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出張旅行
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あれは年明け早々のことだ。
野川と二人、学長室に呼び出された。申し訳なさそうに藤沢と石倉が切り出したのは、今の黒木にとって、些か辛い頼みだった。
「奈良女学院大学、ですか?」
「うちの研究提携校なんですよ。夏休みに一度、情報交換という名目で教員同士行き来があるんですが、毎年1月の末の土曜日にも懇親会があって、しかも今年は向こうへ出向かなければいけないんです。」
「今年は、石倉先生がいらっしゃるとうかがいましたが?」
野川の言葉に、藤沢が軽く頷く。
「いやー、そのはずだったんだけどね…。」
「実は、医者から少し過労気味だと言われたんです。大したことはないんですが、藤沢先生STOPがかかってしまって。」
野川は、驚いた顔をして石倉を気遣う。
藤沢が石倉を心配するのは当然のことと言える。
彼が学長と学科長を兼務できているのは、石倉が側で非常に効率良く補佐し続けているからだ。
石倉が倒れても、そう簡単にその穴を埋められる人物はいない。
藤沢は、苦笑いしながら、代わりがいなくて参っていてね、と呟いた。
「みんなそれぞれに忙しい時期でしょう。黒木先生が一番良いということになったんですが、そうすると、野川先生にも行ってもらわないといけないかな、ってね。」
藤沢は事もなげに言い、自分とて多忙な野川も、お人好しな事にしかと頷いていた。
苦笑いを浮かべる石倉を前に黒木は、背筋を寒くした。
「しかし、懇親会で奈良と言うと、…泊まりですよね?」
「ええ、そうなりますね。」
石倉の気軽な返事が、更に胸を苦しくさせる。
深刻な表情になってしまったのだろうか、野川からの視線を感じ、慌てて笑顔を作った。
二人きりで出張旅行ができるなんて、本当なら心が浮き立つ程幸せなことではないか。
「我々がいつも利用するのは、あちらの大学に近い“飛鳥路”という温泉宿です。そこなら一部屋既に確保してありますから。」
…?! えっ…温泉…? と口には出せないまま動揺する。
「一部屋、ですか。」
「ええ。? …一部屋では不都合ですか?」
石倉との会話を聞いて、野川がこちらを見やる。その目は、いつもと何ら違わない様に見えたが。
「いえ。決してそんなことはありません。」
前回の出張では、あれ程話に花を咲かせて夜を過ごしたのに、まさか今度は部屋を分けたいなどとはどうしても言えなかった。
それに、こちらだって好きで別の部屋にしたいと思っているわけではない。
「また話し込んで、野川先生に夜更かしさせてしまうといけないと思いまして。」
あくまでもにこやかに答えると、
「なるほど。」
と石倉も野川も微笑って、その場は和やかに収まる。
結局藤沢の、行っていただけますか、との言葉に快く頷くしか道はなかった。
「他大学の先生方とお話しできる貴重な機会ですから、見聞を広めて来たいと思います。」
内心の動揺を何とか押し殺して綺麗に笑顔を作って見せ、黒木は、野川とともに学長室を後にした。
…野川といると、その一挙手一投足に目を奪われ、その笑顔を見れば心攫われ、後を追う時にはその背に手を伸ばしたくなる。
こんなことで一泊旅行が無事に済むのか、甚だ怪しい。しかも温泉だなんて…、
「…先生…、…ですか? 黒木先生? 聞こえていますか?」
「!え!? あ、はい! すみません、何か?」
「引き受けてしまいましたが、大丈夫ですか? とお聞きしました。」
「大丈夫、とは…、それはどういう意味でしょうか?」
野川の言葉にギクリとしながら、平静を装う。
「あの…、いえ、分からなければ良いんです。」
野川は、曖昧に微笑んだ。
「そう、ですか…?」
気にはなったが、室に着いたため、挨拶もそこそこに別れた。
「温泉…、おん…!……。」
野川の、浴衣姿や入浴中の情景がちらついた。
酒が入って、浴衣は着崩れ、ちょっと緩慢になった舌で、あの声で、自分を『黒木先生』と呼ぶのだろうか。
頰を上気させ、口元から目を覆った。心臓が呆れるほど鳴っている。
両手で音がする程、頰を叩いて首を振った。
こんなことをしている余裕はない。論文の資料集めと、まずは叩き台を書かなくてはならない。
ド素人が、師とも仰ぐ人について行かねばならないのだから、最初から全速力でなければ。
「参ったな…。」
黒木は、思い切る様に溜め息を吐いた。
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