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恵まれた人生
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今まで、それなりの苦しさがあった。
それなり。
母親を早くに亡くし、父親がヤクザだと蔑まされ、17で若頭を名乗る、それなりの苦しさが。
でも、自分は恵まれている。
高橋の話を聞いた時、俺はそう思った。
「……………………………今から20年近こう前、私はある男に飼われとりました」
ダウンライトだけが辺りを照らす、リビング。
カーテンの隙間から見える真っ暗な世界が、一層と夜の深まりを強調する中で、高橋は静かに語り始めた。
あまり明るくしないで下さい。
普通ならムードある景色だが、高橋は哀しそうな笑顔で、そう言った。
多分、自分のそんな表情をあまり見られたくはないのだろうと、明かりを点けようとした大和は悟る。
ただ、スイッチに触れる大和の顔も、少し緊張していた。
父親しか知らない、高橋の過去。
イケナイ領域に足を踏み入れるようで、さっきとは違うドキドキ感が身体を襲う。
「か…………………飼われてた………………?」
「はい……………………私には、借金がありました。親が残した借金と、そのある男に騙されて出来た私の借金が。こう言う社会にいると、珍しゅうない話ですが………………それは、まだ十代だった私では、到底返されへん額でした。返されへんなら、身体で……………私はそれの形に、飼われとったんです」
人を、飼う。
ペットの様な感覚で、人を飼う。
信じられない話だが、それが罷り通る世界がある。
まさか、そこにこの高橋が入っていた。
この高橋が。
「高橋…………………………」
もう、ここまでで既に泣きそうだ。
常に、冷静。
常に、完璧。
父親を支え、自分を支え、自分よりも主の為に力を尽くしてくれる高橋を、飼う。
どんな奴やねん…………………!!
今すぐ、ぶん殴ってやりたい。
大和はやるせなさで、ソファの肘掛けへ置いていた拳を握りしめた。
「男の名は、黒河。関西の裏社会では名の知れた、高利貸です…………………………あの頃で、もう60は超えとった思います……………………でも、欲にまみれ、自分の生き様しか興味のない男は、歳よりも遥かに生気に満ちていました。目はギョロギョロし、恰幅の良い身体に脂ぎった顔。汚ないやり口で、多くの人を食らうて来た悪党の象徴的な、まさに外道」
ただ、見た目が人の形をしていただけ。
外道に、情などない。
人間らしい扱いなど、一度もされなかった。
何年経とうと、記憶の中の黒河といた数年間は、地獄絵図でしかない。
「……………………………私は」
ボヤァッと、リビング照らし出すダウンライトを見つめ、高橋は振り絞る様に辛い時代を振り返る。
「私は、その外道に…………………毎晩々、娼夫のように抱かれとったんです」
愛する人に、自分の穢れた姿を伝える。
なんとも、辛く、身の引き裂かれるものか。
大和の顔が見られない。
ボヤけるライトだけが、高橋の視界を埋めていた。
そして、それを聞く大和の瞳もまた、何を見ているのかさえわからなくなった。
「え…………………………」
毎晩……………………。
自分から目を逸らし、遠くを見る高橋の言葉に、大和は崩れそうになる。
本当に信じ難い話を聞いた時、人は何も反応出来ない。
大好きな、高橋。
どんな時も側に居てくれた、大好きな、高橋だ。
その高橋が、毎晩……………………汚ない外道に、綺麗な身体を貪られ続けてた。
可哀想?
そんな一言では言い表せられない非情さが、大きく波打つ心臓を、突き破ったかのような痛みを生む。
「当然ですが、そこに愛もなければ、快楽もない。痛くて苦しくて、ただただ夜の数時間が終わるのを待つ日々…………………黒河が満足しなくて、喘げと言われれば喘ぎ、しゃぶれと言われればしゃぶる。どんな行為も、拒否なんて出来しません。全てが終わった後は、身体が真っ赤になるまで洗うんが日課でした」
微かに漏れ出る高橋の息さえ、哀しみに満ちる。
まだ十代の少年が、毎晩弄ばれる日々がどんなものであったかなんて、同じ十代の大和には、思い描く事さえ憚れる気がした。
人の人生は様々。
様々………………だが、そこに多くの差が出来ている。
普通に生きられる事の、なんと尊い事だろう。
「なんや…………………それ………………」
毎日。
楽しい事は、あっという間に過ぎるのに……………………高橋の一日は、さぞ長かったに違いない。
やっと声を出せた時には、大和の唇は僅かに震えてた。
「それでも、まだその辺りは良かったです………………しばらくすると、黒河の贔屓筋へ奉仕せえ言われ、変態の成金らにも抱かれるように………………」
「は…………………………」
「も…………………さすがに、生きとうなかった……………生きとうなかったですが、死なせてももらえへん。私の部屋は、黒河の部下によって24時間カメラで監視され、妙な動きをしたら直ぐに止められる。段々、自分が生きとんか死んどんかさえ、わからんようになって……………どっかで、心を閉じたんでしょうね……………感情なんぞ、のうなっとりました」
屍。
簡単に言えば、それだ。
感情もない。
食欲もない。
性欲なんて、ある筈もない。
毎日、自分の死を待つだけの生活。
「高……………………………」
そう呼びかけて、大和は顔を伏せた。
涙が、込み上げる。
高橋の苦しみを考えると、どうしても涙が溢れそうになる。
だけど、目の前の高橋は泣いてなんかいない。
自分の為に、辛い過去を語ってくれている。
自分が泣いてどうする………………!
握りしめた拳に爪を立て、大和は必死にそれを堪えた。
「そんな毎日の中で、私は決定的な生き地獄に陥ります……………………」
「へ………………………まだ………………」
まだ、何か………………………。
正直、もう聞きたくないと思った。
高橋の過去の残酷さに、自分が耐えられなかった。
哀しくて、哀しくて…………………大和は、踏ん張っても踏ん張っても込み上げる涙と、ひたすら戦った。
それに、一度も自分の方を見ない高橋の顔が、この話の絶望を物語っている。
「その内……………………黒河は私に、借金の回収もさせ始めたんです………………………」
そこから、本当の地獄へと滑り落ちる。
本当の地獄。
俺は、なんて事を………………………。
これだけは、今まで片時も忘れた事がない。
「………………………………回収?」
「ええ…………………………回収です」
回収。
体の良い言葉である。
高橋はゆっくりと呼吸をし、自分の手をじっと眺めた。
どんな理由があるにせよ、罪は罪。
消し去る事は、許されない。
「借金の回収が見込めない債務者に保険をかけ、その命と引き換えに金を出させる…………………回収」
「ま………………………まさか、そ…………………」
それって………………………。
「………………………………人殺しです」
思わず、ソファから立ち上がりそうになった大和の前で、高橋はそれを口にした。
人殺し。
「…………………しは……………………私は、黒河の命令で、何人もの命を奪っ……………て…………………」
詰まる高橋の声が、全てを露にする。
「た……………………高…………………」
無理だった。
高橋の姿を見た瞬間、大和は溢れるものを止められなかった。
何故なら………………………。
「……………………若…………………っ」
高橋が、泣いている。
やっと自分を見てくれた瞳は、溢れんばかりの涙で揺れ動き、哀しい光の筋を頬に垂らす。
「すみま……………せ…………んっ…………………私は……………私は、人殺しなんです……………………っ」
自分は、いつも誰かしらの大人に守られて来た。
父親だったり、安道だったり……………高橋だったり。
それのどんなに幸せな事か。
多分、明日からまた世界が変わる。
高橋の涙は、それだけの衝撃を大和へ与えた。
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