アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
七夕 その13
-
部員達がわいわいと足の生えた鶴を折っているその頃、職員室では陸上部の監督である速水が渡辺の持って来た部誌をめくっていた。
これから笹に短冊を付けるのだと渡辺は慌てて部室へと戻って行った。
高校生にもなって笹に飾り付けなど、しかもそれを全力で楽しんでしまう陸上部員達の事を速水は誇らしく大切に思っている。
だがしかしここ最近は仕事に追われる日々だった。
教師というものは生徒に授業を教えるだけの存在ではない。
その仕事内容は実に多岐に渡る。
PTAの役員やら学校行事の役員。
土日に研修があったりもする。
部活動もその仕事の一部だが、これに関しては速水は苦だとは思っていない。
むしろ部員達の事を思いながらも部活に顔を出せない日々が続いていた。
しっかりとした三年生が主軸となった陸上部は、それでもちゃんとした部活動を行ってきた。
部活に顔を出せない分、速水は事細かに渡辺から部員達の様子を聞き出し、それぞれに適切なメニューを組んだ。
職員室で書類に囲まれながらグラウンドの様子を気に掛けた。
そうやって影から陸上部を支えて来た。
最近はやっと少し仕事が落ち着き、以前に比べると部活に顔を出せるようになった。
職員室の窓からグラウンドの様子を気にしているよりも、やはり一緒になって声を張り上げながら、その成長を肌で感じる事はこの上ない喜びだった。
もっともっと部活に参加出来たのなら。
そう思いながらも安心して部員達を見守る事が出来たのは、三年生がしっかりとしていたからだ。
なんだかんだ三年生になればみんなそれなりに責任感を持って行動する。
でも今年の三年生というのは特に頼もしいと感じていた。
とにかく今年の三年生は仲がいい。
性格は様々なのに息がぴったりで笑いの中心にいる。
そんな三年生達は見事に後輩の心を掴み、あの無愛想で有名だった秋月が懐くほど。
安心して部を任せる事が出来た。
騒がしい部員達の様子はよく噂となって速水の耳にも届いていた。
陸上部の部室からはいつも大声と笑い声が響いてくる事。
水道で水をかけ合い盛り上がっていた事。
アップ前の僅かな時間で突如鬼ごっこを始めていた事。
小学校の教師になった覚えはないと首を傾げたくなるものばかりだ。
でもそんな子供じみた事を一丸となって全力で楽しんでしまうのが陸上部員。
このくらいの子達は箸が転がっても笑える年頃だと言うが、箸が転がらがなくても部員達はいつでも笑っている。
そんな部員達にのせられて、速水も部活に顔を出せば一緒にはしゃいだ。
そんな速水の事を部員達は馬鹿にする事もなく、敬うところはちゃんと敬いつつもまるで友達のように接する。
速水は嬉しくて楽しくて、翌日の筋肉痛に怯えながらもドロケーなどに参加して走り回ってしまう。
大切で可愛い生徒達だ。
いずれ順番にここを巣立って行く。
社会に出れば想像もしなかったような壁にぶち当たる事もあるだろう。
そんな時にここで過ごした時間がどうか彼らの支えとなりますように。
短冊に願いを書く事はしないが、速水は七夕の夜にそんな事を願った。
「じゃあ渡辺戻って来たし短冊付けスタート!」
速水の大切な生徒である井上が大いに張り切っている。
「飾りが多すぎて短冊つけるスペースなくね?」
「足の生えた鶴が多い!」
「もうテキトーに!なんとかつけよう!」
わいわいと騒がしくもそれぞれの願いが書かれた短冊が付けられていく。
「おい小松!織姫に会いたいってなんだよ!」
「……いや…俺もなんでこれを書いたのかよく分かんないっす…」
間違いなく寝ぼけていたせいだ。
「理人と」
「清人と」
「「被った!」」
双子はお互いに裏をかき合ったが、結局二人して”一人部屋が欲しい”という願いを書いた。
次から次へと付けられていく短冊により、竹は重たそうに軋んでいる。
「これ誰?!新しいシャーペンが欲しいって書いたの!」
吉岡の目が丸くなり
「願い事小っさ!」
田沼がツッコミを入れて爆笑が起こった。
「あ、俺です…」
おずおずと手を挙げたのは枚方。
山梨の妄想をしすぎてパニックになった枚方は思いつくままにそう書いた。
「シャーペンくらい自分で買えよ!」
「ぬっちょも人の事言えないだろ?!新しいノートが欲しいって書いてんじゃん!」
「普通のノートじゃねぇから!高級なやつ!鍵とかついてる手帳みたいなやつ!」
田沼はその高級なノートに新しい歌詞を書きたい。
鍵が付いているノートならば、以前のように落としてしまっても中を見られてしまう心配がない。
「井上さんはなんて書いたんすか?」
「モテたい!」
「瀬川さんは?」
「姉をひれ伏せさせたい」
「怖っ!」
「山梨さんは?」
「世界平和」
「でけぇ!」
部室はやはり大騒ぎ。
そんな騒ぎに紛れて渡辺はそっと短冊を付けた。
渡辺が最初に書いた願い事。
実は何個も書いていた。
”小遣いが値上がりしますように”
”新しいヒーリングのCDが欲しい”
”もう少し身長が伸びますように”
”休みの日には弟に邪魔されず思う存分昼寝がしたい”
”志望校に受かりますように”
”購買に以前あったチョコチップ入りのメロンパンが再入荷しますように”
”テレビで見た最高級の緑茶の茶葉が欲しい”
などなどだった。
渡辺もテンションが上がっていたのだ。
思いつくままに書き連ねてしまった。
特に一番お願いしたいのは最高級の緑茶の茶葉だ。
受験に関しては他力本願ではどうにもならない。
それでもせっかくならばと書いてはみたものの本命は高級茶葉。
渡辺は今サイダーにハマっているがこれは弟の影響だ。
部活のない日には小鳥の鳴き声や川のせせらぎの音が入った音楽を聴きながら昼寝をしたいのに、必ずゲームに付き合わされてしまう。
その時に弟は必ずサイダーを飲む。
渡辺は普段あまり炭酸を飲まないが、弟があまりにも美味しそうにサイダーを口にするものだから、ついつい一緒に飲むようになった。
だがしかし基本的には緑茶が好き。
玄米茶ではなく抹茶入りでもなければ粉茶でもなく純粋な緑茶。
先日テレビで特集していた最高級の茶葉。
飲んでみたいと親に言ってみたが却下された。
でも飲んでみたい。
その最高級の茶葉は天皇陛下も口にしたという日本最高峰の緑茶らしい。
どうしても飲んでみたい。
そんな事を短冊に書いたのだが、大塚に感化されて”誰も怪我をしませんように”という願いに書き直した。
幸いな事に渡辺は最初の願いをシャーペンで書いていた。
部誌を書いている途中でさり気なく必死に最初の願いを消し、新しい願いに書き直す事に成功した。
よかった…
本当によかった…
安堵する渡辺。
だがしかしそんな様子をじっと観察しているのはやはり山梨。
部誌を書き始めた時の渡辺の様子はやはりおかしかった。
なぜかロッカーに首を突っ込みながら部誌を書いたのだ。
狭いロッカーになんとか身体を押し込んで、ロッカーの中で部誌を書き上げた。
普段の渡辺はそんな事はしない。
急いでいたからと言われればそれらしい理由ではあるが、先程のガン見と合わせてやはり様子がおかしい。
絶対に隠し事をしている。
おそらく渡辺は一度上手く誤魔化せたと思う事で気が緩み、急ぐあまりにロッカーの中で部誌を書き上げるという普段なら行わない行動をしたのだろう。
山梨は自身の短冊を付けながら、渡辺の短冊に神経を集中させてニヤリと笑った。
やっぱり…
ニヤリ具合が酷い。
どこから見ても悪人顔。
渡辺の短冊には丁寧に消されてはいるものの、今書かれている文字の下に別の文字が書かれていた形跡がある。
しかも大量だ。
なんて書いてある…?
山梨はじっと目を凝らした。
変な事を書いてたらからかってやろう…
うきうきとそんな事を思いながらも更に目を凝らす。
だが渡辺の性格は基本的に几帳面。
たくさん書かれた文字は見事に消されていてなかなか読めない。
小遣いが…もう少し…思う存分…チョコチップ…?
もう少しなのか思う存分なのかどっちだよ…
つーかこいつの小遣いってチョコチップなのか…?
小遣いと称してチョコチップもらってんのか…?
んな馬鹿な…
どこの妖精だよ…
駄目だ。
なんとか読める部分を繋ぎ合わせてみても意味が分からない。
その中でちゃんと読めたのは残念ながら一つだけ。
最高級の緑茶の茶葉が欲しい。
なんだ…
普通じゃねぇか…
とガッカリはしたものの、渡辺らしい行動に頬を緩めた。
最初は自分の願いを書いていたものの、理由はどうであれ結局部員達の事を願ったのだ。
副部長という役職が存在しない陸上部。
部誌であったり監督との連絡であったり、部長会議も何かもを渡辺が一人でこなしている。
山梨は心から感謝していた。
そんな感謝の念に背中を押されるように携帯を手にする。
最高級 緑茶 茶葉
と打ち込み検索。
渡辺には世話になっている。
出来るものなら普段の感謝の気持ちを込めてプレゼントするのもいいだろう。
なんなら部員達の協力を得てみんなで金を出し合って買うのもありだ。
渡辺もその方が喜ぶかもしれない。
そんな事を思ったが、検索結果に驚愕する。
おい…
は…?
なんだこれ…
100g54000円…?
いやこれ茶の値段かよ…
どう考えても無理だろ…
つーかこんな高価なもんプレゼントしても渡辺が困るよな…
山梨は大きなため息をつき、そのため息と共に瞬時に諦めた。
「渡辺」
「なんだ」
「高級茶葉は無理だ」
「……はっ?なっ…なっ…なんの話だ…?」
完全に声の上ずった珍しい程の動揺ぶりに山梨はカラカラと笑った。
「こういうのって性格出るよな。渡辺って意外と欲張りなんだな」
「だっ…からなんの話をしてるんだっ…?」
「山っち!なに話してんの?」
「いや渡辺がさ」
「わーっ!山梨っ!こら山梨っ!おい山梨っ!山梨っ!」
「呼びすぎだろ!」
必死な渡辺の様子がおもしろくて仕方がない。
「なんでもねぇよ。井上、実はずっと気になってんだけどよ」
「なに?」
「これって笹じゃなくて竹だろ」
「……えっ…?」
「どっから持って来たんだ」
「えっと!うちの近所の竹がいっぱい生えてるとこから!」
「はぁ?!そっからどうすれば笹だと思えるんだ?!」
「笹っぽくね?!一番笹っぽいの選んだんだけど!」
「ぽいで決めんな!」
「えー?マジで竹?どこで見分けんの?ねぇ緒方ぁ」
「なにー?」
井上の興味は見事に竹に移った。
緒方に聞いたところで正解が出るはずがないのはいつもの事。
そんな様子を確認して山梨は渡辺に笑顔を向けた。
「からかってやろうと思ったけど、まぁみんなには内緒にしてやるよ」
「だっ…!だからなんの話だっ…!」
最高級の茶葉はプレゼント出来ないが、渡辺がよく飲んでいるペットボトルのお茶を今度プレゼントしようと決めた。
そんな山梨は短冊に”世界平和”と書いたが、これはもちろん本当の願いではない。
いや、世界が平和であってほしいとは思う。
ただ短冊に込めたのは別の願い。
誰に見られるか分からない短冊に本当の願いを書く事が出来なかっただけ。
夏が始まった。
高校生活最後の夏だ。
夏休み明けの大会が終われば三年生は引退となる。
ほんの数ヶ月先の話。
なのに山梨はまだ進路が定まっていない。
みんな未来へと向かって動き出しているのに…
涼しい顔の裏側でそんな焦燥感に囚われていた。
”やりたい事が見つけられますように”
それが山梨の本当の願い事だった。
つづく
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
43 / 59