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【番外編・佑】運命じゃない人
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いつも周りの男の子のことを見つめていた。
好きだな、とも感じていたと思う。
それが両親にとって不都合であることは、小学生の頃にはもう気がついた。自分の気持ちを隠して、お父さんお母さんの喜ぶように振る舞うようになった。
生んでくれた両親を悲しませたくない。
かといって、女性と付き合う自分を想像出来ない。そういう矛盾が、正しくなれない自分か、いつも辛かった。
「……縁を切った……?」
だからこそ、尊敬していた狭川さんから耳を疑う話が出てきて、何か意気消沈してしまった。
この人でさえ、こうなのか、と。
「厳密な処理はしてないけど、もう母さんとは金輪際会わないつもり。せいせいしたよ。勝ててよかった」
ダーツバーのカウンターで、カンパリの入ったオレンジ色のカクテルを飲みながら、狭川さんはホッとしたように一息ついた。
「いやいや……それは、勝ってます……?」
「お互いに分かり合えないことがはっきりして、もうぶつかり合うこともないんだから、大勝利だろ。……はとちゃんに無理解な奴に近寄ってほしくないしさ」
狭川さんが恋人の話をするたびに、胸がちくちくする。
自分がいつも遠慮してしまうタイプだから、こういう普段から気にかけてくれる優しい人のことが好きだ。
それがこんな綺麗な出で立ちで、しかも毎日のように一緒にいたら、頼れる先輩として接してきたら。
もう、大好きになる以外、なかった。
働くってどういうことか、社会人とはどういうことか、営業になったけれど向いているのか。怒られてばかり分からないことばかりの、ぐらぐらする日々をそれでも続けているのは、伊吹さんと、狭川さんが親身になってくれたからだ。
初めて会った時から狭川さんには恋人がいて、それは最初女性だと信じ込んでて、それが本当は男の、障害のある人で。
もっと早く会えなかったのかな、と考えてしまう。あの人がいなければ、って。
あの人より狭川さんのことを好き……かどうかは比べようがないけど、でもあの人よりもっと狭川さんが楽に暮らせるように出来ると思う。なんだってしたい。して欲しいと言ってくれるのなら。
「たすくんなら分かるんじゃないか? そもそもさ、親不幸しか出来ねえじゃん。孫の顔は見せられない。自分の幸せを喜んでもらえないのなら、相手の幸せなんて考えなくていいんだと俺は思う」
「……狭川さんは、とても強いですよね。僕は……なるべくなら両親に孫の顔を見せたいです……でも恋人も、ほしい……うん」
「ふーん? ゲイってそういうとこ、踏ん切りがついてるもんだと思ってた。まあでも、親孝行したいって思える親がいるって時点でうらやましいな」
狭川さんは微笑む。
ほろ酔いの紅潮したほおに、首筋に触れてしまいたい、そんな気持ちが首をもたげる。
男を好きになったこの人なら、自分のことを受け入れてくれるのではないか、という期待が、いつまでも消えない。
誰にも晒せなかったのに、何故かこの人になら話せるって思えた、特別なひとだから。
「任真さん、その人に教え終わったら1ゲームお願いします。今日ならこっちも勝てる気がしてるんすよ」
今日初めてダーツに触るお客さんにやり方を教えていた、伊吹さんの旦那さんは手で丸を作った。
酔ってけらけら笑いながら矢を放って、結局狭川さんは旦那さんに負けて、でもとても楽しそうだった。
おごられて店を出て帰り際、狭川さんは俺に尋ねた。
「そういえば、この辺に写真屋ってある?」
「写真ですか? ……そういえば、就活の時に撮って貰った写真館がありますよ」
場所を教えると、狭川さんはニコニコしながらメモを取った。
「何か、撮るんですか?」
「うん。結婚写真、撮りたくてさ」
狭川さんは照れたようにうつむいた。
大事な何かがひび割れるような心地がして、口が回らなくなるのを感じる。
「…………あ、あの人と、ですか? わあ……ロマンチック、ですね」
「だろ? へへ、ちゃんと形にしたいんだ。俺はそういう、一生ものの気持ちでいるよって伝わると思ってさ」
嬉しそうな狭川さんと別れた後、なんだかしんどくて、家に帰って自室にこもって枕を抱えて、ぼんやり壁のあたりを見つめた。
お風呂空いてるよ、と母さんの声がしたが、無視をした。
結婚写真なんて。
幸せそうなのが、辛い。
だけど嫌いになんてなれそうにない。
どうしようもなく、惹かれていた。
狭川さんのお昼がパンじゃなくなった。
11月の後半になってからだ。
時々は例の手作りパンになるけど、それも12月の後半に入ってからはなくなった。
その後、なんだか疲れたような顔をして、かすかにお酒の匂いを放っているのを、心配というよりむしろチャンスだと捉えてしまうのは、性格が悪いな、と自分でも思う。
伊吹さんが狭川さんを心配そうに見つめているのを見て、旦那さんのダーツバーに足を運んだ。
それとなく狭川さんの話をすると、
「柊人くん、やっぱり職場であの子の話はしたくないみたいなんだよねー。親御さんとのいざこざもあったし、なるべく自分でガードしようとしてて……それなのにあんな事になれば、そりゃまあ、飲みたくもなるよ」
「振られちゃったんですか?」
任真さんは黙って首を横に振る。
「本人に聞きなよ。本当は話したいのを我慢してるから、今の柊人くんは。……佑くんからすれば、待ち望んでたタイミングだろ?」
旦那さんは、俺が狭川さんのことが好きなことを打ち明ける前から、なんとなく分かっていたと言う。
だから、狭川さんもなんとなく分かってて、そのことには触れないでいてくれていた、のではないかと思う。
振られたのなら。
俺が行っても、いいよね。
もし駄目でも、気持ちに折り合いがつく。
……ああ、狭川さんを抱きしめたい。
辛そうな横顔を職場で見るたび、俺になにか出来ないのかとこちらまで辛くなった。
トイレで鉢合わせて、勇気を出して切り出した。
すぐに取り乱した狭川さんは、見るからに余裕がない。昼なのに、呼気にアルコールを感じた。なのにお酒に誘うのは、やっぱりお酒で紛らわせているんだな、と感じた。
カウンター席の隣で、狭川さんは涙を浮かべながら、お酒を煽った。
その姿は手負いの獣のようで、妙な色気と隙を振りまいていた。
「……俺は、悪い奴なんだよ」
呂律が回っていないし、目も座っている。
「本当に悪い人は、自分のことを悪いと言いませんよ。狭川さんは、本当に優しい人です」
「違う……お前は、お前が見たい俺しか見てねえんだ……はとちゃんもそうだった、俺なんかじゃはとちゃんを幸せに出来なかったんだ……うう……はとちゃあん……ごめんなあ……」
自分自身を悪いと言うのも、恋人の名を呼ぶのも、いったい何回繰り返したろうか。
ぐでんぐでんにとろけてカウンターに突っ伏し、何度も恋人に謝っている。
ラストオーダーの時間が来て、伊吹さんの旦那さんは困ったように微笑む。
「やー、また送って行ってあげないとね。閉められないよ」
その口ぶりに、どうやら家まで旦那さんが送るらしいことを察する。
「あ、あの……俺、俺が送っていきます」
狭川さんにうっすらと住まいの場所は聞いているが、行った事はない。
だから、これは賭けだ。
狭川さんを連れ帰れる、チャンス。
「本当? 助かるよ。じゃあ、よろしくね。あ、鍵の場所わかる? ポストの裏の所」
「あ、そうなんですね。ありがとうございます。狭川さん、このところお酒の量が多いみたいで、心配です……」
うまく、言えた。
どきどきと弾む胸で、狭川さんを背負い、2人分の荷物を持って店を出た。
父さん母さんには、会社の先輩が酔い潰れてしまったから部屋で休ませる、と話をした。
2人とも狭川さんを心配していた。
幸いにして嘔吐などはなく、狭川さんは俺の背中で寝息を立てている。
そおっと自分のベッドに横たわらせる。
……唇がつんと立って、キスを欲しがるみたいにかすかに開いている。
背負っている最中も首の後ろらへんでもぞもぞ唇を動かしていた。
欲求不満なんだろうか。
無防備な姿に鼓動が早まり、華奢な眼鏡を外して、唇を奪った。
なんてことをしてしまったんだろう、と恐ろしくてたまらないのに、嬉しくて嬉しくてたまらない。
服を脱いで、狭川さんの服も慎重に脱がせていく。ああ、どこもかしこも狭川さんのいい匂いがする。
どうしよう。幸せだ。
夢中で身体を嗅ぎまっていたら、
不意に、優しくほおを叩かれた。
狭川さんと暗闇の中で目が合う。
途端に申し訳なくなって、覆い被さっている身体を退けた。
狭川さんは動けないみたいでよろけて、口もしびれてるみたいだ。
身体を支えて、そのまま抱きしめると、狭川さんは目に見えて嫌そうな顔をした。
それでも好きだ。
もう後戻り出来ない。ほおや首筋に口付け、唇を寄せると、狭川さんはそっぽを向く。
「俺じゃ駄目ですか? 男は気持ち悪いですか? やっと……やっと自分をさらけ出せるひとが見つかったのに……」
狭川さんは絞り出すような苦しげな声で反駁した。
「ばっかやろー……! なら……こんな……方法……取るな……! ゲイだろが……なんだろが……悪いことは、駄目だ……お前まで、悪く、ならなくて、いい……!」
「お前『まで』?」
「ああ、そうだよ……悪者だよ、俺は。だから、こそ……お前は、お前に引き返して欲しいんだよ!」
狭川さんは、今度は強くほおを張った。
ぱん、とはじけるような音が耳のすぐそばで鳴る。
狭川さんが叩いたのに、まるで叩かれたみたいに悲しそうな不思議な色の瞳がこちらを見ている。
「俺は、はとちゃんに、お前と似たようなことをしたんだよ。無理矢理、自分のものにした」
耳を疑う。
あんなに仲睦まじい2人だったのに、まさかそんな。
「……そう、だったんですか?」
「それじゃ間違ってるって、俺は気がつけた。だから心を入れかえて、罪滅ぼしをしてたんだ。……なあ、お前、薄々俺の気持ちは感づいてはいたよな。だからこそこうしたんだろ。はっきり言うよ、俺ははとちゃん以外の誰にも心をやらない。身体だってそうだ」
断言されて、胸元が変にしびれる。
子供の頃、自分の気持ちに整理がつかなくて過呼吸になった時みたいだ。息を吸えない。嫌だ。嫌だ。
狭川さんの身体を抱きしめて、身体を揺らす。
離したくない。
「いなくなったのなら……いいじゃないですか……」
「俺は待ってる。探しにも行く。あの人なしに生きていけないから」
ああ。
強いな。
そんな風に自分を強く持ってる狭川さんが憧れで、ずっと好きだったんです。
あの人より、俺の方がずっといい人間だって思ってた。
違った。
根本的に間違ってた。
狭川さんが、あの人を選んだんだ。
俺がどう思おうと、狭川さんがあの人を思う気持ちは揺るぎないんだ。
「…………せめて、聞かせてください。あの人が居なかったら、俺を選んでくれたかも、しれないですか」
狭川さんは、困ったような寂しい笑みを浮かべて答えた。
「そんなの分からねえよ。でも、そのたらればで、お前が明日から何にもなかったみたいになってくれるのなら、答えはひとつだ。
そうだな。そうかもしれない」
優しくて、優しくて、その甘い希望に涙が込み上げた。
赤ちゃんをあやすみたいに、狭川さんは泣く俺を一晩中よしよしと撫でた。
まだ、好きだ。
それでもこの人を困らせたくない。
恋が終わるなら、実らない愛でいい。
そばで、この人を支えよう。愛を返そう。
やっぱり俺には、狭川さんが悪いひとにはとても思えなかった。
3月、ホワイトデーが間近のだいぶ忙しくなってきた時期に、狭川さんは有休を申請した。
俺のところにも仕事が降ってきて、狭川さんはこまめに指示や引き継ぎをくれた。
狭川さんの表情はこわばり、お酒で少し赤みがあったはずの顔が青白い。
「……なあ、うちの猫、預かっててくれないか」
狭川さんはコーンポタージュの缶を振る。
おごってもらった缶コーヒーのプルタブを開ける。
「いいですけど……盛岡ですか? よく……行かれてますよね」
うっかり『探しに』と口をすべらせそうになる。休憩室には他にも休んでいる社員がいる。
「いや…………」
狭川さんは目を伏せ、口ごもる。
「……もしも、大切な人が、運命の人と出会っていたとしたら、どうすればいいと思う?」
質問の意図がわからないけれど、それは自分にとっての狭川さんそのものだ。
狭川さんがそれを言うのは、なんだろう、皮肉めいたものを感じてしまう。
「大切な人が選んだものが、きっと運命なんですよ。選ばれなくても、大切にすることは出来るはずです。……むむくんでしたよね。母が猫好きなので喜びます」
狭川さんは、左手を見つめた。
いつも綺麗に磨かれた指輪だ。九重さんがよく式はいつなのかとデリカシーのないことを聞いているのを見る。
「せ、戦勝報告、楽しみにしてます、から」
精一杯のエールに、狭川さんは笑みを浮かべ、
「言うようになったじゃん、たすくん。はあ、そうだな。らしくない。猫、後で連れてくからよろしくな」
そう言って足早にデスクに戻った。
俺の願いは、きっとグロテスクだ。
狭川さんのほんとうの幸せなど願えない。
だけど、狭川さんに降りかかっている何かに、どうか押し潰されないことだけは願っている。
お返しのお菓子なんてどうでもいいけれど、どうか狭川さんが笑って帰ってきますように。
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