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貴方を諦めるのに
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客室に戻り、戸締りして、灯の落ちた室内へ入ろうと襖を開けたその瞬間、黒木は驚き、その余りに、かなりの速度で、また襖を閉めた。室に背を向け、胸いっぱいに深呼吸する。
野川が、眠っていた。
いや、それはいい。問題は、何故か布団に入らず、布団の上に寝ていることだ。
熟睡している様子だった。
まるで理性を試されているみたいだ。
…唇は開き、顎が上がって、綺麗な首筋が見えた。帯は体の中心付近で頼りなげにして、鎖骨や胸板がちらりとのぞき、疲れているのか、白く浮かび上がった左腕は頭の上に投げ出され、さらには右足の膝上まで裾がはだけて…。
たった一瞬であったのに鮮明に焼きついた野川の寝乱れた姿は、黒木の目には何もかもが煽情的に過ぎた。
先日の、夢で見た野川の、淫らに欲を追いかける艶めかしい肢体が頭の中を蝕む。
「……っ。」
苦痛に、顔を歪ませ、両肘を抱える。
夢を思い出してはいけないと思えば思うほど、声を、腕の重みを、合わせた肌の感触を探してしまい、抱えた両肘に爪を立てた。
「水…。」
思わず呟いた。
頭を冷やさなくては。
しかし、あいにく仲居が届けてくれたポットは、室の奥、広縁の小さな台に置いてある。
気が遠くなる様な思いだが、これからまた室外に出るには、今夜は疲れ過ぎていた。
目を背けながら、広縁までどうにか歩いて、冷水にたどり着き、一気に二杯も飲み干すと、身体中が心地よく冷えていく。
あの酒は濃かった。野川はそれを五杯飲んだというから驚きだ。
強いとはいえ、少々飲み過ぎたのだろう。
「…。」
動揺を振り払うために、細く、長く、溜め息を吐いた。
…野川をこのままにはして置けない。
何とかしなければ、風邪を引いてしまうかも知れない。
できるだけ見ない様に、先ずは浴衣を直し、そして空いた方の布団を引き寄せ、掛け布団を捲り、野川の身体を横抱きにした。
体格には差もあるし、野川も標準より随分軽いはずだが、なかなか重い。しかし何とか起こさないまま移すことに成功して、ホッと息を吐いた。
途中、少しだけ抱き締めるように力を込めてしまったのは、不可抗力というものだ。
…次からは、必ず2室押さえなくては。
大人しく、布団に収まった野川の、綺麗な寝顔を見下ろす。
心臓は、相変わらず高鳴り、呼吸が少し乱れてしまうが、冷水が効いたのか、頭は、まだ冷静だった。
野川を閉じ込める様に、顔の両横に手をついてみた。いつも自分を惹きつけてしまうその罪な唇を、切なく見つめる。
思いを告げられないのは野川に嫌われたくない自分の弱さだ。
告げないなら今まで通り傍近くで笑い合っていなければならないのに、それが今の自分には難しい。
繊細で傷つきやすいこの美しい人を誰よりも守ってやりたいと思っているのに、自分が一番傷つけている。
貴方を諦める方法を、教えて欲しい…。
「……。」
静かに、そっと。目を閉じて、一瞬の夢を見るのにふさわしい夜の中、実体の無い者の様に口付けた。
そうして、迫り上がる痛みと、愛おしさ、複雑な心情の何もかもを耐えて、噛み締め、嚥み下す様にじっと唇に触れた。
最初で最後だろう、二度と触れることは無いのだろう、考えない様にしても無駄だった。
唇を合わせていたのはほんの少しの間。
それを恋の形見にするには、余りにせつな過ぎる。
野川の眠っている寝具を静かに元の位置に引き離し、自分ももう眠ってしまおうと今まで野川が眠っていた方の布団に潜り込んだ。
「…ッ…」
野川の温もりが鮮やかに残るそこで、黒木は、野川に背を向け目蓋を結ぶと、苦しく湿った溜め息を吐いた。
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