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番外編 愛のトラウマ
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玄関に迎えに出ると、この部屋のもう一人の主が疲れた様な微笑みを浮かべて立っていた。
それを見てヒヤリとして、思わず目を伏せた。
「お、お帰りなさい、あの…。」
もう随分と昔の話だが、今も鮮明に憶えている。
「…ただいま、英彦…。」
ドアが閉じるなり抱き締められ、どんどん嫌な記憶がフラッシュバックした。
何かを思い詰めた深刻な表情。抱き締める力の強さ。首筋に埋められた鼻先が、この匂いを確かめる様に擦り寄せられる。
「ゆ、裕一郎さんっ…!」
胸が苦しくなった。吸い込んでいるのに上手く酸素を取り込めなくて、目の前が真っ暗になる気がした。
慄き、膝が崩れそうになって、そうでなくてもしがみついた。
「別れませんからっ…! 絶対に、わ、別れたり、しませんからっ…。」
呼吸がいよいよ苦しくなって、だけど、腕を弛めたり出来ない。
涙が溢れ出して、仕立てのいいスーツを濡らした。
「えッ!? うわ! ちょっと、英彦っ…。」
無理に身体を離した目の前の男前が、心底驚いたと言うように、口も半開きで間抜け顔を下げている。
涙は止められないし、今きっとグズグズで雨の後のぬかるみの様な顔だ。
だけど、そんなことを構っていられなかった。
「裕一郎さんッ…。」
まだしがみつこうとする両手を掴まれ、緊張でビクッと身体が固まった。
「ご、誤解だよ。別れるなんて、あるわけがないだろう? どうしてそんな風に思ったの?」
そう言って、いつもの様にふわりと抱き締めた手が、そのまま優しく背中を摩る。
20年前自分と別れる前にも、今夜みたいに思い詰めた様子だったと、恨みがましい目つきで教えてやったら、そんな前のことよく憶えてるね、と苦笑しながら、バツ悪そうに唇を噛み締め、目を伏せた。
「忘れたくても忘れられませんよ。」
こっちはこっちで、いい歳してボロボロ泣いて、恥ずかしいったらない。
憤然と、サッサと風呂にでも入って下さい、と言って、冷たくその場に置き去りにしてやったのだった。
パーティーの時は、ろくに食べられないと分かっているので、簡単な鍋を準備していた。
風呂上がりの時間に合わせて火を入れる。
自分でも簡単にできる鍋料理は、最近ネットを活用すればバリエーション豊富に変わり鍋を楽しめるし、忙しい身には嬉しいのだ。
健康に十分気を配りながら何品も料理するのはやはり難しいし、かと言って、人生の半ばを過ぎた身体は、労わってやらねばいつ反乱を起こすか分からない。
出来るだけ長く、一緒にいたいし…。
「…。」
まずい。今裕一郎さんが上がったら、この真っ赤な顔の説明に困る…。
「? どうしたの? 一人で可愛い顔して慌てて。」
逃げようとしたが一歩遅かった。
音もなく後ろから抱き締められ、俯く首筋に暖かく柔らかな唇を感じた。
「鍋が、…出来ましたけど?」
「ん、そうだね。…美味しそうだ。」
鍋を見ないでこちらを覗き込む横顔は、色気が滲み出ていて、耳元で響く、低くて渋い声が…、また、…!
「ど、どこを触ってるんですかッ…。」
腰にあったはずの手が、左手は上に、右手は下に、いつの間にか位置を変えている。
「ん…。君の可愛いところ。」
鍋の傍で危ないですよ、と言う間にも、手は止まらない。
不意に首筋を、痕を残す様に強く吸われて、ゾクゾクッと快感が駆け抜けた。
「ッ…、そんな所に、痕を、…! アッ…!」
声が上ずって恥ずかしさに目をギュッと瞑った。
やはり何かあったんだろう。いつもは、私の立場や外聞に気を配ってくれて、こんな見える所に痕が残る様なことはしない。
「あ、あ…っ、ゆう、いちろ、さ、ンッ…!」
こ、腰が、抜けそ…、に…っ。
服の上からのゆるゆるとした刺激が、どんどん思考を奪おうとする。
完全に翻弄されてしまう前に、ガシッ! と足を深く踏ん付けた。
イタッ! と声がしたところで、やっと手が止まり、ホッと一息つく。
「酷いことするなー。」
イイトコロだったのに、と優しく微笑んで、さり気なく鍋つかみを取り、食卓のIH調理器の上まで熱々の土鍋を運んでくれた。
「君も先に風呂に入ってくる?」
ニヤニヤして…。
険しい顔で首を横に振った。今風呂に入っても、一人でゆっくり、は無理な気がする。
さっきは頭が冷えていたから…直ぐに治まるだろう。
「何があったか、話して下さい。もうさっきみたいに不安にさせないで下さいね?」
にこやかに冷水を浴びせた。
「ごめんごめん。」
そう言って、困った様な、慈しむ様な、それでいて、切なさが胸に迫る様な複雑な微笑みをして、ゆっくりと頭を撫で、そのまま後頭部を引き寄せてそっと抱き締めてくれた。
その仕草がいかにも甘やかされているという感じで恥ずかしくなったが、こちらも負けじと背中に手を回し、トントンと優しく叩いた。
二人安心感を確かめる様に、少しの間そうしてから、どちらからともなく食卓についた。
そうして、幸せに鍋をつつきながら、やがて今日あった一切を聞かせて貰ったのだった。
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