アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
夏の来訪者
-
桂太には最寄りのバス停の名前を教えた。
バス停近くにある生協に、偶然というか幸運というか仕事が休みだったはとちゃんを呼び寄せ、合流させる作戦だ。
まったく、俺に迷惑をかける前提でフラッと家出しやがって……。
桂太にはとちゃんの写真を、はとちゃんに桂太の写真を送る。
桂太は分かりやすくグレて髪をブリーチしたようなのだが、そんな写真はないから手元にあるいちばん新しい画像を送った。
新幹線のトイレでやり取りしてたらトイレを使いたい人に白い目で見られてしまったので、車両の間の通路に移動した。小窓の外で豊かな自然の風景が延々と流れていく。平たい畑や田んぼの奥には、青々とした山並みが連なる。
「……兄ちゃんの彼女、俺と歳変わんなくない? 兄ちゃん……」
呆れたような声色で桂太は話す。周囲がざわざわとしているのがうっすら聞こえる。まだ駅の中だろうか。
「こんな見た目だけど、俺と同い年だよ。それに、彼女じゃない」
「一緒に住んでるのに彼女じゃないの?」
ためらいもあったが、隠せる状況ではない。
正直に伝える。
「……こういうことは電話じゃなくて面と向かって言いたかったんだけどな、兄ちゃん実は、男の人とお付き合いしている。この人はこういう顔だけど、男なんだ」
えー、と、げぇー、の中間みたいな声を上げて桂太は驚いた。
「それと……ああ、いや、先にこういうこと話すと、そういう色眼鏡でしかはとちゃんを見れないかもしれないな。どうせ本人から手帳見せて貰うだろ」
「手帳?」
「とても優しいいい人だから、お前も優しく接するように。困ってたら助けてやれ。弟とはいえ迂闊に手を出したらブッ殺すからな」
「しねーよ。俺女好きだもん。むしろ俺が手を出されたら責任取ってくれよ」
「そんなことは絶対に無いから安心しろ。盛岡と弘前でお土産買って帰るから、2人でいい子にしろよな」
「盛岡と弘前ってどこ?」
「岩手と青森だよ。地理やってねえのかよ」
電話口だからこそなのか、反抗すると寝床が無いまである状況だからなのか、桂太は気持ち悪いだとかそういうことは言わなかった。
思うのは自由だ。
だが、口にすれば多かれ少なかれ傷付くだろう。はとちゃんが弟から傷付けられたら、どちらをどうしたらいいのか、まだはっきりとした答えは浮かばなかった。
盛岡を移動中に、桂太からはとちゃんとのツーショットが届いた。
よく知っている生協の風景の中、金髪で黒地に線の入ったTシャツを着た弟がはとちゃんとピースしている。
弟はますます身長が伸びたのか、俺よりもデカくなったように見える。はとちゃんの目線が桂太の肩のところにある。
はとちゃんは何故かネギを持っている。生協で働いてるご近所さんが、またサービスしてくれたのだろうか。
とりあえず、無事会えたんだな。
うう、これから何事も無ければいいのだが。
会議を終えて懇親会みたいな飲み会、俺は羽を伸ばしてしっぽり酒を飲む……という気分になるはずもなく、ミニ盛岡冷麺をずるずるすする。もっと酒を飲んだ方が美味いんだろう。
「そっち、大変なんでしょ」
北海道の支部の人が話しかけてきた。北海道から来る方が大変なんじゃねえの、と口から出かかる。
「昔、新卒の時に九重さんが直属の上司でさあ。いつか絶対なんかあるとは思ってたよ。面の皮厚いよな、部下死なせておいて」
「ああ、転勤してきたらそんな事情でドン引きでしたよ。でも、まあ……転勤族入れて、多少風通しは良くなったんじゃないかと。鬱で休職してた人も戻ってきて、ようやく人員が足りだしました」
鬱から復職した女性は、最初は過剰なほどびくびくしていたのだが、職場の雰囲気の違いに気がつくと肩の力が抜けたようだった。
パイセンは率先してその人から業務上必要な情報を引き出し……その流れでくだんの事件についても聞き取りをした。
職場のトイレで亡くなった女性は彼女の同期であり、自分の方が仕事はもたもたとしていたくらいだ、とても勤勉ないい社員だった、と話す。
九重さんからチクリチクリといじめられ、九重さんは妻帯者であるにも関わらず2人きりでの食事を何度も求められたことを相談すると、毅然として抗議をしてくれた。
のだが、その事をきっかけにいじめの対象が変わり、業務で必要な事まで情報を伝えなかったり、本当に醜悪なパワハラをするようになる。
もっと自分が彼女の支えになっていたら。
助けてもらったのに、助けてあげられなかった。
走り書きの遺書には、呪詛と非道な行いを糾弾する文章が綴られていた。それが公になれば立場が危うい、と九重さんが揉み消したのだ。こんな人の下で働くなんて本当に嫌だけど、仕事が無くなれば困るのは自分だ。
今は仕事と並行して転職活動をしている、体調を戻さないと、と涙ながらに話したそうだ。
パイセンは表面上親身に話を聞き、仕事量がいきなり増えないように気をつかった……と言えば聞こえはいいが、
「早いうちにいなくなる前提で仕事をする」という計算がある様子だ。心根はドライな人だからな。
俺はと言えば、やはりどうしてもはとちゃんと彼女を重ねずにはいられない。
これまでも鬱で休職や退職する人を見てきたが、殊更に特別扱いすることは無かった。似たような業務内容でなんでくたばるんだろうな、仕事増えてうとましいな、とは思った。
今では分かる。
そういう人たちは、抱え込んでしまう気質だったというだけだ。自分の尺度が他人に当てはまるはずもなかった。
はとちゃんに触れて、人の脆さに寛容になったような気がする。
あとどれくらい同僚でいるのかは分からないけれど、その間にさらなる辛さを感じることがないように、俺は俺なりに仕事に取り組むしかない。
盛岡でビジネスホテルにチェックインし、行水のようにシャワーを浴びてベッドに倒れた。
なんだかんだ、知らない人たちとの宴会というものは緊張感が抜けきらなくて疲れる。
携帯を見ると、はとちゃんからも桂太からもメールが届いていた。
こんなことになるとは思わず、はとちゃん1人分しかお金を置いて行かなかった都合上、食事はどうしたのかと思ったが、2人でスーパーに行って食べたいものを買って食べたようだ。
はとちゃんは蕎麦。桂太は寿司。
むむが桂太の寿司にちょっかいを出してサーモンを盗ったそうだ。さもありなん。
はとちゃんは、出張前に2人で考えたTODOリストがそのまま使えない現実にとても焦っているようだが、まあ何とかなっている様子だ。
はあ……か、帰りてえ……。
俺の布団で、はとちゃんと同じ部屋で寝ているであろう弟を想像するだけですっげーモヤモヤする……!
弘前で大型店舗を中心に行脚し、帰る新幹線の中で提出する記録を急いで打ち込み、会社に戻って会社でやるべきことをやっつけ、なんとか報告書を作成して九重さんのデスクに置いた。
やはり残業にはなってしまったが、家の中で仕事するのが難しい状況だけに仕方がない。
帰ろう……。
自転車に飛び乗って急いでこいで、息も絶え絶えになって我が家の扉を開く。
「おかえりなさい! 二日分の、おかえりのチュー」
「ただいま……」
玄関口で待っていたはとちゃんの肩を抱いて口付けを交わし、逢えない時間が愛を育むって本当だな、俺たち離れて暮らしてただなんて今となっては信じらんねえ、とうっとりとしていたら視界の端で金髪の弟が、
(マジでか……)
みたいなドン引き顔でこっちを見ていた。
唇を離して、軽く咳払いをした。
「お、おう桂太。でっかくなったなあ。来る時は来るってちゃーんと言えよな。2人とも、夕飯は? 風呂入った?」
「しゅうとさん、かえってくるの、まってたんだあ。みんなでごはんがいいから。おふろは、今、おゆをいれてます」
「待ちきれなくてペヤング食っちゃった」
「まだ伸びる気か? ちょっと並んでみよーぜ。……うわ、すっかり抜かれてるな」
兄弟で背中を合わせると、明らかに弟の方が高い。俺も180欲しかった。小さかった弟がこんなに大きくなると、何だか時間の流れを感じる。
はとちゃんは俺たちを見上げ、背伸びをしてささやかに張り合っているが、それでも遠く及ばないので切ない表情を浮かべた。
せっかくだからピザの宅配を頼み、スーツを脱ごうと寝室に入ると、
カーテンレールにセーラー服のパジャマがかけてあった。
あっ……ああああ……!
こ、これ、桂太も見たよな!? うわあ……完全に思考の外だった……。兄ちゃんとして真っ当に接してきたつもりが、これじゃロリコンのド変態だと思われる……!
そりゃドン引かれるに決まってる。顔が熱い。気持ち悪い汗出てきた。
ああもう駄目だ、こんな俺が説教したってなんの説得力もねぇよ、桂太にどんな顔して話せばいいんだ……!
着替えて居間に戻ると、はとちゃんと桂太はテレビの音楽番組を観ながら団欒していた。
そういえば予備の座布団が無い。
仕方なく畳にあぐらをかくと、はとちゃんは座布団を譲ろうと尻を浮かせたが、大丈夫だと制止すると、居心地悪そうに尻を戻す。
ちくしょう、言うべきことは考えていたはずなのに気が動転して切り出せねえ。落ち着け俺。大丈夫、今更俺のイメージが没落しようがもうどうしようもない。
「……か、母さんには連絡したのか?」
「した。こっち来るって。兄ちゃんとも話したいことあるからって言ってた」
う、うわあ。
本当に嫌なパターン引いちまったか。
俺は話したくもねえよ。
「そっか。……あ、あのな? 俺は桂太の好きにしたらいいと思ってる。好きにするっていうのは、自分の人生に責任持つって事。大学行くにしても、行かないにしても」
「……あいつの言いなりになるみたいだけど、俺……大学行こうかな、って思ってる」
予想外の言葉に、俺は耳を疑う。
行きたくないからこっちに来て要望を通そうとしたんだとばかり思ってた。なんだよ、心変わりが早いな。肩透かしだ。
桂太は、正面に座ってむむの喉を撫でていたはとちゃんを見つめた。
桂太の視線に気がつくと、はとちゃんはとぼけた顔で見つめ返し、助けを求めるように俺を見た。
「兄ちゃんのいない間、波止崖さんと話してたんだ。……俺は楽しくもなんともないって思ってた高校生活を、この人はキラキラした目で聞いてきてさ。高校なんて義務教育だって思ってたのに、そうじゃないって、俺は恵まれてたんだって気がついた」
……ああ、そうか。
はとちゃんという、教育を満足に受けられなかった存在と一昼夜過ごして、それで考えを変えたのか。
TODOリストをどこまでやったのか定かではないが、はとちゃんがパンを焼いたり、俺が干した布団を取り込んだり、一緒に寝て起きて、翌日仕事に向かって……多分そのひとつひとつが新鮮な、カルチャーショックだったに違いない。
「けいたくん、大学行くの? 高校に行くのも、すごいけど、大学はもっともっとすごい。おべんきょうをできるのは、すごいことです」
はとちゃんは控えめに拍手を送る。
「うーん、凄いじゃなくて偉いとか真面目、頑張り屋さん……とかがちょうどいい言葉かな」
「そうか……! えらい! まじめ! がんばりやさん!」
オウムみたいに復唱した姿に、桂太はふひひと吹き出した。俺もつられて笑う。何か変な事を言ってしまったか、とはとちゃんだけがおろおろと俺たちの顔を交互に伺い見る。
「俺は、はとちゃんも偉くて真面目で頑張り屋さんだと思うよ」
「えー、そんなことないよ。しゅうとさんは、ぼくに甘いから、そう言うんだよ」
「俺のいない間、突然桂太が来たのに頑張って切り盛りしてくれてありがとうな。一番風呂をはとちゃんにあげよう。入っておいで」
頭をナデナデすると、あっ、と風呂を沸かしてるのを思い出して立ち上がり、浴室へと向かっていった。
空いた座布団を引っ張り尻に敷くと、ほのかに温かい。構ってくれる人間が居なくなり、むむが不服そうに鳴いた。
「……俺の恋人、最高だろ?」
そう惚気ると、桂太は居心地悪そうな苦笑いを浮かべた。
「男とか女とかそういう問題じゃなくて、別の世界の人間で、ヤバいね。恋……いや、ヤバい……悪い人じゃない、優しい人だけどさ……」
「絶対に母さんは反対するよな。分かってるよ、それは。……明日、会社を早上がり出来るか分からないから、桂太にははとちゃんを母さんから守ってやってほしい。はとちゃんは女性恐怖症があるから、鉢合わせて何かされたら抵抗出来ない、と思う。お願い出来るか」
恐怖症のみならず、母親という存在がはとちゃんのトラウマをいたずらに刺激してしまう危険性がある。まだ克服には至らないし、なるべくガードするべきだ。
桂太は頷く。
「ん、それは、俺が家出した結果なんだから、そうするよ」
「ありがとう。……俺は、いい息子じゃないにせよ、せめてお前の前ではいい兄ちゃんでいたかったけど……なんて言ったらいいんだろうな。……マトモじゃなくて、ごめんな……」
「兄ちゃんはいい兄ちゃんだよ。変態だけど、それでも。あの人を選んだのは、なんか兄ちゃんらしいと思う」
また顔が熱くなってきた。恥ずかしい。
「勉強分かんないところあったら聞きな。もう随分前の事だから、教えられるかは怪しいけど、それでも力になりたい。あの姉は国立、俺は公立で家に学費のストックあるはずだから、私立も視野でさ。勉強じゃなくて相談でも、なんでも頼れよ」
桂太はもやもやと口を開け、思い切ったように言った。
「あ、あの……えっと、急に来て、ごめん……」
目が点になり、思わず金髪の頭をわしゃわしゃ撫でた。
「おっせーよ。ありがとうとごめんなさいはすぐ言うのが、精神衛生にはいちばんいいんだぞ? ……あと2年したら、お酒一緒に飲もう。楽しみだ。今日はりんごジュースな」
「りんご……?」
「青森土産より、岩手の方がいいか?」
届いたピザと一緒に、りんごジュースを3人で飲み交わした。
はとちゃんは湯上りにあのパジャマを普通に着ていた。昨日もそうだったのかな……弟の性癖がいくぶん歪んだかもしれんな……。
ペヤング食った後にもかかわらずペロリとピザを平らげ、桂太の胃袋の若さを実感した。
桂太に布団を譲って、2人でひとつの布団を共有して、抱きしめあって眠った。
桂太が居るから我慢我慢、と思えども、すぐそばで目を閉じているはとちゃんにはついうっとりとしてしまう。
昨夜は薬を飲んでぬいぐるみを抱えて、それでも熟睡は出来ず何度か目を覚ましたという。それだけ俺がいる安心感に依存していたということなんだろう。
この寝顔を、俺は守り通さなきゃいけない。
親子の縁をぶっちぎってでも、この人とのつながりを死守する。
はとちゃんの身体の温もりが疲れた身体に沁みて、胸に抱いた決意を新たにさせた。
明日は、戦争だ。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
29 / 43