連絡しない訳にはいかないしな…………ただ、さすがに二人のやり取りは言えなかった。気付いたら兄貴がいなくて、探しに行ったら手遅れだったって嘘をついた」
子供ながらに、舞踊界の天才を失った事への衝撃は想像出来た。
恐ろしい。
当然、自分が責められる事も覚悟し、母親達を迎えた時は顔がまともに見れなかった。
「だけど、そんな嘘もどうでもよくなる事が起きた」
「え…………………?」
「遺書が、あったんだ…………」
「い…………………」
遺書。
濡れた目を手のひらでサッと拭い、顔を上げた桜井は、言葉に詰まる大和の前で大きく溜め息をついた。
「ああ、遺書…………………いつからかは知らないが、兄貴は死ぬつもりだったんだな……………全部書いてたよ。俺に対する虐待、一族や舞に対する思い、自分が壊れていく感覚を止められなかった苦悩……………謝罪と懺悔、そして最後に『限界です』と」
限界…………………。
だが、それを見た所で、周りの混乱ぶりは凄まじかった。
流派全体で育て上げなければならなかった天才の突然の死は、その重責を最も背負っていた両親や家元を異常なほど狂わせた。
「母親は発狂して、屋敷の奥へ連れて行かれてたのを見た時は、もう皆が色んなプレッシャーに苛まれていたんだと悟った。まるで、化け物…………兄貴の才能は、その類い稀なる希少さで、多くの人間を飲み込んでた」
「化け物………………」
大和の脳裏に、父親の姿が浮かぶ。
化け物。
父親も、気付いたらそんな事を言われていた。
周囲の男達の憧れの眼差し。
何となく、わかる。
あの父親の強さがあったから、それが壊れずに太い柱となれているが、もしその力に飲まれてしまっていたら、『嵩原竜也』自身も多大な期待とプレッシャーに崩れていたかもしれない。
幼いながらに、父親を格好良くて羨ましと思っていた事への目線がにわかに変わる。
羨望を受けるとは、なんと想像を超える重任の世界か。
父親への尊敬の念が、子の成長へ一石を投ず。
尊敬だけで、なれる存在ではない。
「でも、これで俺も家を出られなくなったと思ってさ…………これからの自分をどうしようかと、慌ただしく動く家の中をぼんやり見ながら考えた」
末っ子ながらに、兄の消えた現実を見る。
あんな事があったのに、どこかスクリーンを眺めているような妙な落ち着き。
冷めたガキだと思ったが、冷めていた訳じゃなかった。
それは、後々気付くのだが…………………。
「そんな時に、アレを言われたんだ」
「アレ?…………………あ」
桜井が、以前口にした言葉。
『死ねば良かったのに……………』
死ねば良かったのに。
自分を見る桜井に、大和の表情は強張る。
兄の死を目の当たりにしたばかりの、桜井に………。
「二番目の兄貴は家元に付いてたし、俺は奥で泣き崩れる母親と父親の所へ行って、せめて側にでもいようとした矢先だった……………母親の声が、俺の耳を掠めた」
長く薄暗い廊下の先。
広い屋敷の片隅で、我が子の死に哀しみ狂う親の声。
何で、あの子なの!!
確か、そう言った会話であったと思う。
しばらくまともに話を交わさなかった自分は、なかなか声をかけられず、襖の影に潜んでた。
『何で…………っ……どうしたらいいのっ!もうどうしたらいいのっ……』
『文子っ、落ち着きなさい………っ………私達が、あの子を送り出してやらな……』
『嫌よ、私っ!嫌よ、嫌よっ!!見たくないっ、見たくないわっ!帰って来てぇ…………嫌ぁぁ』
『文子………………っ』
兄の遺書を握り締め、畳へ顔をうつ伏せ崩れる母親。
我が子を失った親は、多分誰もがこうなんだ。
半狂乱。
父親が支えようにも、それは狂ったように振り払われた。
無理もない、それほど兄はデカかった。
自分なんか出る幕じゃない。
自らの無力さを痛感した時、ドシンッと背後から何かに殴られたような衝撃が、全身を走り抜ける。
『……………だったら、良かったのに……………』
ひんやりとした廊下に響く、地を這うような嘆き。
だったら、良かったのに。
え………………何…………。
思わず耳を疑う言葉が、頭を真っ白にした。
『湊だったら……………良かったのに………』
『あや……………………』
『だって、湊は私達を避けてる!私達を嫌ってるでしょっ!!湊なら違ってたわ……………湊が、死ねば良かったのに……………っ』
何言ってんだ、この人。
母親の異常な精神を語る、父親の絶句した背中。
「それまでは、疎遠になっていても親だと信じてた。向こうも、こんな俺でもどこかで我が子だと思ってくれていると………………」
信じてた………………。
「み……………………」
「家柄に恵まれようが、両親が揃っていようが、俺に親なんてものはいねぇ…………兄貴の葬儀の後、俺は家を出た」
二度と、関わりたくはない。
顔の広い家から逃れる為、自分が選んだ世界は裏の道。
偽名を使い、極道者桜井湊は誕生した。
「案外平気に思えた身体は、そこから数年間兄貴と母親の悪夢に悩まされて、自分の感じる以上にダメージなんだって知ったかな………………」
体重が10キロは減って、悪夢の後は必ず吐き気を催す。
それを繰り返し、最近になって、ようやく悪夢にも負けない精神力がついた。
強くなった。
強くなったんだ。
きっと、もう負けない……………。
「大和……………これが、桜井湊の全部だ」
桜井は、最後に笑った。
全てを真っ向から聞いてくれた大和へ、感謝の意を表したのだ。
「湊……………………」
桜井湊の全部。
カーテンから溢れる夕日に映えた美しい笑顔に、大和は何を思う。
求めるものは、その眩しさ。
大和だからこそ、桜井は自分を晒した。
命を懸けて、こいつを支えようと決めたから。
ヤクザな、人生。
これからまた、それは始まる。
嵩原に引っ張ってもらった逸材は、高みを知る一歩を踏み出す。
「しがねぇヤクザですが……………どうか、宜しくお願いします」
大和へ対し、深々と頭を下げる桜井の礼。
目指すは、天辺。
愛する男を頂点へ。
「…………………アホんだらァ」
受ける瞳の景色に、それの清々しさが揺れ動く。
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