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待ち人来たり。 そのいち
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遠くの路上でクラクションが鳴っている。
そのけたたましいほどの音量は、街にある物々がつくりあげる単調なさざめきの中に存外、大きく鳴り響いた。
そんなにぎわう街で、青年はひとり佇んでいた。その横顔はまだ若く、整っている。しかし、まだどこか幼さを残していることから、一目で学生だと判断することができる。
今どきの若者らしく染められた茶髪は、流行に則り、前髪が長く、襟足も長い。顔立ちもどこぞのタレントのように整っており、年配の女性よりも、恋に恋する少女たちが色めき立つような、甘さのあるもの。けれども、同時に”今どき”らしくこれという個性の無いつくりでもあった。
そんな美形といっても差支えない、とはいえ、たいした特徴もない青年が人目を惹きつけている理由は、おそらく服装だろう。身長に恵まれた彼は、それに習い、四肢もすらりと伸びている。しかし、男はそのバランスの良い肢体を隠すように、ゆとりがありすぎて体系を覆ってしまうような、今どき珍しい赤いジャージを身に纏っていた。
それはいわゆるオシャレジャージではなく、一昔前に学校等の公共施設で見た、何の飾り気のないものである。皆が見せびらかすようにこぞって余所行きを着ているこの街では、男の出で立ちはとんでもなく浮いた。
あの人、ジャージ着てる。笑いものにしようと指をさした女子高生はしかし、その顔立ちを確認した途端、急に声色を変え「けっこう、カッコイイ」と先ほどとは全く違った理由で、ふたたび彼を示す。
そんな風にして流れていく人波を、年若い男はどこかつまらなさそう眺めていた。世の中を達観したような、斜に構えた雰囲気を醸し出す彼の瞳は、十代特有の格好つけ、あるいは照れ隠しではなく、本当に温度が低い。個性のない髪型、当たり触りなく整った顔立ち、本来ならば特筆する必要もない服装。そんな彼を”普通の人”と評してしまうには、その目はあまりにも聡明すぎた。
青年は待ち合わせ中だった。
通行人の邪魔にならないよう路上の隅の壁にもたれかかり、せわしなく携帯をいじっている。指し示す時刻は、午前十時十二分。約束の時間より十分以上、過ぎている。
(…なんかあったか?)
遅刻と言うには浅いが、彼と待ち合わせをしていたひとは、たかが数分だろうが、遅れるような人物ではない。むしろ、本当ならば時間にルーズだという自覚のある自分が遅くなり、彼にへらへらと謝っているのが通例。ゆえに、青年は落ち着きなく地面を踏んでいた。
「智紀」
ふいにおだやかな声で名前を呼ばれ、顔を上げれば待ち望んでいた──というと大袈裟だが、その人が申し訳なさそうに眉を下げて、目の前にいた。智紀と呼ばれた青年は、先ほど通行人を見つめていた大人びた表情とは打って変わって、少年のように目を見開きつつ、遅刻を咎めるように自分よりも背の高い男の肩を小突いた。
「しゅーじ、おっそい!せっかく今日は遅刻しなかったのにさあ」
「いや、遅刻はするなよ。関係ねえだろう、それ」
未だに眉をさげながら、しゅうじ──秀治と呼ばれた男は、叩きつけてくる腕をつかまえて諭す。その口ぶりは友人、というより年の近い兄か父親を想起させる。それもそのはず、事実、彼らの年齢にはひとつふたつ、開きがあった。ほんの少しの年の差でも、大学生でまだまだ遊びたい盛りの智紀と、すでに社会に出て働いている秀治の間に多少のずれがあるのは致し方ないことである。
それを表すように、秀治の容姿には二十代をすこししかすぎてないとはいえ、すでに落ち着きがあった。百八十五という日本人にしては高い身長と、健康的な筋肉の乗った痩躯はほどよいバランスで、男性らしい魅力がある。それに見合う顔のつくりは、イケメンと評せるが、若い女性が好みそうな智紀の顔立ちとはタイプが違い、こちらは主婦や年配の女性がときめく、爽やかかつ人当たりのやさしい造作であった。ただし、黒いシャツの上にジャケットを羽織り、ジーパンを合わせただけの良く言えばシンプル、悪く言えば無難な服装では、さすがに注目を浴びるほどではない。無論、芸能人でもそれを目指しているでもない青年にしてみれば、それくらいでちょうど良いのかもしれない。
そんな秀治は中身も見た目に伴い、同年代の中では大人びている方だ。ぷすんぷすん、と普段、自分は頻繁に遅刻することを棚に上げ、腹を立てている様子の智紀をなだめるように笑う。しかし、子ども扱いをされている、と取った智紀は「うるせー」と鋭い目つきで睨みつけた。秀治は「しょうがないな」と寝ぐせではねた髪を撫でつけるように、頭に手を置く。
「悪かったって。あとで何かおごるから、許せよ」
「物で釣るとかサイテー!つか、そんなんで釣れると思うなよ」
「いらねーの?」
「…いるけどー」
取りなされたことに得心のいかなそうな智紀は、次いで「なんで遅れたの?」と問う。すると「コンタクトレンズを落とした、っていう女の子がいて」と彼は答えた。その精悍な顔は”良いことをした”というナルシズムな雰囲気は一切なく、ただ事実を述べただけである。なんてお人よしなんだろう、と智紀は思った。自分ならば、声をかけられでもしない限り、率先して手伝える自信はない。人と約束をしている日ならば、とくに。けれども、妙に納得した。秀治は何か急用でも入らないのに、待ち合わせに遅れたりしない。今回は「探し物の手伝い」実に彼らしいと言える。
だが「ふうん」という相槌は、自分の予想よりつっけんどんに響き、ちょっと驚いた。思わず、彼の表情を窺うように目を見る。しかし、秀治はいつも通りの顔だった。ただ、男相手にするにはいささかにこやかすぎる気もした。
「サンキュー」
「はあ? 怒ってんだけど、なんで礼だよ」
「いや、だって待たせたのはこっちなのに、すげぇ心配してるからさ」
「心配」
「おう。普段、遅刻しないやつがするとびっくりするよな。悪かった」
「…なにゆえにそう思われたのでありますか」
「手、払わないから」
「へ?──あっ、うわあぁ!ちょ、やめろよっ」
「遅いなあー」
あわてて彼の大きな手を払えば、はっはっはーと勝ち誇った風に笑われた。ムカつく。素直に口に出しても愉快そうにしている秀治には何の威力もなく、智紀が退ける前にサッと手を引いた。そして照れ隠しだということを隠せていないことを自覚し、耳まで赤くする年下の男に妙にスマートな所作で「行こうか」と歩行を絆した。こちらが”出かけよう”と誘った手前、引くに引けず、智紀は染まった耳朶を手で覆いながら、その背を追う。
もちろん、無駄に高い腰の位置に一発、蹴りをお見舞いしたのは、言うまでもない。
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