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いつかはラブレター
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伊吹初乃がサイコパスたる所以、それは圧倒的な人心掌握力と、凶悪なほどの居心地の良さの提供にある。
サイコパスというと、善悪の判断基準がブッ壊れた犯罪者的なイメージがつきものだが、むしろガチの奴は人当たりの良いリーダーシップの取れる存在として愛されていたりするのだ。
転勤してきて数日にして、パイセンはすっかり社内のムードメーカー的なポジションを得てしまう。
俺含めた転勤組を、九重さんは早く自分の支配下に置いてやろう、マウントしようと思ったはずだ。しかし、あの九重さんに対してさえフランクでいてしかし立場をわきまえた絶妙な交流をしてしまうのが、伊吹初乃という人。
アンタッチャブルな腫れ物の上司とガンガン絡んでいくとんでもない女の登場に、社員は最初恐怖を感じていたが、軟化する九重さんの様子に、次第に「あれ? 大丈夫かも……?」と空気が変わる。
パイセンに追従する形で俺は動き、社内の塞ぎ込んだムードは徐々に変わった。
パイセンは、褒めるの大好き人間だ。
「ありがとう」「お疲れ様」「いつも助かります」と業務に限らず、「今日のネクタイいいね!」「あれ? メイク変えた?」など外見の変化すら褒め、その上で引くほど話のレパートリーが豊富なので、会話するだけで楽しくなってしまう。だから相談事が自然と打ち明けられ、情報が集まる。
逆に大変そうな様子を見つけると、気を配り案件の確認をしたり手伝いをする。それはまるで優しさのように感じられるのだが、俺から言わせれば「動きの悪い歯車のメンテをしている検査員」って感じだ。
本人曰く大学時代の水商売の経験から来るものだと謙遜しているが、経験だけではそんな風にはならないだろう。
たゆまぬ努力と、才能だ。
九重さんが当然ながらトップであることは揺るぎないのだが、影で支配者はパイセンへとシフトした。
最初から人望ではなく恐怖で支配していたのだ。それを払拭すれば、むしろ皆が皆九重さんを快く思わない点で一致団結している。
まったく、ヤバい人だ。
これで野心を持ってたら、本当にヤバいことになっていたんだろう。
昼飯をデスクで食べていると、遠嶋がそっともなかを差し入れてくれた。
くじらの形をしていた。ごまのあんが入っていて、美味い。
「この近くにお店があるんですよ。友達が働いてて、よく買いに行くんです」
相変わらず九重さんにタゲられているが、今の所問題なく働けている。口数も増えてきて徐々に戦力になってきたように思う。
そもそも、戦力は歯抜けの状態だった。
自殺した女性、休職中の女性の他、退職した人までいたようだ。引き続きがまともに為されていない状態だったっていうのに、上司は部下をいじめて口減らしだなんて、頭が沸いてるんじゃないか。
「ありがと。あんまりレパートリーが無いから、昼飯が似たり寄ったりになっててさ。違う味があるだけで、変わるよな」
「……彼女さんがお作りになってたんじゃ、ないんですね」
ラップに包まれたサンドイッチを見ながら、遠嶋は呟く。
「んー、半分正解かな。パンは手作りだけど、チーズとかゆで卵とかきゅうりとか色々挟んでこしらえてるのは、俺」
「ええ? 中途半端ですね? 全部、作ってもらったらいいのに」
「俺の方が料理得意だから、いいんだよ」
なんだか納得してないような微妙な表情を浮かべている。
「たすくん、もなかありがとな! 美味かったわ。あ、狭川、旦那がこっちでもダーツバーで働き始めたから客として来いよ。彼女さんも。未成年だっけ?」
颯爽とパイセンがコーヒーをお盆に乗せて通りすがる。上には九重さんのマグカップも見える。したたかだな。
「今週26歳になるって言ってるじゃないっすか。いずれ、行きますから」
「……僕も、ダーツ始めようかな」
「おっ、いいね! 待ってるぜ! 旦那が!」
純朴な好青年が俺たちサイコパスに順調に染められていってるな。大丈夫なんだろうか。
大崎八幡宮は伊達政宗にゆかりがあるらしい。手前の鳥居の朱色がまぶしい。その奥にも鳥居があり、階段の周囲にはもうピークは過ぎてしまったが桜の桃色と葉の緑が見える。階段に桜の花びらがいくつもいくつも落ちている。
春の陽気の青空は、柔らかく薄い雲が広がっている。
「かいだん…………」
「傾斜が結構あるね。運動になる。はとちゃんは運動あんまり好きじゃない方だよね」
「つかれる……あと、ビリになるから、かなしいです」
「ああ、学校だとそうだよな。競わなくていいよ。自分のペースで、のぼろう」
先に辿り着いて、はとちゃんを待つ。黒と金を基調としたカッコ良くて渋い建物の前に、どうやら神前の結婚式を挙げているカップルがいた。古風で、なんだか素敵だ。
はとちゃんはふうふう息をして呼吸を整えながら、見下ろして努力の成果を噛み締めている。
「……あのお客さんたちがいるし、お参りは後にしよっか。見て回ろ」
奉納されている絵馬を見ると、仙台に本拠地を構える東北楽天ゴールデンイーグルスの選手たちの絵馬や、色んなスポーツの仙台出身の選手へのエールが込められた絵馬なんかもある。
はとちゃんは、それらを手に取って寂しげに見つめた。絵のある物を選ぶ。
多分、他は読めないんだろう。
「……しゅうとさん。ぼくのたんじょうびのプレゼント、ほしいものきいてたよね。きめたよ」
「うん。何?」
「ぼくにちょうどいい、かんじドリルとか、きょうかしょがほしい。もっとべんきょうしたら、こういうの、かけるかな」
「いいね、一緒に買いに行こ。ちょうどね、家に新聞取らないかって広告が来てて、小学生向けの読み仮名のついた週刊の新聞があるみたいなんだ。それも、取ってみようね」
はとちゃんは嬉しそうに頷いた。
「テレビ見ても、はなすの早いし、かんじおおくて、ニュースわからないもんね。かみにかいてあったら、ゆっくりよめる。ぼくにも、わかる」
26歳からの小学生新聞っていうの、なんだか時空の歪みが感じられてエモいよな。
自分のペースで、がんばる。
はとちゃんは遅まきながら、階段をのぼっている。
微笑ましい成長がたまらなく愛おしい。
「……それで、もっとじがかけるようになったらね、ラブレターかくんだあ。たのしみにしててねぇ」
きっと何にも代えがたい大切な手紙になるんだろうな。超楽しみだよ。
辺りをふらふら見て回ったら、カップルも神事を済ませて去っていた。
割と適当に手を打って礼をして、俺たちは祈った。
この暮らしが、幸せが、どうかいつまでも朗らかに続きますように。
「……俺たちも結婚しよっか」
ふと口から出た言葉に、はとちゃんは目をぱちぱちしながら俺を見上げる。
「ぼくにも、わかるよ。男と男だと、けっこんできない。ごめんね、しゅうとさん」
「法律的な結婚は出来ないけどさ、生活保護法で言えば俺たちは事実婚、まるで結婚してるみたいな関係なんだ。まるで結婚してるみたいに、暮らしたいな。夏のボーナスでお揃いの指輪を揃えて……そうだ、結婚写真も撮ってもらおう。はとちゃんはタキシードとウェディングドレス、どっちが着たい?」
困ったような表情で言葉に詰まって、はとちゃんは口を半開きにする。
「俺は、ドレス着たはとちゃんの隣に立ちたいな。その方が、はとちゃん似合いそうだ」
「……いいのかな」
性別を変えなきゃいけないんじゃないか、
犯罪者の自分が晴れ着なんか着ていいのか、
俺と並び立って、俺が普通に結婚する可能性を自分なんかが潰していいのか。
その迷いに、俺は答えた。
「いいに決まってる。俺と、結婚してくれませんか」
はとちゃんは言葉にならなくて、俺にぎゅっと抱きついた。これが事実婚の強みだよな、結婚出来ないのを逆手にとって、何回でも求婚してやろう、新婚気分を何度も何度も味わおう、って笑った。
細くて折れそうな薬指の付け根を指先で撫で回して、夏が早く来て欲しいと願った。
約束をする小指よりも内側の指に、俺たちなりの誓いを立ててやろうぜ。
はとちゃんと共に児童書コーナーへ行き、これは分かるこれは分からない、と中身を確認した結果、小4レベルまでのドリルを購入した。中学には入院したりしながらも行ってはいたはずなのだが……いや、言うまい。
漢字が喫緊の課題であるとは思うが、数字の方も分かれば買い物だってもっと出来るようになるかも、と国語も算数も入ってる物を選んだ。
ショートケーキに数字デザインのロウソクで2と6を並べて、火を灯した。
ふぅっと一息で消して、はとちゃんはくしゃっと嬉しそうに笑った。
「誕生日おめでとう! 26歳……か……」
見えない。16歳でも通用する。
「ぼくのほうがしゅうとさんより年上って、なんか、へん」
「さん付けだと尚更変だね、はとさんだね」
「へんだ……! じゃあしゅうとさんは……うーん……しゅうくん?」
うわあ、これまでの彼女がよくそんな風に呼んでたわ。懐かしい。違和感すげぇ。
はとちゃんはいちごを大切に残しながらケーキを口に含んだ。かたわらで、むむがいちごくれくれって感じに鳴いた。
「今までどおりがいいよお。しゅうとさんはしゅうとさん。えへへ、大人になれるようにがんばります」
ケーキを食べた後は、2人でドリルを解いた。知識として定着出来るように、何回も繰り返す必要があるだろう。何度でもやろう。はとちゃんが今以上に、生活しやすくなるように。
「あい……あいむずかしい……」
「愛って小4でもう習うんだね。それだけ大事って事かな」
「あいしてるのあいって、これなんだよね? むずかしいね……」
「そうだよ。愛してる。……今度書けるかテストする? 布団の中で」
手元から顔へと視線を向けると、はとちゃんも俺を見て、拗ねていた。
「えっちするとき、きっと字が出てこなくてもやもやしちゃう……やだ……分かりたい……ぼくだって、あいしてるもん」
唇を尖らせた仕草が可愛くてニヤけた。
ノートに書き取られた愛はいびつで、ラブレターにはまだ少し時間が必要そうだった。
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