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新居を求めて三千里
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大坪さんから勧められたのは、早急な住居の確保だった。
俺1人で家探しをしたら、多分いくらでも選択肢が持てる。多分、単身者向けの社員寮にでも入っていたんだろう。
しかし、そこにはとちゃんが居るとなると、話は大きく変わってくる。障害を持っていることで断わられる率がグッと上がるし、家賃をはとちゃん単独で払い込む体力が無い事は自明だ。俺への査定も厳しくなる。
婚姻関係にあれば経済力の大きなギャップも大目に見てくれるだろうが、俺たちは男同士だ。それだけでも偏見に晒されて、不利だ。
実際、ネット上で良さそうな物件を見繕っていくつか電話してみても、同居人の話をすると途端に雲行きが怪しくなった。
大坪さんからは、最悪の場合、はとちゃんのことを内緒に、クローズドで探すことになるかもしれない、とまで言われた。
障害のことを内緒にするメリットとしては、明らかに入れる物件が増すこと。
デメリットは、ばれた場合に面倒な事になるのと、隠匿することで必要なケアを受けるのが制限されうるという事。
はとちゃんと一緒にいることを、恥ずかしい事みたいに扱いたくないし、なによりはとちゃんには最大限、気楽に住んでもらいたい。
理解してもらえるように、俺がはとちゃんの営業マンになるしかない。
はとちゃんの最寄り駅に8時に待ち合わせ、東京駅へ、そして東北新幹線で仙台へ。
はとちゃんは新幹線に乗るのが初めてで、はやぶさの緑が鮮やかな車体を見て、大いにはしゃいだ。
「せんだいって、とおいの?」
「2時間くらいで着くよ。距離はあるけど、新幹線は凄く早いからね、すぐだよ」
「……とおいけど、とおくないってこと? ふしぎ」
座席に座ってシートベルトをがちゃがちゃしながら、はとちゃんは首をかしげる。俺ははめ方と外し方をまず見せて、次にはとちゃんにやってもらう。出来た。
「同じ距離でも、はとちゃんが歩いて10分かかるところを、大坪さんが歩いたら多分5分とかで着くよね。新幹線は、足が早いから歩いたら何日もかかる道を2時間で済ませられるんだよ」
「おお……しんかんせんは、すごいおおつぼさんなのか……」
多分そうではないが、これ以上説明出来そうにない。
11時半、仙台駅に到着。
少し肌寒い。あらかじめ防寒着を持ってくるように言っておいたので、はとちゃんはマフラーを巻いて首と髪を埋もれさせている。可愛い。
はぐれないようしっかり手をつなぎ、仙台は牛タンが有名だよとか、会社の先輩はずんだ餅をお勧めしてたよとか、駅の中のお土産屋さんを指差しながら歩く。
西口の方へ出た。電話口では渋い反応だったが、実際会って話をすればどうにかなるかもしれない。調べておいた物件屋に向かった。
「昔、ゴミ屋敷にされて大変だったんだ。精神病院に入ってた人は相手にしないようにしてる。特別扱いは出来ないよ」
「いや申し訳ない、このマンションで過去に住民トラブルが有ってね、そういう人はマンションには入れないようにしてるんだよ。だからこれは、無理」
「あ、これね、もう埋まっちゃったんです。大学が近いでしょう、学生さんもこの時季探してて、惜しかったですね」
三ヶ所巡って、これだ。
どうしよう、今日1日あれば何とか見つかるだろうってタカをくくってた。日帰りで帰るつもりで、今日の自由席の新幹線のチケットを用意してるのに、大丈夫か?
腕時計を見ると、もう2時前だ。ジリジリと焦りがつのる。
はとちゃんは疲れた暗い顔でベンチの端に座って、肩を落としている。
はっきりと言う、言わないは店員によって違うけれど、障害者であることで否定され続ける、辛い時間だったはずだ。
連れて来ない方が良かったのだろうか。
でも、彼と一緒に住む場所だ。二人で納得して決めて、貸す側にもなるべく、分かって欲しい。
「……やっぱりぼく、しゅうとさんのじゃまに、」
「違うよ。違う。違うんだ。はとちゃんは悪くない。ごめんねお腹空いたよね、そろそろお昼どこか食べ行こう。それとも先にお薬だけでも飲む?」
「ううん、しんぱいしなくていいよ……ごめんね、ぼく、やっぱりいないほうが」
「違うって言ってるだろ」
いらだって思わず強い口調になってしまい、しまった、そんなつもりじゃないんだ、とあわててはとちゃんの身体をぎゅっと抱きしめて、ごめん、と謝る。
はとちゃんはマフラーに顔をうずめた。ぐすぐすと鼻水をすする音がする。
「な、なんでも好きな物食べていいよ、何食べたい?」
「……おいも」
「い、芋? 芋料理……?えっとね……あ、駅の中のカフェでずんだポテトパイっていうのがあるみたいだ。さっき通り過ぎた時もお店たくさんあったし、他にも食べたくなる物あるかもよ。お店行ってみよ」
来た道を戻って駅に着き、検索して出てきたポテトパイの店の前に来ると、店内は当然のように女性客で賑わっているのが見えた。
「……入れそう? しんどい? 別のお店にしよっか」
「……ここでいいよ。しゅうとさん、まもってね。ぼくも……がんばるって、きめたんだから」
歩きながら徐々に平静を取り戻し、なんとか泣き止んだ顔で俺の手をそっと引いた。
プレゼンを作成するにあたって電話で聞いた希望は、『できないことを、できるように』『しちゃいけないことは、しないように』というのが大きな柱だった。
例えば、女性と触れ合えるようになったら、職業選択の幅も日常生活の自由さも広がる。
俺のそばにいたいから、もっと大人になる。
生まれ変わってみせる。
はとちゃんの中で、確固とした自我が芽生えはじめたみたいだった。
とはいえ、パイが焼けるまでの待ち時間、はとちゃんは肩身が狭そうに縮こまって震えていた。何回も手を握ったりさすったりして、はとちゃんを励ました。
俺の注文した厚切りのピザトーストとずんだの餡が挟まったパンケーキも到着して、お互い一口ずつ食べさせあった。美味い。空腹の胃がぎゅるぎゅる唸って喜んでいる。
「ずんだ、って、なに……?」
「枝豆をすり潰した名物品だよ」
「まめかぁ……。あまくて、ほくほくして、とってもおいしい」
ゆっくりゆっくりパイを完食し、忘れず持ってきた薬も飲み、青ざめていた顔色が良くなった。
……俺は内心、ちゃんと住まいが見つかるか不安でいっぱいだ。
青臭い理想が、現実に撃ち砕かれる。
はとちゃんが世間一般からして、蓋をされる臭いもの扱いなんだという事実がまざまざと感じられる。
ずっとこんな扱いをされ続けてたら、自分を愛せない、よな。
次に入った物件屋も玉砕。
どんどん日が落ちてくる。ヤバい。
次に入った店で、ついに希望が見えた。
「ウチもあんまり障害ある人は気乗りしないんだけどね。……この物件なんだけど」
懸命にはとちゃんのことを説明した後提示されたのは、青葉区の木造平屋建ての2K。
風呂もトイレもある、6畳の和室が2部屋、片方には収納もある、小さいが庭付き。
駅までは距離があるが、バス停やスーパーが近いし、職場までは自転車でちょうど良さそうな距離だ。
近所に寺社仏閣がチラホラあるし、地震にも耐えられる地盤と見ていい。優良物件のように見える。
店員は頬杖をついて、だるそうに言った。
「出来立ての事故物件だよ」
「じ、事故って……」
「前に住んでたおばあちゃんがお風呂で溺れちゃってね。お風呂だけは新しいよ。事故物件だから割引くし、次に貸しやすくしたいんだよね」
背筋がぞわっとするが、幽霊が出ようが正直決まれば御の字だ。割引で値段は安い、住宅補助からほとんど足が出ない。貸して貰えるならもう、ここでいい気がする。
「はとちゃん、どうだろ? 幽霊出てきても大丈夫かな?」
「おばあちゃんのゆうれいで、くんれんできるね。なかよくなれるかなぁ」
超ポジティブ。
そうか、はとちゃんは幻覚が見えるらしいから幽霊くらいでは動じないのか?
「でも、見てみないと、よくわかんない……」
「見学って出来ます?」
「今から? …………あー、車出しますね」
ゆるい雰囲気の店員の運転する車で、物件に向かった。住宅街に学校と神社、それに大学病院も通り過ぎたし、川も見える。住みよいのでは、と期待が高まる。
「もうちょっとしたら桜が綺麗に咲くよ。大崎八幡宮が近くだから、そこに行きな」
「あ、ありがとうございます」
雰囲気通りの雑な運転で、家に到着した。
外観で、なんか細かいひび割れが見えるが気にしないようにする。
中に入る。キッチンはあまり広くはない。コンロはガス。二口ある。冷蔵庫があったであろう場所が、壁紙の色味のコントラストで分かる。
和室にはおばあちゃんの私物らしいこたつやテレビ台が残されている。傷付いて商品価値が出なくて、売れなかったのか。畳はすっかり黄ばんで年季が入っている。
和室同士を分ける障子は、シールを貼って穴を修繕した痕跡が残っている。収納は上下に分かれていて、そこそこ広さがある。
風呂は確かに妙に新しい。今の家より湯船が狭いが、風呂トイレ別だし、許せる。
庭。狭いし雑草まみれだが、物干し竿が付いているし、自転車を置くスペースがあるのは有難い。日当たりはこの時間だと確認しようがないな。
「……? なんだ、鳴き声……?」
「あ! ねこだ! ねこ……ねこかわいい……」
どこから入ってきたのか、白い猫がキッチンでウロチョロしていた。
首輪はない。鼻が潰れて目付きが悪い。ペルシャ猫っぽい顔だがそれほど毛は長くない。ペルシャ猫が先祖にいる雑種なのだろうか。
はとちゃんは嬉しそうに猫を抱きかかえて、撫で撫でした。猫はふてぶてしく動じない。玉が付いてるからオスだ。
「……はとちゃん、ペット飼ってみたいって言ってたよね」
「うん……かうの、きんしだったの。入院したら、管理人さんに、めんどうみてもらうことになるから……。うちのねこになりませんか、ねこちゃん」
猫はなあなあと鳴いた。まんざらでもねえな、考えてやる、みたいな顔だ。
「ムムッてかおをしているので、なまえは『むむ』でいいですか」
何故か丁寧語で猫と戯れるはとちゃんの姿は、本当に目を癒してくれる。
平和で、愛おしくて、ああここで新しい生活が始まるんだな、こんな光景を守っていきたい、そんなあたたかい気持ちで胸がいっぱいになった。
「今度来た時もいたら、本当にうちの猫にしちゃうか。……ここにします。手付け金、どんくらいですか?」
新幹線に急いで飛び乗って、はとちゃんを最寄駅まで送った時にはもうすっかり夜だ。
『あまるていあ』まで送るつもりだったが、はとちゃんは固辞した。大人だもん、大丈夫です、とそうは見えない顔と身体で言った。
「ほんとに、おひっこし、するんだねぇ。たのしみ。せんだい、たのしみ!」
はとちゃんは満面の笑みを浮かべ、俺にそっとキスをして、ばいばいと手を振って走って帰っていってしまった。
かすかに残り香が猫くさい。
明日もまだ仕事は残ってる、身体は重い、だけどなんだかスキップでもしたい気持ちだ。
夜空で星がきらきら光る。
仙台、楽しみ。ほんとだね。
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