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素顔
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完璧な人間などいない。
でも、完璧を演じれる人間は、稀にいる。
「伊勢谷さん……………………っ」
長い廊下に映し出された窓枠の影が、向かいの壁にまで届き始めた時刻。
真上にあった太陽が傾き、西日が世界を茜色に染める。
大和との話を終えた山代は、廊下を歩く伊勢谷を見つけ、引き止めた。
「…………………………山代さん」
山代も美しいが……………この男は、また世界が違う。
柔らかな茜色を浴び、振り返る伊勢谷の目を惹く美しさ。
不思議そうに自分を見る伊勢谷に、さすがの山代も一瞬息を飲んだ。
ただでさえ茶色い瞳がより濃さを増し、白い肌と鮮やかな茶髪の中で、それは上手く調和されている。
ヤクザは、似合わない。
パッと見は、そう思う。
「高橋さん、見なかった?」
「高橋さん………………ですか?」
珍しい。
そうとでも思ったのか、伊勢谷はじっと山代の目を見つめた。
キラキラと、星でも描かれそうな綺麗な瞳で、じっと。
密偵として動いていた伊勢谷の潜在的力は、不明である。
密偵No.1とは、度々耳にして来た山代も、本当の実力はいまだ見た事がない。
密偵No.1。
あの嵩原がそれを認めているのだから、多分相当なのだろうと思っている。
今、自分の目を見つめる伊勢谷の姿は、明らかにその片鱗を見せる程の鋭さを、覗かせていた。
「心配されなくとも、少し用があるだけです」
山代は、高橋の名に反応する伊勢谷へ、笑顔で答えた。
わかっている。
自分に、気を許していない訳ではない。
高橋の影響力が、強い。
関東支部が出来上がり、今まで以上に竜童会へ入り込んで、山代は一つ学んだ。
伊勢谷は、高橋に育てられたから特別だと思ったら、そうではない。
有無も言わさず結果を出し、嵩原と大和の絶大な信頼を得ている意味は、大きい。
高橋に対する組員達の眼差しは、まさに組長、若頭に近いものがある。
「すみません……………心配はしとりませんが、高橋さんの事となると、自然に………………」
自然に、警戒してしまう。
申し訳なさそうに苦笑いする伊勢谷からは、そんな声が聞こえた気がした。
大和の絶対的右腕、高橋。
越えたいと思うが、こんな様子を見ると、なかなかどうして……………………目の前の壁の高さに、心の中で溜め息が漏れる。
皆、『高橋』なのだ。
「いえ、わかってます」
それでも、山代も笑みを崩さない。
ここで、本当に溜め息を漏らしたら、負ける。
負けたくはない。
極道の世は、下克上。
そこを狙える実力を持っている男なら、闘志の一つや二つ、胸に抱くもの。
「……………………高橋さんなら、地区の事務所トップらと話を」
「話………………………?」
「あ、でも今は………………………」
カツンカツン………………………
関東支部2階は、組員達が其々に会合や休憩の出来る15畳ほどの個室が、10室ある。
その一番奥に。
伊勢谷が教えてくれた。
ただ…………………。
『今は、声をかけられへんと思います』
かけられへん。
長い螺旋階段を上がりながら、山代は真顔でそれを言った伊勢谷の姿を、思い浮かべていた。
「かけられへんか……………………」
長い、長い階段。
自分の呟く声と、靴音だけが耳に響く。
以前なら、こんな階段はまず上れなかった。
「…………………………遠いな、高橋さんは」
階段の行く手を見上げ、山代は口元を緩める。
最新の機能を使用した関東支部には、勿論エレベータがある。
誰もがそちらを使う中で、山代はあえて階段を使う。
一つ一つ、自らの足で踏み上がる実感。
些細な事だが、生きている幸せを肌で感じる。
そして、上がりきった時にいつも思う。
「はぁ………………………」
少しだけ息を吐き、2階のフロアから窓の外を望み、思うのだ。
早く、大和に高い景色を見せてあげたいと。
「それが出来たら、何も要らない」
何も要らない。
高橋が思うのと同じ様に、山代もそれを願う。
それを。
愛する想いと、ヤクザとしての信念。
この人の為に、人生を懸ける。
そう言う人に出会えた事が、山代の最大の喜びだ。
「何ですか、これ……………………」
静かな廊下に漏れ出る、高橋の厳しい声。
一番奥へ近付いた時、山代はいつもとは違う高橋の口調に、足を止めた。
「いや、何ですか………………言うか…………」
「言うか?……………………そないな生温い話、私はしとるつもりありませんけど」
中には、多分各地の事務所を任された、組の幹部達がいる筈。
だが、誰もいないのかと思う程、静まり返ってる。
「少し…………………開いてる………………な」
近付いた山代は、ドアが閉まりきってなかった事に気付き、チラッと中を覗き込む。
多くの幹部達が椅子に座り、その前に高橋が立っていた。
「…………………………あれが、高橋さん?」
ヤクザの世界にいて、厳つさには慣れていたが、隙間から見える高橋の姿に、山代は久々に本物の強者を見る。
端整な顔立ちに、笑みのない表情。
睨みの利かせた、険しい目。
大和の側にいる高橋とは、また全然違う。
極道者。
まさに、それ。
「せやけど、高橋…………………この店は、館川組がシメとる。簡単に手出しは……………」
「でも、竜童がええ言うとるんですよね」
「そ…………………それは…………」
この店。
しのぎ先の話でもしているのか、地図を見ながら高橋と幹部の一人は話を続けている。
「館川組か……………………」
名前が上がった館川組に、山代も僅かに渋い顔をした。
関東でも古い組で、なかなかの荒手。
幹部の者が、ちょっと慎重になるのもわからないでもなかった。
「だったら、ウチで世話したったらええでしょ。何処の組が介入しようと、私らは竜童会です。負けは認められへん…………………親父や若に、黒付ける気ィですか?」
しかし、高橋は全く気にせず、そこに食い込んでいく。
「そんな話は言うてへん………………っ」
バンッ…………………………!
大柄な男のビクッと揺れる身体と、机を叩く高橋の拳。
「ゴタしか抜かせへん奴は、要らんのや…………出来ひんのやったら、サッと引いて下さい。竜童の幹部になりたい言う組員なら、いくらでもおるんです…………ここをシメたら一シマ上げられる時に、つまらん尻込みすんやったら、私が話つけますさかい、関西へお帰り願いますか」
一気に空気は重くなる。
自分が動く方が、早い。
きっと、高橋はそれくらい思っただろう。
けれども、ここは大和の関東支部。
大和の関東支部を強くさせる為に、高橋は嫌われる覚悟で幹部達に発破をかける。
「……………………さすがだな、高橋さん」
出来る高橋に言われたら、誰も反論など出ない。
ましてや、やっと手に入れた幹部の座は、当然捨てたくもない。
必然的に、するしか道がなくなる。
生温い世界でないからこそ、高橋の指導も厳しさを増す。
楽しむ時は思い切り楽しみ、ヤる時は一ミリの油断もない程にヤり抜く。
これが、竜童会。
「竜童会の強さの秘密を、見た気分だ……………」
逆に、山代にも新たな闘志が湧いた。
「確かに………………声は、かけられないな…………」
そうして、山代は他の幹部とも話を始めた高橋の様子を、ただ黙って眺めた。
黙って。
『高橋の事………………少し気を付けてもらえるか?』
『高橋さん…………………?』
ここへ来る前、山代は大和にそう頼まれた。
『あ…………………変な意味やない。その……………最近、ちょっと体調崩してな………………無理してへんか、山代の目でおかしい思うたら、俺に連絡欲しいねん』
妙だとは、思った。
思ったが、言わなくていいと言ったのだから、大和の意向に添いたいと思う。
「……………………高橋さんに、何かあるのか…………」
完璧と謳われる、高橋に何か?
完璧。
「完璧な人間なんて、本当にいるだろうか?人間は、何処か欠けてるから人間らしいんだ……………………高橋さんだって、見せられない素顔があってしかるべきだろう…………………」
特に、この世界に身を置く人間には、様々な陰が見え隠れする。
様々な陰。
「見せられない素顔…………………それを守る為に、自分を演じるも、また人間か…………………」
高橋がそうかは、わからない。
だけど、生きたいと思えば、人間何でも出来る。
例え演技でも、その努力が素晴らしい。
「どんな高橋さんでも、私は尊敬します」
高橋が元気そうな様子を見届けると、山代は来た道を静かに戻った。
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