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『あまるていあ』にようこそ
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はとちゃんの最寄り駅に着いて、はとちゃんが来るのを待っていた。
伝えられた住所を一応検索してみたが、駅からそこそこ離れているようだ。迷うかもしれないが、自力でたぶん行ける、とは思う。
だがはとちゃんは、はやくあいたいから、と駅に迎えに行くとメールしてきた。
俺も早く顔が見たい。だけど不安がどんどん増して、なんだか暗い冬の空が見たくなくて空虚に携帯の画面を撫でていた。
あの箱入りの花が欲しいのなら、買い直したっていい。お年玉だって大した額じゃない。だけど、そうじゃない。
そこに思い出や気持ちがあるから、どこにもない大切なものになる。
……ちゃんと買い戻せるのを祈るしかない。
しばらくののち、はとちゃんは男に手を引かれながら現れた。
……スカートを履いている。
顔のサイズに対して妙に大きいマスクを付けて、しかし目元は泣き腫らしてボロボロになっているのが分かる。うつむいて、ふらふらして、憔悴している。
男は猫背で白髪交じりの、たぶん40代くらいだろうか。手をポケットに突っ込んでいて、顔色が黄色いというか土みたいというか、妙な色をしている。
はとちゃんは俺を見つけると、赤い瞳から涙を溢れさせて、ふら、と胸に倒れこんできた。あわてて抱きしめて頭を撫でると、髪の毛がいつもより乾いているような気がした。
色々慰める言葉は考えていたはずなのに、いざとなったら、出てこない。
大丈夫だから、と根拠もなく背中を撫でた。嗚咽で、肩が震えている。
ふと顔を上げると、男はしげしげと、抱きしめ合う俺たちを上から下まで眺め回している。
「……えっと、あなたが総管理人の大坪さんですか……?」
「違う違う。俺は柴栄次、こいつの隣に住んでるただの住民だよ。……はとちゃんなあ、化粧しなきゃ外出らんねえ、化粧がしたいのに涙が止まんなくて待たせちまう、ってぐずってよぉ、心配だから付いてきてやったんだ」
しば、柴。あっ、こいつがクリスマスにアルコールを誤飲させた奴か……?
はとちゃんがついさっきまでしがみついていた柴さんの手は、老人みたいにぶるぶる震えている。禁断症状か何かか? 顔色といい、かなり重度の酒飲みなのかもしれない、と感じる。声もガラガラしている。
「俺についてきな。代わりに道教えちゃる」
柴さんはゆったりと俺たちの前を歩き始めた。駅から歩道橋を渡り、閑散とした感じの商店街を通り、辺りは目印らしいものもない住宅街になった。
はとちゃんは俺の腕を取って、うつむいてそばを歩いている。顔色がうかがえない。ぐすぐすいっても、何にも言わない。ただ、腕を掴む力だけが伝わってくる。
「……俺とはとちゃんは入院してた頃からの付き合いでな。今通院してる病院も、まあ外来は違うけど同じでよ。……その上、ついに俺と同じかぁ、って思うと、なんだろうな、嬉しいよ」
「同じ?」
「……俺も、男好きでよ」
まだらに白い後頭部を、なにか照れくさいような仕草で柴さんは掻いた。こちらに背中を向けたまま、表情は分からない。がに股の足取りはしっかりしている。少なくとも千鳥足という風には見えない。
……そうか、そうだよな。今までずっと俺もはとちゃんも、異性が好きなんだと思ってきて、それだけじゃなかったことに、出逢って気がついて。
この口ぶりは、多分両性じゃなく、同性しか好きじゃない人、なのかな。
他の人とは異なるという疎外感が身体の芯にあるのなら、同じだということの喜びは、きっと大きいんだろう。
「ま、はとちゃんはちょっと俺の趣味じゃねえがな。歳も離れ過ぎてて、まるで、なんつうか、親戚の子供みてえだ。むしろ大坪みたいな筋骨隆々としたのが好みだな。お前さん、名前は? 見た目若いけどいくつ」
「……狭川柊人と言います、はとちゃんと同い年です」
「ふうん、同い年か。若いね。顔も、まあ綺麗なもんだと思うぜ。平ら過ぎてつまんねえけど。……おう、ついたぜ『あまるていあ』に」
そこにあったのは小さめの古いマンション、のようだった。
山羊の絵と共にひらがなで『あまるていあ』と表札が出ている。響き的になんかの神様の名前なのかもしれないが、元ネタは分からない。
「大坪は今、円満と……横野円満っていう盗癖のある奴と店に買い戻しに行ってっから、戻るまで休んでな。茶菓子もなんも出せねえけどよ」
玄関には大きめの下駄箱に、結構な数の靴が並んでいる。女物っぽいのもある。
入ってすぐには、台所。共同スペースのようで、椅子やテーブルが並んでいる。
壁には至る所に絵が貼り付けてある。素人目に見て、どれも上手い。さっきの山羊の絵もたぶん同じ人が描いている。
その中に、はとちゃんらしき似顔絵があった。丸っこい瞳や、あどけない表情が良く似ているが、髪の毛がずいぶんと長い。
「うちに来たばっかの頃の絵だな。その後、入院したら、病院の中で切っちまったんだ。もったいねえよな、綺麗に伸びてたから売れば酒も買えたぜ」
「はとちゃんの髪の毛で酒飲もうとしないで下さいよ。……この絵は、趣味で? お上手ですよね」
「あ? 俺じゃねえよ、一階は俺とはとちゃんと、もう一人、白妙眞幸っつうすぐどっか行くはぐれメタルが居てよ。そいつが描いてる。二階には円満と米田姉妹が入ってて、三階には管理人室と大坪が住んでる部屋がある」
しろたえ、『しろたえさん』、クリスマスの時に行方知れずで、はとちゃんが気にしてた人か。
ん、ちょっと待て、大坪さんここに住んでんのか? 住み込みか……スゲェな……。
柴さんは三つ並んだ扉の、右をノックした。
「おーいシロ、居るか? どうせ鍵してねえんだろ、勝手に入んぞ」
扉の内側にも描いた絵が幾つも貼り付けられている。中をのぞきこむと、見た感じ30代くらいの男があぐらをかいて、うんうんと言いながら四角い白い板に鉛筆を走らせていた。内装を埋めつくさんばかりに、絵がある。なんとなくサイケデリックな色使いだ。
「あれ、知らない人がいるな。新しい管理人さんかな。はじめまして、白妙まさきです。今、絵を描いているから、これが出来たら、似顔絵を描きたいな。紙を買ってきたばかりだから、ちゃんと白い紙に描ける」
考えてることが全部口から出てるみたいな、弛緩したような喋りをしている。
っていうか、年始で帰ってきてたんだな? よかったな白妙さん、心配してたぞ、はとちゃんが。
「聞いて驚け、管理人じゃねえぞ。お前昨日あんとき風呂入ってたから、話ろくに聞いてねえだろ。彼な、はとちゃんの彼氏だってよ」
「……? いつからはとちゃんは、女になったんだい? 男同士だよね。いや、一緒にお風呂に入ったことがないから、男だと言い切れないな。一緒にお風呂に入ろうか」
「……いっしょには、はいれない……おなか、はずかしいもん……。へん、かなあ、やっぱり。しゅうとさんと、いっしょにいると」
小声でもごもご返す言葉に、白妙さんはヘラヘラと笑う。
「美男美女で変じゃないよ、お似合いだ。あれ、美男美男かな? そう思うと、変だな。でも、気にすることでもないよ。ここには変な人しかいないし、人にどう思われても仕方がないよ。人の目に傷ついていたらホームレスは出来ないから、はとちゃんにはホームレス向いてないね。ああ、どこまで描いたんだったかな。気が散るから、話があるなら後にしてくれるかな」
それきり白妙さんはキャンバスの方を向き、まるで俺たちがいなくなったかのようにまた線を引きはじめた。
「おう、邪魔したな。……あいつが描いて、気に入った奴をそこかしこに貼っつけるんだ。なかなかいい感じだろ」
柴さんはドアを閉め、絵を指差して笑う。
そうしてくるりと視界を巡らせると、階段の方から二人、女の子がこちらを見ていた。
見た感じ、20代前半からもしかしたら10代、ってところだ。少し若い方は髪を金に染め、派手な化粧をしている。もう一人は黒髪ベリーショートで、眼鏡をかけている。
はとちゃんが、ばっ、と俺の後ろに隠れた。
「えっ……やべー……めっちゃイケメンじゃん……」
「はじめまして。米田愛純基といいます。こちらは妹の都萌絵。二階に住んでます。お名前は? お仕事されてます?」
「狭川柊人といいます。スーツケースとか、旅行カバンの営業をしてます」
「あら、ちゃんとされてますね。どこで出会ったのか聞きたいくらい。ところで神様は信じていますか?」
「あたしは彼女としては駄目かな!?」
妹さんがキラキラした目で俺に近寄ってくる。お姉さんは多分だけどあれは聖書を片手に持っている。圧がすごい。
「ぼくのしゅうとさん、とっちゃだめ……」
俺のお腹に腕を回し、ぎゅっと後ろから抱きつかれる。
「……だそうです。俺もはとちゃん一筋なので、すいません。あと宗教にも興味は無いです。その教えだと、同性愛はタブーだろうし。果ては天国だろうと地獄だろうと、はとちゃんと一緒の今があれば、それで」
背中で悶えているみたいに、はとちゃんが頭をすりすりこすってくる。柴さんがニヤニヤ笑い、姉妹はたじろいでいる。
「……とりあえず、俺ははとちゃんの部屋で一緒に、大坪さんと……エマって子を待ちます。はとちゃんも、それでいい?」
「うん……」
「お熱いねえ。俺は隣にいるけど、まあ気にしないで、くつろげよ。2人はどこまで行ってんだ? や、聞くだけ野暮か、ごゆっくり」
はとちゃんは真ん中のドアを開けて、俺の方を見た。瞳は丸くて大きいのに、不思議と光が無いみたいだった。
ここには変な人しかいない。
白妙さんの言葉が脳裏で反響する。
変、と呼ばれる人間の、行くあてのない存在の溜まり場。
多分、ここに居るひとの誰を抜き出しても、よそでは関わり合いになりたくはない類いの人間だ、と思うに違いない。
……はとちゃんは、その中で暮らしてる。
その現実が、ほんの少し感じられた。
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