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七夕 その10
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休憩を終えた陸上部員達は再び練習を再開した。
中、長距離組はインターバルトレーニングを開始。
インターバルトレーニングとは、強弱をつけた運動を交互に行う、または休憩を挟みながらも高負荷と低負荷の運動を繰り返していくトレーニング方法の事。
有酸素機能を高める為に有効とされる。
まずはダッシュで200m。
それから200mをジョグで移動。
これでグラウンドを一周した事になる。
スタート地点に戻ったら再び200mダッシュ。
その時によって本数が増減する事もあれば距離が増減する事もあるが、この繰り返しを6本というのが今日のメニュー。
長い距離を走る為には脚力と心肺機能を鍛えなくてはならない。
インターバルトレーニングはこの二つを同時に鍛える事が出来るのだが、数ある練習方の中でもきついと言わている。
最初から全てに全力で挑めばもちろん後半は苦しくなる。
だからと言って力を抜いてしまえば当然効果は落ちる。
自分をどこまで追い込めるか。
精神力も必要となる。
「調子が悪いと思ったらすぐに言えよ!いくぞ!」
山梨の手の打つ音で中、長距離組の半数が一斉に走り始めた。
その様子をじっと見つめているのは瀬川。
高島は離脱したまま、まだ戻らない。
とにかく今日は暑い。
熱風となった空気は荒い呼吸を繰り返す度に喉に貼り付く。
酸素が薄く感じられるのだ。
休憩中に十分な水分補給をするよう声は掛けた。
だがこの暑さでは水分補給をしたそばから汗となって流れ出ていく。
この暑さの中でのインターバルがどれ程辛いものなのかを知っているからこそ、瀬川は後輩達の様子に特に気を配る。
山梨達がジョグに入ったら今度は瀬川を含めた半数がダッシュを始める。
瀬川は瀬川で自分を追い込まなくてはいけない。
そうなれば当然周りの事を細かく考えている余裕はなくなる。
陸上部員達は誰もが真剣に練習に取り組む。
楽をしようと手を抜く者はいない。
もちろんプラス要因なのだが、それは時によってマイナス要因にもなりうる。
特に一年生は成長がめざましく、その分自身の体力の限界を掴みきれていない。
更に一年生が入部して来てからおそらく一番の暑さ。
何度も行ってきたこのメニューの感覚を覆す程に辛く感じるだろう。
いつ誰が高島のように体調を崩してもおかしくはない。
少しの体調不良で済めばいい方だ。
熱中症にでもなったら命の危険もある。
無理はさせられない。
だから余裕のある今のうちにおかしなところがないかを細かく観察する。
内海は今日は身体がよく動いている。
その分前半飛ばしすぎる可能性あり。
枚方も調子が悪い感じではないが、性格的に少し無鉄砲なところがある。
おそらく山梨について行こうとするだろうが、それならそれで山梨が気を配るだろう。
一人一人の様子を元に憶測を飛ばす。
次にこれから共にスタートする一、二年生達に視線を移す。
重森は少し疲れてきている。
「重森、ダッシュは80%の力で走る事を意識してね。いきなり80%じゃなくて徐々に加速。とにかく最後まで走りきる事を頭に入れておいて」
「分かりました!」
「落合も80%を意識して。早く走ろうとするとフォームが乱れるから、歩幅を広くするんじゃなくて足の回転数を上げていつものフォームを保つように」
「はい!」
「永島も無理はしないでね。でも手を抜くような人間じゃないって信じてるよ」
「はい!」
そろそろ山梨達がジョグに入る。
「とにかくみんな無謀な走りはしない事。少しでもおかしいと思ったらすぐに声出してね。ジョグに入ったら呼吸を整える事を意識して」
山梨達が200mのダッシュを終えペースを落とした。
「いくよ!よーい!」
手を打ち自身も走り出す。
これから走る距離はグラウンドを六周。
2400m。
3000mを専攻している瀬川にとって距離としては短く感じられる。
でも、いつもその倍以上の距離を走るロードワークよりも何倍も辛い時間が待ち構えている。
どうか全員が無事に走り終えますように。
そんな願いを胸に瀬川はグラウンドを駆け抜けた。
一方フィールド、短距離組はそれぞれの種目に分かれてのメニューを行っている。
走り高跳びを専攻している八人は緒方と秋月を中心とし、踏み切りの練習の真っ最中。
高さのあるバーを越えようとする時に、全力で加速してしまっている選手は多い。
確かに高く跳ぶために加速は必要不可欠だ。
しかし全力で加速してしまうと力が前方に向いてしまい、その分高さを出せなくなってしまう。
走る事で生まれるエネルギーを、跳ぶ為のエネルギーに変換する事が出来なければなんの意味もない。
助走の力を前方ではなく真上に向けることが、走り高跳びで上達するために大切なポイントだ。
その為には加速だけにこだわらず、踏切を意識した助走のを身に付ける必要がある。
「みんな助走に気ぃ取られすぎ!秋月!一本跳んで!」
「分かりました」
緒方の指示で細身の身体が美しく空を舞う。
「さすが…」
緒方はニヤリと小さく笑った。
どんなに暑くても集中を一切乱す事のない秋月の跳躍は見事と言う他にない。
「次田中!なんも考えないで今の秋月の跳躍をイメージしながら跳んでみろ!」
「はいっ!」
まだ少しぎこちなく田中が跳んだ。
「そう!今の感じ!頭で考えながら跳ぶんじゃダメだ!正しい感覚を身体に覚え込ませねぇと!じゃないと大会でキンチョーしてパニックになるぞ!」
普段はあんな感じでも、緒方はこの部で一番の実力者だ。
生まれ持った長身と身体能力を更に磨き上げ、圧倒的に美しい跳躍は誰をも魅了する。
あまりの美しさにその跳躍にばかり注目が集まりがちではあるが、別に緒方はなんの努力もせずに今の実力を手にした訳ではない。
積み上げて来た日々があってこそのもの。
今でこそ指導をする側だが、緒方にだって指導をされる側だった時間もある。
緒方はあまり頭が良くない。
物事を言葉で理解するのが苦手。
その分感覚を研ぎ澄ます。
ごちゃごちゃと考えるよりも直感で動くタイプだ。
一度感覚を掴んでしまえばこちらのものだが、言葉での理解を苦手とする分、例えば同じ指導者に同じ事を言われたとしても、言葉を理解する能力に長けている秋月の方が飲み込みが早い。
更に秋月は器用だ。
身体能力にも恵まれている。
うかうかとしていたらあっという間に追いつかれてしまう。
でも緒方は秋月と同じようには出来ない。
その分緒方は自身が納得するまで何度でも何度でも課題に体当たりで挑む。
考えてもどうにもならない。
とにかく身体を動かし言葉ではなく身体で学ぶのだ。
そうして積み上げて来た日々と感覚を手にして、緒方光介という選手はここに立っている。
そしてその研ぎ澄まされた感覚は時に秋月がまだ自身で気づく前の変化さえも見抜いてしまう。
ここまで言えば緒方の努力とセンスが人並みならないものである事が伝わるだろう。
その緒方が必死に指導を飛ばしている。
もちろん感覚というのは人それぞれ。
感じ方が違えば表現方法も違う。
「あーっ!飯野!そこ!そこの踏み切りの直前がこう!違う!いや違くはない!惜しい!いい感じにはなってきたんだけど!」
熱くなった緒方独特の感覚と身振り手振りを交えての指導が始まった。
集中している時の緒方はゾクリとするような気迫を纏う。
普段の騒がしさを全く感じさせない姿はまるで別人のようだ。
だがしかし緒方はやはり緒方なのだ。
「ここ!ここで腕の振りがえいっ!ってなるだろ?!そん時になんつーか!こう!もっとぐっと!それからぐわっと!バネみたいに!こんくらいよりこんくらいのがデカいだろ?!デカい方のイメージで!」
はっきり言ってちんぷんかんぷんだ。
憧れの緒方の指導を一年生達は必死な顔をして理解しようとしている。
しているが分からない。
緒方が熱くなればなるだけ分からない。
ここで高跳び組の頭脳が本領を発揮する。
「つまり飯野は重心が下がりきってないんだ。バネってたくさん縮んだ方が弾き出す力が大きくなるでしょ。腕の振り上げと合わせて力を上に持って行きたいんだから、バネを強く弾き出すイメージで一度ぐっと重心を落とす事をもっと意識してみて。緒方さん、こういう事ですよね」
「さすが秋月!それ!そういう事!」
一年以上の年月を経て、秋月は緒方の立派なパートナーへと成長した。
緒方が感覚で物事を言い、それを秋月が解説する。
これがいつものパターン。
緒方の感覚は鋭い。
秋月よりも遥かに鋭い。
でも説明は下手だ。
しかも熱くなり始めると手が付けられない。
対して秋月は冷静で頭脳明晰なだけあって説明が上手い。
更に秋月もかなりの実力者だ。
緒方の言いたい事を瞬時に理解し、納得したうえで適切な言葉に言い直す。
この二人が揃うと見事なコンビネーションが発揮され、一年生にとって非常に適切で分かりやすい説明となる。
秋月は緒方に強烈な憧れを抱いている。
ちんぷんかんぷんな緒方の説明をなんとか理解し身につけようと毎日必死に食らいついてきた。
全神経を集中させて緒方の説明を聞き、緒方の跳躍から技術を盗む。
そうやっているうちにいつしか秋月は緒方の言いたい事が分かるようになった。
気づけば緒方の一番の理解者として周りから認められるようにもなった。
この二人が揃って大舞台へと駒を進める事は、一年生のみならず全部員にとってそれはそれは誇らしく思えた。
「理人!今の最後うへぇ〜ってなってる!」
「今跳んだのは清人です。清人、クリアランス流れてる」
「あーっ!柴田はもりもり!」
「力入ってる」
「笹倉!もうちょいくくくっと!」
「顎引いて」
「清人はにょろけてる!」
「今度は理人です。理人は雑になってきてる」
もはや日本語ではない。
時折緒方が双子の名前を間違えて、あまりの難読ぶりに笑いが起こって、それでも充実した練習を行った。
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