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【番外編・桂太】兄のこいびと
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東北なら涼しいと思ったけど、そんなに変わらなかった。
ちょっと空気が乾いてるかも。そんくらい。
東京から直通のバスにずっと乗ってたから、身体がぎしぎしする。
兄ちゃんに電話したら、出張で迎えに来れないから、一緒に住んでるハトガイさんっていう人に迎えに来てもらえ、って言われた。
写真のその人は、白くて目つきの悪い猫の肉球をこっちに向けて子供っぽく笑っている。幼いし、女の子に見える。
……オカマって奴なのかな。
兄ちゃんは、オカマが好きだったのかな。
またバスに乗りながら、ぼんやり考えてた。
兄ちゃんの事は尊敬してる。
子供部屋が2つしかなくて、姉ちゃんは女だからって1人で部屋を使ってた。
兄ちゃんだって1人部屋が欲しかっただろうに、我慢して俺と一緒に二段ベッドを使ってた。俺が上がいい下がいいって気分で言ったらいっつも譲ってくれる。
俺が兄ちゃん姉ちゃんと同じ中高一貫校に入りたくて勉強してる時、大学で忙しいだろうに勉強を見てくれた。
「塾に通わせてくれたらいいのにな。あの姉に必要が無かったから、それ基準で俺にも桂太にも要らないや、って思ってんだよな。ちゃんと俺たちを見ろってんだ」
兄ちゃんはムスっと唇をへの字に曲げたけど、俺は兄ちゃんの書き込みがいっぱいあるテキストで勉強出来るのが誇らしいと思った。
ゆとり教育? とかで内容が変わってるのを直してあるみたいで、時々追加で紙が挟まっている。
「兄ちゃんみたいに、真面目に勉強するの俺苦手だよ。でも兄ちゃんと同じがいい。兄ちゃんは姉ちゃんよりずっと頑張ってるのに……」
「頑張らなくても上手くできる奴の方が、悔しいけど上なんだよ。でも、そういう奴はなぜ出来ないのか分からない。教えることが出来ないんだ。適材適所。桂太は俺よりスポーツ得意だろ? それでいいんだよ」
そう言って、兄ちゃんはちょっと悲しそうにへらへら笑う。
それにひきかえ姉ちゃんは、俺に勉強を教えてはくれない。
皿洗いも風呂掃除も、家事らしい事は何にもしないで手伝わない。
そんな姉ちゃんが家族でいちばんエライみたいに父ちゃんも母ちゃんも扱う。姉ちゃんは貴族みたいにふんぞり返ってる。
姉ちゃんが突然アイドルになるって言って、俺は驚かなかった。ちやほやされないと気が済まないから、それを仕事にしたんだ。
兄ちゃんが1人暮らしを始めるために引っ越しをした時、姉ちゃんは見送りもしないで爪を塗ってた。
俺が家出する時、たまたま玄関で鉢合わせて出て行くって話をしたけど、
「ふーん。仙台? そういえば今度アイドルフェスで行くんだ。楽しみ」
そう言って手をひらひら振って、心配も何もしない素振りで部屋へと戻って行った。
ばけものだ。
怠惰なお姫様は怒られないのに、俺は洗濯物をかごに入れ忘れたらくどくど怒られる。えこひいきだ。
がんばるの、くだらないって思えた。
教えられたバス停を降りて周りを見回したら、西友とコープが見えた。コープの方に入って、兄ちゃんから教えられた電話番号にかけた。
「はあい。……あっ、しゅうとさんの、おとうとさんですか? は、はじめまして、はとがいです……」
声がなんか女の子みたいに高くて、妙にゆるい。
「ども。言われたとおりコープ着いたんですけど、どこに居ます?」
「ぼくは強い小麦粉のところにいるよ」
分かんねえよ。小麦粉の強弱ってなんだよ。
「入り口にいるんで声かけて下さい。金髪なんで目立つし分かると思うんで」
しばらく待ってたら、買い物袋からネギをはみ出させて写真の通りの顔が近づいてきた。
ち、小せえ……。何もかも小せえ。
目玉がコロッとしていて、雰囲気もなんか子供みたいだ。
すその広がったひざ丈のズボンがスカートみたいで、伸びた脚がもやしみたいに細い。
履いたクロックスの穴にはリボンのアクセサリーがはまっている。
首に手帳みたいな物を下げて、カエルの顔のデザインの小銭入れを携帯と共に握りしめている。
いや……これが男……? 胸はぺたんとしてるけど、そんなの女でも居るしな……?
男と女の身体つきに分かれる前の子供みたいだ。なんだろう、変な人だな。
俺の顔と携帯の画面とにらめっこして、ちょっとよく分からん、って感じに眉をひそめた。
「ハトガイさんですね。狭川桂太っす。突然すいません」
お辞儀すると、ハトガイさんはぺこぺことお辞儀し返した。
「はっ……はじめまして……。えっと、しゅうとさんがかえってくるまで、ぼく、が、がんばっておもてなし、するので……よろしくね……」
「とりあえず合流出来たの報告したいんで、一緒に写真いいすか」
「あっ……はい……」
高さが合わなくて写真が撮りにくい。俺と一緒に居るとますます小さく見える。
「……はい、じゃあ家まで案内お願いします」
「あっ、そうですね、あんない……。えっと……行こう……!」
えいえいおー、と言いながらハトガイさんは歩き出した。
すげえふわふわした頼りない人だな。
兄ちゃんはこういうタイプが好きなのか……へえ……。
一軒家だ。布団が物干し竿に干してある。
鍵を小銭入れから取り出して開けながら、ハトガイさんは、
「けいたくんは、パンは好きですか?」
と質問してきた。
「は? まあ、嫌いじゃないですけど……」
そう返す間に扉が開いて、なんだか甘いような粉っぽいような匂いがふわっと香った。
「それは、よかったです。今、パンを作ってるとちゅうだったので、ぼくはつづきをしますねえ。やけたら、やきたてをあげます」
そう言ってハトガイさんは買い物袋の中身を冷蔵庫に入れると、台所で手を洗い、まな板の上にある小さな丸っこいパン生地を麺棒で細く伸ばし始めた。
端っこからくるりと丸めると、それはバターロールの形になる。
「……えっ、自分でパン作ってんすか? すごい……」
「ぼくねえ、前はパンやさんではたらいてたからね、作れるんだあ。いつもは、食パンなんだけど、たまにこういうの、したくなるんだよねえ」
デレデレとしながら、ハトガイさんはパンをいくつも成形して、炊飯器みたいな四角くて白い機械に入れた。
「これで焼くんすか?」
「これで、ねかせます。オーブンレンジでやきます」
そう言って黒くて丈夫そうなトレイを取り出して、クッキングシートを乗せた。
「しばらく、パンはきゅうけいです。けいたさんも、やすみをとるといい」
テレビのある部屋に通された。和室だ。
写真の通りの白猫が、なんやこいつ、ってメンチ切って座布団でゴロゴロしていた。ブサカワって感じがする。
「むむ、おきゃくさんきたよー。しゅうとさんの、おとうとさんなんだって。ばしょをあけてくださいね」
ハトガイさんは猫を持ち上げて、部屋の隅に置かれた真ん中がくぼんだクッションに移動させた後、座布団にちょこんと正座した。俺も座布団に座った。
コップに注がれた冷たい麦茶を飲み干すと、手付かずの自分の分を差し出して、どうぞどうぞ、いっぱいのんで、とゆずってきた。
テレビでは野球の試合が流れている。たしか球場が仙台にあるんだったか。
「……さっきから気になってたんすけど、その手帳はなんなんすか? 兄ちゃんも手帳がどうとか……」
きょとん、としてハトガイさんは胸元を見た。
「あっ、パンのことであたまがいっぱいで、とるのわすれてたあ。おしえてくれて、ありがとう。これはね、しょうがいしゃてちょうです」
障害者手帳?
障害……障害者……!?
えっえっえっ、どういうこと?
「……あれ? しゅうとさんは、言ってなかったかな……? あのね、ぼくには、ちてきしょうがいと、せいしんしょうがいがあります」
しかも2個ある!?
なんで……兄ちゃんなんでこんな人と暮らしてんの……!?
びびってハトガイさんを上から下まで見つめていると、ハトガイさんはへらへらした感じに笑った。
不思議と見覚えのある、困った笑顔だ。
「これがあるとね、みんな、しょうがいしゃだからしょうがないや、って、大目に見てくれるの。もうしわけなくて、かなしいけど……ぼくは生きてるだけで、めいわくをかけちゃうからねえ……うん……しょうがないことだ……」
そうぶつぶつ言って、下げた手帳を外して部屋を出て、玄関の靴箱の上に置いた。
道すがら、パンの機械の表示を確認し、蓋を開け、中を覗いて中身をトレイにちょこちょこと乗せて、はけみたいな物で表面に牛乳を塗った。
レンジに入れ、今度こそ焼き始めたみたいだ。中がだいだい色に光る。
乱打戦になってなかなか回が進まない野球をぼんやり眺めていたら、パンが焼けた。
取り出されたパンは、こんがりとふくらんでバターのいい匂いがする。
ミトンに乗せて焼きたてをひとつ手渡され、食べた。
これまで食べたパンは何だったのか……ってレベルで、美味しかった。
皮はかりっと、中はもちもちでしっとりとしている。優しい味わいだ。
「超美味いっす。パンってなんかスカスカパサパサして大して好きじゃなかったけど、焼きたてってこんな美味いんだ……。パンの中でいちばん美味いっすね」
「えっ、そんなにほめてもらえるとは、思わなかった。ふふ、しゅうとさんのおとうとさんだからかな? しゅうとさんは、ほめるの大好きだからねえ。ありがとう、けいたくん」
兄ちゃんは胃袋をつかまれたのかな?
このあどけない笑みに落とされたのかな?
本当に女の子だったら、たしかに俺もちょっと好きになってたかもしれない、って思った。
夕飯どき、2人で西友に行って夕飯を買った。俺は寿司、ハトガイさんは蕎麦。
ハトガイさんは味噌汁だけは自炊した。具は豆腐とわかめとネギで、普通に美味しい。ネギを切る時は包丁ではなく、調理用のはさみでチョキチョキと輪切りにしていた。
「いただきます」
と、律儀に言って、ゆっくり蕎麦を噛み締めながら食べている姿は妙に上品な感じがした。
「けいたくんは、高校生だってききました。高校は、どんなところですか?」
眩しい、キラキラとした瞳だ。
「いやー、つまんないすわ。俺、兄ちゃんに助けてもらってようやく同じ学校入れたくらいだから、基本、馬鹿なんすよ。テストで勝てないから、勉強楽しくなくて」
「そうなの? しゅうとさんも、とってもかしこいおねえさんと、いつもくらべられて、いやだったって言ってた」
そりゃそうか。2個しか違わないから、行く先行く先であれに比較されたらヤダよな。
「でも、けいたくんは、ばかじゃないよ。ぼく、高校、行けなかったから、ぼくよりずうっとかしこい」
「えっ」
そ、そういえば、知的障害って言ってたな。
スーパーのレジでも、細かいお釣りが出せないのか、お札を差し出してた。
パン焼いた後、兄ちゃんの筆跡のリストを何度か確認して家事をして、あわてて布団を取り込んだりしてた。雨が降っていたら大変だっただろう。
「……なんで兄ちゃんと一緒に暮らしてるんすか?」
「なんでだろうねえ。ふしぎだねえ」
そう言って味噌汁椀を両手で持って、くぴくぴ汁を吸った。
……なんか……通じてない……?
「……えっと……兄ちゃんとはどこで知り合って今こうなったのかっていう、いきさつを聞いたんすけど」
「どこ……んっとね、ぼくが電車の中でたおれちゃったのを、しゅうとさんが助けてくれたんだあ。それで、ぼく、好きになったの。お付き合いしてくださいっておねがいをしました。そして……えっと……いっしょにすまないかって言われて、いっしょにすんでいます」
うわー、兄ちゃんっぽい。電車で人助けから恋愛って、リアル電車男じゃん。本当にそんなことあるんだ。
「男が好きなんですか? オカマ?」
「……ぼく、女の人がにがてだし、男の人もこわい、と思うんだけど、しゅうとさんは、やさしくて、かしこくて、かっこよくて、てんしみたいな人で……大好きなんです。おかま……なのかなあ……? 病院でもきかれるの。女の子になりたいのか、って。……ぼくは、男でいるのが、かなしくて、くるしい。でも、女の子には、なれっこないよ」
病院? 障害って治るの? 電車で倒れたっていうのは障害のせい?
「ハトガイさん、美人だし、手術して女になればいいのに」
何気無くそう言うと、またヘラヘラ笑った。
「しゅじゅつは、お金かかる。しゅうとさんのお金をつかうのは、かなしいよ。……それに、しゅうとさんは、やさしいから、今の……こんなぼくが、好きだ、って言ってくれるから」
赤面してうつむいたハトガイさんから、フワッと女の子の雰囲気が出て、ギョッとした。
……兄ちゃん、この人と……そ、そういう関係、なんだよな?
生唾を飲んだら、猫が隙ありとばかりにサーモンの刺身だけかっさらって、むちゃみちゃと食ってしまった。
「ああっ、むむ。だめだよ、ひとのごはんをぬすんじゃ。ぼくのから、とって。むむは、えまくんみたいだな。ごめんなさい、してください」
ごっそさん、美味かったわ、って感じで猫はうーんと喉を鳴らして唸った。
ハトガイさんが風呂の支度をして入浴している間に、こっそり手帳をのぞいた。
顔写真と、漢字ばかりの物々しい絵面。
なにか、とても怖いと思った。重苦しいような、なんだか違和感があるというか。
自分の中の障害者のイメージと、あの人はいまひとつ合わない。
何にもできない訳じゃないし、だけど普通だとも思わない。
なんだろう。俺はいま、何が変だと思ってるんだろう。
「おふろ、あがったよお。またせてごめんなさい」
そう言って髪をタオルで拭いている波止崖さんは、何故かセーラー服のコスプレをしていた。
スカートに違和感がない。本当に高校生みたいだ。可愛い。
「しゅうとさんがね、このパジャマくれたんだあ。からだが、すぐにかわくし、はだがきもちいいの。……あっ、スカート、へんで、きもちわるかった?」
「……似合ってますけど……これ兄ちゃんの趣味なんすか? うええ、完全にロリコンじゃん……。つか、本当に男なんですよね?」
「うん。……なか、見たら、分かる?」
スカートの裾をもじもじとつまんで、波止崖さんは俺を見上げる。上目遣いで誘われてるみたいに感じて、ドキドキする。
俺はスカートの上から股を触った。玉の感触がする。マジだ。男だ。
「ひゃ、わ、や、やめてよぉ」
股間を抑えて後ずさり、あわてて寝室に入っていってしまった。
萎えた感覚を上書きするような可愛い反応に
頭が混乱する。あの人は男、男なんだけど、なんだか胸騒ぎがする。
慌てて風呂に入って、狭い湯船で膝を抱えた。長湯して、のぼせた。
兄ちゃんの服を勝手に借りて着替えて、風呂から上がると波止崖さんは兄ちゃんと何か連絡してるみたいだった。
ふと思い出したように薬を取り出して、口に含んで麦茶を飲んだ。ぼんやりしてるな。
猫がテーブルの上で腹を出してでーんと横たわり、しっぽを揺らして薬の入っていた殻を畳に払い落とした。
俺を視界にとらえると、
「あの、今日は、ぼく、大丈夫だった?」
と聞いてきた。
「急に家出して来たのによくしてもらえて、助かったっす」
と返すと、ほっとしたようだった。
布団が2つ、離して敷かれている。
片方だけ枕の周囲にぬいぐるみが置かれているので、どっちを使えばいいのかは分かった。
干してあったからか、布団からなんとなく太陽のにおいがする。
波止崖さんの方をうかがうと、ぬいぐるみを抱えてタオルケットをかけ、目を閉じている。寝顔も綺麗だ。とても兄ちゃんと同い年には見えない。
と、どこか不安そうに薄目を開けて、寝返りを打ったところで目が合った。
慌てて後ろを向く。
「……お薬、のんだけど、ぼく、ねむれなくて、うるさくしちゃうかもしれない。じゃまだったら、押し入れで、ねるから」
小声で、ぽそぽそと呟いた声に振り向く。
「い、いや、そんなに気使わなくていいんで……」
「そう……? うう、しゅうとさんがいないだけで、こんなに、不安で、どうしたらいいのか、わからないの……」
波止崖さんは心細いのか、ぬいぐるみに顔を埋もれさせている。
無性に頭を撫でてあげたいような気持ちになって、ふと気がついた。
障害者に優しくしてあげて、というルールは優しくするのを強制されるみたいで、特別扱いがずるいと思ってた。
なんにもしてない奴がちやほやされるのは、姉を見ているみたいで嫌だったんだ。
でも、今の気持ちは違った。
自然と、そうしたいって思った。
この人は周りを優しくさせる。いらいらしながら仙台に来たはずなのに、この人の優しさに癒されてる。
兄ちゃんがうらやましい、とほんのりと思った。
「……仕事……?」
「うん、ちょっとねむいけど、いかなきゃ……。しゅうとさんがかえってくる前に、かえってくるので、おるすばん、おねがいします」
昨日焼いたパンをビニール袋に入れて、水筒と一緒にリュックサックに詰めながら波止崖さんは言った。
「パン屋でしたっけ」
「むかしは、そう。せんだいでは、おそうじのお仕ごとです。今日は、たぶんえきの中」
働いてるんだな、働けるんだな、って思った自分がいた。
家の鍵を手渡された。
首に手帳を下げ、いってきます、と外に出た波止崖さんの背中は、小さいけれどまぶしく見えた。
がんばるの、くだらなく、ない。
この人を見ていたら、不思議とそう思えた。
一応持ってきていた夏休みの課題を、テーブルに広げて解いた。
できることは人それぞれ、点数で勝てなくても、ふてくされなくていいんだ。
黙々と勉強に勤しむ俺を、猫が部屋の隅っこでじっと見ていた。
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