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待ち人来たり。 そのに
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「それで? けっきょくどこに行くんだよ」
「んー、俺の行きたいトコ」
「ヒントにもなってねえ」
智紀という人間を表すことばである「適当」な返しに、秀治は呆れたように──しかしいつも通りのやりとりのためそれほど驚いた様子もなく、ひとつのため息で受け流した。
日曜の昼間は、人でごった返している。街の顔ともいえる繁華街であるのだから、致し方ないのだろうが、人のみならず車や電車、ひいては建物ですら慌ただしくうごめく風景は”都会”という表現がぴたりと合う。すれ違う人々は、皆どこか忙しそうで、忙しくなさそうだった。本当はそれほど時間に差し迫られているわけではなく、単にこの街の雰囲気が人間を必要以上に、急かしているだけなのかもしれない。そんなこと、智紀には分からないし、本当の事を知りたいとは思わない。ただ、自分のこの”適当”な生来にはすこし、生きにくいな、と感じた。
塗装されたばかりの綺麗なアスファルトを周囲とわずかにテンポをずらして歩くのは、気分が良かった。今日となりにいるのは、智紀の歩調を知り、ゆっくり歩いてくれる秀治だから好き勝手出来るのだろう。
ふと、視界のはしにいる男に目をやれば、いつの間にか引き締まった腕を晒していた。きっちりしたデザインのジャケットは、この気候では少々、暑かったのだろう。理解はできてもそれを捉えた瞬間、智紀は無駄に動体視力のよさを発揮し、秀治に飛び掛かった。
「はーらーたーつ~!」
「うわっ!何だよ…」
「イケメンがイケメンなことしてんじゃねぇ!このモテ男めッ!」
「良く分からんことで怒りだすやつだな。腕くらい、捲ったっていいだろ」
「あ~、そうだな。俺はそーゆーことできないと分かっていて、言ってるのかぁ!」
「うるせぇな、この子は」
周囲に迷惑のかからない範囲で騒ぎ立てる智紀に「姑息な奴め」と苦言をもらし、彼の視線から腕を隠した。その男らしいラインと健康的にやけた肌は、智紀にとっては天敵である。青年は身長にも容姿にも運動神経にも恵まれ、それを高校時代まで有効活用していた。智紀は根っからのスポーツ好きで、小学校から高校まで部活に勤しんでいたのだ。そのときの名残は、今でもジャージやスニーカーなどの服装に顕著に表れている。
しかし、男にはひとつ──いや、ふたつほど自身にとってはどうにも気になるコンプレックスがあった。どうしても、肌がやけないのだ。さらに、どれだけ鍛えたとて、ボコッと一目で分かるような筋肉の隆起がつかなかった。だから何だ、と人には言われるけれど、炎天下のもと必死にボールに食らいついてきた結果がこれというのは、あまりにも頂けない。あれほど太陽と遊んだのに、肌は日焼け止めでも塗ったのかと思うほど、真っ白いまま。やれ練習だトレーニングだと痛めつけたはずの身体は、もともと線が細かったのか、帰宅部とさして変わらない筋肉量である。これは、未だにジャージを好み、いかにもな格好をしている智紀にとっては悲しいかな、拭いきれないコンプレックスであった。
対して、秀治はそれほど熱心に筋トレをしているわけではないのに、バランスの良いきれいな筋肉を全身にもっていた。たしか、彼の高校時代の部活は、空手か剣道だった気がする。どちらも体格の良い秀治には、違和感のないものだ。黒髪で真面目な彼らしいチョイスと言えよう。
「あーあ、なぁんで俺はマッチョになれなかったんだ…」
「俺だって、べつにマッチョってほどではないぞ。というか、そんなにいいもんか? 筋骨隆々な男なんて、今どきそれほど人気ないだろ」
「ないものねだりっ」
「自分で認めちゃってるよ、この子」
自分でもわかってるから、言ってるんだろ。
そう言って、すねたふりでふいとそっぽを向けば、秀治はあのさわやかな顔に苦笑をのせた。身長も体格も良い男がそういう表情をすると、途端に草食動物のような印象になる。今はやりの草食系男子、もといアスパラベーコン巻き系男子というやつだろう。このとき、思ったことをすぐ口に出す自分としては珍しく、心の中だけでとどめたのは秀治に「アスパラベーコン巻き系男子」と言っても通じないからにほかない。流行に疎い男だ。
それにしても、秀治はいろいろな意味でもったいないと思う。身長が高くて、やさしくて、おまけにイケメンときてるのに一向に恋人をつくらない。その理由を本人は「モテないから」と言っているが、そんなはずはない。そりゃあ、真面目すぎてインパクトや刺激と言った部分では、物足りない、と感じる気持ちも分からなくはないけれど、間違いなく結婚するなら、彼のようなチャラチャラしていない男が選ばれるはずだ。その証拠に、たかが男友達の自分に会うだけでもそれなりにきちんとした服装をしてくるし、ヘアセットだって仕事のときよりラフとはいえ、しっかり手を加えているはずだ。
(俺にもやさしいし)
事実、秀治は、智紀が年下なのを良いことに甘えてみせても本気で怒ることはなかった。無論、常識の範囲内のわがまましか言っていないつもりだけれど、うっとうしく思ったっておかしくはないはずだ。なのに気の良い彼は、口ぐせのように「仕方ないな」と言いながら、茶髪の頭を撫で、けっきょく智紀を甘やかす。それがこの男の最大にして最高の美徳であり、同時に女性から「地味な取り柄」と言われる所以なのだろう。
自分が知っている限りでは、彼はいつもおなじ理由でフラれている。
たとえば「彼女に”どうしてほかの女の子にもそんなに優しくするの?”って言われたんだけど、それって普通じゃないのか」とか「”本当にあたしのこと好きなの?”なんて、現実に言われるとは思ってなかったな」とか。智紀はあくまで”男友達”としての秀治の顔しか知らない。だから、本当に彼が恋人に対して淡泊な態度をとっているのか、それとも彼女らの理想が高すぎるのか、真実など知る由もない。ただ、これだけは胸を張って言える。
秀治は、いいやつだ。それが恋愛になるとプラスに働かないことは重々承知の上で、けれどもいちいち彼の恋人になれる立場にいるひとたちに吹聴して回りたいような、そんな思いをひそかに抱えていた。俺のとなりにいる男は、こんなに素晴らしい人間なんだよ、と。
たぶん、周りにいる女の子はまだ結婚を視野に入れていないのだろう。だから、とりあえず派手で口の上手い、ひたすら良い気分にさせてくれる刺激をたくさんもっている男がモテているのだ。そして、本当に褒められるべき男のことを「つまらない人」を吐き捨て、自ら去っていく。ああ、もったいない。こんな優良物件、はやめに予約しておかないと即完売だ。
「──ああぁああ!そうだッ」
「おう、びっくりした」
「しゅうじ!しゅーじ! 服、買いに行こうぜ! ふく」
「ふく……? ふくって、洋服の”服”?」
「あったりまえだろ!よしっ、行先決定した」
思いがけないタイミングで奇声を上げ、あまつさえ先ほどは殴りつけてきた腕を引っ張る智紀に、秀治はついていけないようだった。思考は追いついていないものの、彼に合わせて引っ張られるままに足だけは動かしておく。体格差を鑑みれば、秀治がいきなり立ち止まってしまうと、両者ともに地面に足を取られることは火を見るよりも明らかだ。仕方なく、彼に合わせて歩いてもつんのめるような動きになっている智紀を見て、そう判断した。抵抗されないのを良いことに、智紀は子供のように全身に喜色を迸らせ、ずんずんと器用に人波を掻き分け進む。
状況はひとつも理解できないまま、秀治はとりあえず「まだ行く場所、決めてなかったのか」というちいさなつぶやきをこぼした。
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