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【番外編・渚】空の花瓶は菊を待つ
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波止崖昭知が会話が出来るまで回復した、と病院から連絡が入り、病室へ向かった。
昭知の父、正俊が無理心中を図った、というのは間違いない事だろう。凶器となった包丁からは正俊の指紋しか検出されていない。
正俊自身が、息子を刺したから処分を頼む、と電話をかけているところからも、状況は揺るがない。ただ、やはり昭知の証言は取らねばなるまい。
正直に言えば、くたばっていて欲しかったが。
妻のいわゆるママ友の、娘さんだった。
私の娘と同い年だ。
どれほど可愛い大切な存在か、痛いほど分かる。だからこそあまりにもむごたらしく、腹立たしかった。
まだ初潮も来ていなかった事は一つの救いだったが、そうにしても酷い、許されざる蛮行だ。
怒りを露わにしても、奴の病気や年齢が立ち塞がり、ぬかに釘を打つような無力感と徒労に変える。だから親に責任を追及したら、こんなことになり、後味があまりに悪い。
仕事とはいえ、くすぶる負の感情を拭いされるはずがなかった。
病室は4人部屋で、右の奥のベッドが波止崖のものだという。仕切りのカーテンを開ける。
点滴を打たれ、目を閉じて横たわっていた。
青白くほっそりとして、顔立ちは見ようによっては少女のように整っている。
「波止崖昭知、だな」
私の声に、波止崖はぼんやりと目を覚まし、こちらを見た。
黒目がちな目は、人形のようだ。
表情に覇気が無く、なおさら作り物のように思えた。
「…………そうです。……はじめまして、ですか……? はじめまして……」
か細い声で、少しだけうなづいた。こちらを見ているようで見ていないような、力のない瞳に妙に隙を感じさせる面立ち。不思議な、色気のようなものがあるな、と思った。
母親、波止崖明子の気持ちが、少しだけ分かるような気がした。
波止崖昭知の知的な遅れは、小学生の時点で既に学校から指摘されていた。
それを母は受け入れず、検査などを受けさせることを拒み、通学させること自体を阻害してしまう始末だった。
母は自分で昭知に教育を施そうと躍起になっていたし、昭知はそんな母に唯々諾々と従った。結果は、出なかったようだが。
行き過ぎた過干渉、過保護までなら、まだよくある話だ。
それ以上の歪んだ感情を抱いていたらしい。
昭知は母と入浴中に突然逃げ出し、裸のまま外を駆け、外で一人で遊んでいた幼い子供に牙を剥いた。
原因を調べる最中、ビニール袋に包まれたカメラやフィルムが、浴室や脱衣室の棚から見つかる。
中に映っていたのは、昭知への虐待の様子だった。
身体についたあざの写真。
爪を剥いだ足の指の写真。
泣いている顔、笑っている顔。
そして、性的な虐待を施す写真まで。
それらが見つかった時、明子は既に精神的におかしくなっていた。
昭知へ過剰なまでの偏愛をぶつけたり、逆に乱暴に扱って躾と称した虐待を施したり、もうぐちゃぐちゃになっていたようだ。
仕事にかまけてろくに家族と口を聞いていなかった正俊は、非情にも仕事をクビになってからこの状況に気がついた。
明子が我が子の障害を受け入れられないのと同様に、正俊もまた妻の変わり様を受け止められなかった。
職を失い、被害者への見舞金、慰謝料や家族の入院治療費がどっと重なり、先行きを悲観した正俊は、昭知が退院してきたその日の晩、凶行に及んだ。
警察という仕事柄、悲惨な家庭環境の話など耳にタコが出来るほど聞くが、それにしてもこの家族は誰も彼もが壊れていて、家族のかたちを成していないな、と思う。
面談室まで、のそのそと波止崖は歩いた。
13歳にして、老人の様な足取りをしている。点滴の袋が、ゆらゆらと揺れる。
まだ食事は出来ないのだろうか。流動食くらいなら、そろそろ千切れた腸が繋がって耐えられそうなものだが。
向かい合って席につき、私はメモ帳とペンを取り出して話しかけた。
「事件について……ああ、フッフッ、お腹を刺された方の事件ですよ、少々お伺いします。覚えている範囲で結構ですよ、覚えていないところは、覚えていないと記しますから。質問しますから、お答え下さいねえ」
「はい」
「申し遅れました、徳永渚と申しますよ。名刺、あげますねえ」
質問は出来るだけ開かれたもの、つまり『はい・いいえ』にならないものにするのがセオリーだが、波止崖はたびたびうつむいて泣き出し、言葉につまり、ひどく時間を要した。
退院して、迎えに来た正俊の運転する車で帰宅。正俊の表情が暗く、歓迎されていないのだろう、と感じる。
夕飯には好きなコロッケが出てきて、しかしいつもの味ではなく、母親の姿が無い事に疑問を感じて質問をすると、お前のせいで頭がおかしくなって入院したんだ、と怒鳴られる。
お前さえいなければ仕事だって、お前が悪いんだ、お前は俺がちゃんと責任持って片付けような、そう言って包丁を手にする。
怖かったけど、身体が動かなくて、お腹を刺された。包丁が刺さったまま、お腹が燃えてるみたいに痛くて、目が見えなくなって、お父さんにありがとうと言って、気が付いたら、病院に居た。
証言におかしなところは無い。
状況が修羅場なだけで。
警察としての関わりはこれで終了だが、妻とその周囲からは、波止崖を見張るように、とお願いをされた。
職権の濫用のようだが、自分自身それは考えている事だった。首輪を失ったけだものは、明らかに危険だろう。
そうして、憎い相手への見舞いの日々が始まった。
波止崖は特別支援学校へと転校になった。
のだが、2つの事件の噂がネックになり馴染めなかったし、遠い学校への通学の送り迎えは、引き取った母方の親戚にとって非常に負担となった。
親戚からの扱いは酷いもので、入院の度に身体にアザが見つかっていた。
入院も、術後に頻度が上がる腸閉塞が元ですることもあれば、精神的に弱ってろくに食べ物を口にしようとせず、寝たきり状態になってのことも、飛び降りをして手足を折ってのこともあった。
おうちより病院のほうが、ここにいてもいいような気がするから、安心するの、とは本人の談だ。
学校の悪口も、家族の悪口も話さず、ガリガリの死んだ顔付きでベッドから離れずに、死人みたいにして生きていた。
早く死ね、と内心思いながら仏花を見舞いに持っていくと、波止崖はとても喜んだ。
縁起が悪いから、と看護師が片付けようとするのを制止し、いつまででも菊の花を見つめていた。
次に行ったら、細長い花瓶がベッドサイドの棚の上に置いてあった。
皮肉も分からねえのか、と苛立った。
中3の半ばから20歳すぎまでの間は、退院も出来ずに病院内で過ごした。親戚の見舞いは一切無く、住所はついに病院になった。
その頃、男性しかいない病棟のいったい誰から、看護師が教えでもしたのだろうか、女装をし始めるようになった。
長く髪をたくわえた薄幸そうな細面は、それだけで女性的だった。
乏しかった表情が増え、男性のみの病棟内でまるでお姫様のように可愛がられ、患者たちに病棟内や、看護師付き添いの短時間の外出に連れ回された。
それが運動になったのか、少し身体が成長した様子だった。
ある時、病院のプランターでそだてたお花なんです、ぼくに会いに来てくれてほんとうにありがとう、と赤面しながら白くて花弁の多い花の束を渡された。
私は目の前で床に叩き付けて、靴で花を踏み潰した。
感謝されたくて来てるんじゃない。
ちやほやされて喜ぶんじゃない。変態。
おまえは強姦魔だ。最低の悪だ。
早くお前の墓前に花を供えさせろ。
そう言い放つと、波止崖は瞳を潤ませ、そのとおりですね、と呟き、私が持ってきた背の高い菊の花を折れるほど強く抱きしめて、泣いた。
こんな奴に持ちたくなどないのに、まるで背筋を這うかのように、情のようなものがわくのが、嫌で嫌でたまらなかった。
「噛まれて怪我のないように。情報提供、感謝致します」
通話を切ると、波止崖は不安そうにこちらを見つめている。前よりも、表情に妙に女々しい雰囲気を感じる。
部屋の入り口には、細長い花瓶に、持ってきたばかりの菊の花が刺さっている。
相変わらず殺風景な部屋には、一瞥して危険な物質があるようには見えない。やはりこいつではないのか。
「……馬鹿なお友達ですねえ。いや、友達よりもっと……フッフッ、波止崖さん、一緒に写真撮りましょうねえ。身分は明かしておかないといけませんから」
「じゃあ、おとなりのしばさんに、カメラマンさんおねがいしてきます。…………しばさん、これもって。えっとねえ……ここ、ピースって言ったらおすんだよ。……えへへ、とくながさんと、はじめてしゃしん、とる」
ぎゅっとビール腹に抱きついてくる。相変わらず無駄に懐かれている、こいつは距離感というものがおかしい。
警察手帳を持ち、柴というアル中の男の方を見る。前より顔色が悪い。携帯を持つ手が震えている。
「ピース! ……どうですか? うん、できたー。えっと、そうしんは、どうやるの? とくながさん」
「はいはい、やりますよお。……ほい、これでいいですよ」
「ありがとうございます」
屈託無く笑う。
天使の顔をした悪魔め、と心中で悪態をついた。
そう思わなければ、惹きつけられる感情をごまかすことが出来ない。人をおかしくさせる魔性に引きずり込まれるのは御免だ。
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