アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
1
-
でっかい図体が頭をペコペコと下げている。いや、厳密に言うと、身長はさして変わらない。が、如何せん横幅があるのだ。がっちりとした肩幅。捲り上げた半袖のシャツから伸びる逞しい腕。シャツ越しからでもわかるほどの厚い胸板。そして短く切り込んだ髪からは、滴が垂れている。
「ほんと、すいません。ほんと、すいません」
「いえ、お気にならず」
笑うでもなく、ただ口元だけを動かす男は、真夏にも関わらず、ワイシャツに長袖の規定の制服を着こみ、汗一つ掻かずに涼しげな顔でそう答える。
ほんの数分前まで、この部屋は空調が行き渡り快適だった。それが今は、ぼっかりと開いた二つの穴から熱風が流れ込んでいる。その原因を作ったのが、ひたすら謝っている当校の体育教師。花房(はなぶさ)
花房と男は直接話した事はないが、巡回をしている時に良く見かけていた。体育教師だからなのか、元々の知能なのか、周囲には生徒が集まり昼休みには、サッカーや野球など体を動かして遊んでいる。
そんな麗らかな昼下がり。男が仕事部屋で惰眠を貪っていると、唐突に大きな音がなり、驚いて起きるとサッカーボールとガラスの破片か転がっていた。
「うわー!」
「なにやってんだよ!」
「ごめんなさい!」
幼さの残る声の中に一際目立つ野太い声。その野太い声が注意を促しながらこちら近づいてくる。
「うわ、やっべ!窓ガラス!すみませーん!」
教師とは思えない口調で花房が割れた窓ガラスから中をのぞき込むと、スチール机に突っ伏して顔だけ上げ、男が茫然としている。花房はその男を知っている。今年の新年度に女生徒が『イケメンが居る!』と大騒ぎされていた、警備員。権堂(ごんどう)
その綺麗な顔がどんどんと歪み、明らかに苛立った表情で立ち上がった。
「はっ!あの、すみません……」
権堂は花房に声をかけるでもなく通り過ぎ、用具入れから箒と塵取りを取り出し、散らばった破片と元からあった埃をまとめて塵取に放り込む。
「あ~。掃除、オレ。やります」
急いで中に入り、権堂から箒と塵取りを奪い取ろうとした瞬間、権堂の手がビクリと強張り破片が零れ落ちる。
「ああっー!すみません!すみません。びっくりさせて、すみません」
「……いえ」
権堂は、顔を上げることなく箒と塵取りを握り直す。
「あの、本当にオレ、やりますから。権堂さんは座ってお茶でも飲んでてください!」
「もう、終わりますので。お気遣いなく」
初めて聞く権堂の声は、高かくも低くもなく。表情が見えないせいもあって、そのよく通る声音は冷たさを孕んでいる気がした。
「いや、でも……」
「先生は、ご自身のお仕事に戻ってくださって結構です」
そう言い放ってラックに置いてあった新聞紙を広げては、ゴミ袋に敷いていく権堂は、やはり気のせいなどではなく、とても壁がある気がする。
「あ、その中にこれ、入れるんですね?」
やっとやることを発見した花房が、喜々としてガラスの破片を袋に向かって中身を投入すると、準備ができていなかった権堂の手を微かに切った。
「つっ……!」
「うあぁ!すみません。ほんと、すいません。ほんと、すいません」
花房の口癖なのか、それとも何かあれば謝って済むと思っているのか。見た目通りと言っては失礼だが、非常にガサツだ。
「いえ、お気にならず」
権堂は無表情でそれだけ言うと、ゴミ袋の口を縛り、備え付けられた小さな洗面台で手を洗う。親指の背から流れる血液は、大して沁みる事無く水と薄まって流れていく。
「ご、権堂さん。だ、大丈夫ですか?」
「ええ。大したことはありませんので、ご心配なく。後はこちらでやります」
だから出て行ってくれ。と言ったつもりなのに、花房はガックリと項垂れてまた謝りだす。
「こちらは気にしていませんので、先生もどうかお気になさらないでください」
「はぁ……。なんか、もう。ホント、色々とすみません」
気にしなくていいと、何度も言っているのに何が気に入らないのだろう。なぜ、花房は出て行かないのだろう。ペーパータオルで手を拭くと刺激で多少痛むものの、ただのかすり傷だ。
「何か、困ったことがあったら、なんでも言ってくださいね……?」
「大丈夫ですよ。業者の手配も私でします」
「あ、や。そうじゃなくて……。いや。それもあるんですけど……」
歯切れの悪い、それでいて単語を羅列する話し方にイライラする。
「他に何かあるんですか?」
「なにって。あの……」
高圧的ではないが、それでも有無を言わせない態度とそれに見合う整った顔に花房は怖気づいてしまう。
「他にご用件がないのであれば、私は仕事がありますので失礼します。先生もどうぞ持ち場に戻ってください」
ぴしゃりとそれだけ告げると、権堂は胸ポケットからスマートフォンを取り出しながら、外へと出て行った。
***
ミンミンという音がシャワシャワと言う鳴き声に変わり。秋ももう近づいているのに今日も30度を超える気温の中、汗をだらだらと掻きながら、声を張り生徒に指導していく。その奥には不格好に張られた段ボールの窓。その横に付いた扉から、乱れ一つない制服姿の権堂が手にはボードファイルを持ち、わき見することなく一定の速度で歩いていく。
着任したての頃は休み時間も権堂を見かけた。だが、その先々で生徒に話しかけられは、笑うでもなく淡々と「仕事中ですので」と子供相手に慇懃無礼に頭を下げては去っていた。それから暫くして、生徒がうろつく時間には姿を見せなくなった。権堂のあの態度は、生徒が仕事の妨げになるのを避けていると思ったが、多分違う。生徒を、人そのものを避けている。昨日、権堂と話してそう思った。とても厚く高い壁があるのだ。たしかにきっかけは最悪だった。こちらの落ち度以外ない。
「……あれ?あぁ……」
怒って然るべき状況で、誰が笑うのだろう。ずっと気になっていた相手と話す機会ができて、仲良くなりたくて浮かれていたのは自分だ。昔からそうだ。短絡的と言うか楽観的と言うか。感情のまま行動してしまう。よく、「もうちょっと考えてから行動しろ」と親や教師ひいては友達に言われてたっけ。
「ちゃんと考えて行動しないとな!」
数人の生徒が、ばつが悪そうにしたり、元気よく返事したりしている。そこで花房は声に出ていた事に気が付いた。
午前中の授業を終え、冷蔵庫から包みを取り出す。味気ない透明なタッパを二つ、電子レンジに置いて待つこと二分。それをまた包みに戻して職員室を出た。向かう先は、用務員室。
扉の前で深呼吸してからノックを二回。面接を受ける時と同じくらいに緊張する。いや、それ以上かもしれない。体中から汗が噴き出て、包みをどんどんと濡らしていく。権堂が出て来たら、まずはもう一度謝って、お昼ご飯を一緒に食べようと言う。お気に入りの缶コーヒーも二本買った。後は権堂が出てくるのを待つだけ。なのに、扉が開かれる気配はない。
「あれ?いないのかな?」
もう一度、二度続けてノックする。しかし、物音ひとつしない。外に食べに行ってるのだろうか。花房が落胆して踵を返した時、背後からカサカサとした音がした気がして、振り返るとコンビニの袋を持った権堂がスマホを操作しながらこちらに歩いてくる。
「あ、権藤さん!よかった~。一緒にお昼食べましょう!」
「は?」
その声に、権堂がびっくりした顔で目線を上げると、目の前には大型犬が飼い主の帰りを待ちわびて居たかのように、体を揺らし弁当箱を抱えて近づいてくる。昨日の雰囲気から、なぜ一緒に昼食を共にしようと言う考えに至るのか。どうにかして巻きたいが、花房は無遠慮に事務所に入っていく。
「ふぁ~。ここ、涼しいですね」
エアコンの風に直接あたりながら、幸せそうに呟く。それから、用務員の椅子に座り許可もしていないのに弁当箱を広げた。
「あ、そうだ!これ、お詫びです。昨日はすみませんでした」
深々と頭を下げて花房は温度差で濡れた缶コーヒーを差し出す。昨日の事は、気にしなくていいと言った。あれで話が纏まっているはずだ、だから権堂がこれを貰う理由も一緒に昼飯を食う義理もない。
「手持ちのお茶があるので、お気遣い頂かなくて結構です」
そう言いいなが事務机からベットボトルを取り上げ、花房に背を向ける。
「別に、今飲まなくても……って、どこ行くんですか?」
「所用を思い出しましたので、失礼します」
「え?ちょ、ちょっと待ってください・・…!わぁ!」
ガラガラ、ガシャガシャと騒音を立てて静かになる花房。多分、椅子の足に自分の足を引っかけたのだろう。椅子が滑るように動き、床には米が散らばっている。
「ああっ!オレのご飯……」
半べそで見つめる花房は、どうしてこうも落ち着きがないのだろうか。もはや、苛立ちを通り越して呆れる。
コンビニの袋の中には、おにぎりが二つと、サラダに揚げ物。権堂が食事を分けてやる義理はない。だが、肩を震わせ、まるで葬式でもしているかのように米に別れを告げる姿を無視するのは、目覚めが悪い。
「よかったらどうぞ。梅干しと昆布どちらが……」
「うわ~!良いんですか?助かります!」
葬式から一転、花房が権堂の両手の平にあるおにぎりを喜々として受け取る。それに対し、権堂は苛立った面持ちで立ち尽くしていた。なぜなら、両方やるとは言っていないと言う気持ちが充満していたから。かと言って、どちらか返と言うのもなんだか浅ましい。
「権藤さん!何買って来たんですか?おにぎりのお礼におかず、良かったらどうぞ!」
差し出されたタッパには、レンコンのはさみ揚げとだし巻き卵にポテトサラダ。そして、色取りにプチトマトとアスパラガスのベーコン巻き。彼女か奥さんかは知らないが、手間がかけられているのは良くわかる。
「いえ、結構です。私はやる事がありますので。先生も食事が終わったら戻ってください」
「そんな冷たい事言わずに、一緒に食べましょう?」
「お断りします!」
面倒な人間に目を付けられてしまった。この手の人種は悪気無く、土足で相手の領域を侵す。こちらの神経を麻痺させ、心をかどわかす。
もう、あんな思い、二度としたくない。
続く・・・
※閲覧ありがとうございました。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
1 / 1