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待ち人来たり。 そのなな
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もろもろの買い物を終えて店から出るころには、すっかり日は傾いていた。
某国民的アニメキャラを真似て「見ろ!人がごみのようだ!」と言いたくなる状況だった人波も今はすっかり落ち着いている。残念なのは、こんな都会的な街並みに美しい夕焼けは、似合わないところだろうか。せっかく燃えるように真っ赤な夕陽があっても、隙間なく建てられた高層ビルがそれを隠してしまう。もったいないなぁ、なんて思いながらわずかに見える西日に手をかざすと、白い肌は皮膚を透かし、きれいなピンクに染まる錯覚に陥った。
「んー…まぶしい」
「そりゃあ、夕陽とはいえ、太陽を直視してればな」
「しゅーじ、みてみて。めっちゃピンク」
「何が?……ああ、皮膚のことか。へえ、色素薄いとこうなるんだ」
「だれが色白じゃ!」
「お前が言ったんだろ」
いつの間にかとなりにいた男を感情のまま殴りつけようとした腕はしかし、ほかでもない秀治の手によって阻止された。武道の心得があるからなのか、軽々と受け流され、それにもむっとする。何より掴まれた腕はちょうど手首と肘関節の中間ほどだというのに、彼の大きな手ですっぽりと覆われていることにやるせない気分になる。自分の細さを意識させられ、ひとりで不機嫌になっている智紀をとりなす口調で「それ、さっきからずっと言っているな」とふしぎそうに言う。
「さっきからってなに。おれ、なんかいったっけ」
「言ってるだろ? 何回も。もったいない、って」
「え、あれ、声にだしてた?」
「思いっきり」
そっか、とつぶやけば「そうだよ」と返される。そうかな、ともういちど繰り返せば、おだやかな男はちいさく笑って智紀の頭を撫でた。
「考えていることがぜんぶ、声と顔に出るんだよな、お前。俺はおもしろいけど、駆け引きとか社交辞令とか、できなそうだな」
「そんなの、べつにしなくていいし」
「そうも言ってられなくなるんだよなぁ」
「え?」
どこか悔いるような声のトーンに秀治の顔を仰げば、そこには自分の知らないひとがいた。夕陽に照らされて笑う男は、見慣れた顔のはずなのにとてもそうは思えない。世の中を諦めたひとの、けれど諦めた世界で白けた気持ちのまま生きていく、ずるくてかなしい”大人”の顔。そんなを表情していて、智紀はぐっと顎をひいた。見知らぬ影を怖がり、けれど縋る相手は目の前の男しかいないから、小さく名前をよんだ。
しゅうじ、と助けを求めると、空気の読める彼は、すぐにいつもの笑みをうかべ「どうした?」と聞き返してくる。どうしたもなにもなかった。そんなのこっちのほうが聞きたいくらいだ。
どうしてそんな怖い顔をするの?
その問いは、口に出さない。
何でもすぐに声にする、なんて言われ続けてきた自分にもそのことばを紡ぐことはできなかった。いや、正確にはできなかったのではない。出させて”もらえなかった”のだ。秀治が見えない手で智紀のくちを塞いだから。呼吸だけはかろうじてできる絶妙な力加減は、人とのねばついたやりとりに長けた人のものだった。
「……なんでもない。いいや、行こっ!」
「そうだな」
バンッと一発、秀治の背中を叩いてからそう急かした。とにかくもう秀治のあんな顔は見たくなくて、足早に歩を進める。同様に彼のことばを聞くのが嫌で、普段からよく回るとからかわれる口を倍のスピードで回転させた。大学のこと、友人のこと、勉強のこと。話そうと思えば、いくらでも話題は出てくる。頭の中で駆け巡ることばたちは、このときばかりはありがたかった。場つなぎばかり任せてんじゃねえ、とコミュ力が壊滅的な後輩相手に怒鳴ったことは、直ちに撤回しようと思う。
やけに口やかましくしゃべる智紀を見て、秀治はなにも言わなかった。ただ、智紀がうかべた一瞬の怯えを感じとり、とても、とても、後悔しているような気がした。もともと口数は多くないから、確信は持てないけれど、彼はそういう男だった。悪になりきれなくて、善人として生きられるほど強くない、それでも”良いひと”というレッテルをはがしきれない、不器用に器用すぎてかわいそうな人だった。でもだからこそ、秀治の懐深い性格を守りたい。
(だって、おれのとなりにいるやつは、こんなに良い人間なんだ)
それは、それだけは絶対に変わらない。彼のとなりを歩くにふさわしい人間は、もっとほかにいるだろうけれど、今は自分がその代役を務めたってバチは当たらないはずだ。いつか秀治のすべてを”良い”と思い、甘受してくれる素敵な女性が現われるまで、そのときまででいいから、この立場を自分にゆずってほしいと思った。そのためなら、慣れない甘えたなふるまいをすることだって厭わないし、言いなれないわがままだってそれっぽく言うことができた。普段の智紀を知るひとが見れば、気味悪がることは重々承知の上での行動だ。
(いい練習にもなったし)
甘えるのが下手な自覚があったから、参考になった。こうすれば人は「頼られている」と喜ぶのか、ここまでは”わがまま”の範囲で許されるのか。たくさん学ぶことがあった。使い道なんて、べつにないんだけど。
ふと、目の前がチカリと光った。そちらに視線を向けると、豪華なイルミネーションをこれでもかというほど飾ったメリーゴーランドが柵を越えた向こう側でキラキラしている。ファンシーなデザインの木馬がくるくると行き交うその光景は、なんとも可愛らしい。色とりどりに輝くそれに目を細めれば、となりにいる秀治もまぶしそうに片目を瞑っていた。
「あっ、新しいテーマパーク、もう完成してたのか~」
「ほんとうだ。へえ、けっこうデカいんだな。工事のときは、そうでもなさそうに見えたけど」
「わかんないもんだよな~ つかアトラクション効果じゃね?」
「それか、外から見てるからかもな」
「んー?」
「外観だけだと、遊園地とかテーマパークの類は大きく見えるだろ。そういうふうに設計されてるから」
「なるほどな!さすが秀治はかしこいな」
夢のない発言だけどな、とついでに付け足しておくと「悪い悪い」とおどけて笑った。
「嫌なもんだな、大人になるって」
「おれとふたつしか変わらないじゃん」
「年齢じゃないんだよ、こういうのは。要は心の問題」
「わかんね」
「分かんなくて良いんだよ、お前は」
おとされた一言が切なくて、思わず秀治を直視する。その表情は、さっきの怖いものではなく、ただひたすら大人びているだけだった。ふっと口角を上げ、ふたたび歩を進める彼に従うまま、後ろをついて歩く。無駄のない筋肉質な身体は、動きに合わせて鞭のようにしなる。それが面白くて背を追い続けていると、彼はふいに振り返り「そういえば」と首をかしげた。
「友達と行かなかったのか?」
「ともだち」
「そう。大学にたくさんいるだろ? お前なら、いくらでも誘われるだろうからさ」
そいつらと行けば。
その言葉は、決して突き放す意などなく、秀治の思ったことを伝えるという本来の仕事を果たして消えた。
心の奥底でずっと思っていて、そして勘付いてもいたことだった。
”小鳥遊秀治は他人に興味を抱かない”
誰に対しても分けてだてなくやさしいひと。
それはすなわち、平等。
誰にでも平等にやさしい、ということは、誰にでも平等に”興味がない”ということだ。
「おれ、しゅうじのそういうとこ、きらい」
隠し事のできない心は、スルスルとこぼれでる。嫌いと言われたのに、秀治は笑っていた。正確には、苦笑に分類されるものだ。困ったような顔をしているけれど、実際はそんなに困ってないんだろう。
俺のことだって、平等なのだろう。
これまでに出会った、すれ違った、不特定多数の人々と、自分は彼の中でさして変わらない。
こんなにも彼のことを思っても、彼のために何かできないかと考えても、けっきょく届くことはないのだ。それをどうしても変えたくて、彼の──小鳥遊秀治のとくべつになりたくて、がんばっていたけれど、無理なのか。自分の力じゃ、何も変えてやることはできないのだろうか。
「俺は、智紀のそういうところ、好きだ」
ネオンの光によって色を変える精悍な横顔は、やっぱりわらっていた。とても頼りない表情だった。
「うそつき」
だからこそ、そう吐き捨ててやった。
「嘘じゃないよ」
けれど、”本当だよ”とは言えない優しい彼は、やさしいうそをついたから、
「じゃあ、信じるよ」
信じてあげようと思った。
今までずっと「本当に好きなの?」と疑われ続け、傷ついてきたことを知っているから、自分だけは黙ってうなずいてあげよう、と決めていた。決めていたから、そうした。信じる信じないは関係なく、そう言ってやることで、どうして歴代の恋人たちが、仲が良いと思っていた友人たちが、そのことばを信じられないのかを知ってほしいと思った。
(秀治のことがすきだからだよ)
だから、心の中に入れてほしいし、わざとこちらの扉を開けっ放しにしているんだ。ただ、それを全て口に出してしまうと、優しい彼はひとつの苦笑でそのとおりにしてしまう。自分の意思はなかったことにして、いったことを受け入れてしまうから、彼自身の力だけで気付いてもらうしかない。気づいてもらうためには、待たなければいけない。これまでの恋人たちは、それを待つことができなかった。秀治の心に踏み込む前に、もっと楽に行き来ができる人のもとへ去っていってしまった。それを間違っているとは思わない。待つばかりでは、辛い。でも黙って去られた方は、もっとつらい。
じゃあ、そんなつらい思いをした秀治に、俺はなにをしてあげられる?
(信じているよ、っていうことだけ)
それしかできないのなら、してやればいいじゃないか。幸いにして、智紀には時間があった。女性ではないから、結婚を急ぐ必要はないし、たとえどちらかが結婚したとしてもそれで友人づきあいがなくなるわけではない。むしろ、秀治が結婚をしてしまえば、それが最終目標となる。手段が目的になるのだ。
「信じていいのか?」
「うん」
迷いなくうなずいた青年に「どうして」と問いかけてきそうな秀治は、智紀の顔を窺っている。特異な事を言うやつだな、みたいな表情で。だから、今の自分ができるいちばんの顔で言ってやった。
「おれ、しゅうじのこと、大好きだから」
それを理由にすれば、なんだって信じられるんだ。おれ、単純だからさ。
口にした途端、ぽかんとした様子で秀治は立ち止まってしまった。そんな彼をおいて行くつもりの早足で、智紀はその場から逃れようとする。よく回る口が余計な事を言いそうになり、それを誤魔化すようにあえて茶化す言葉を選んだ。
「はは、男前が台無し」
「うるさいな」
「つーか、足めっちゃ早くね? 早いっつか、歩幅ひろすぎ」
「智紀」
「なんだよ? まあでも女の子なら「そんな顔もかっこいー!」ってゆってくれるかもな」
「智紀」
「だから、なに──」
「ありがとう」
「……べつに。なんだよ、改まって、キモイ」
思いっきりいやな顔をしてやったと言うのに、秀治は笑うだけだった。いつもの、やさしくて、おだやかな、あの彼の魅力がいっぱいつまった顔で。それを見ただけで、現金な自分は「じゃあいいか」と思ってしまった。安いやつ。自分の事だけれど。
こういうとき、赤く染まった耳朶を見て見ぬふりをしてくれる秀治のことを初めてずるいなぁ、と思った。
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