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コンクールの大悲劇-6
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「でも残念だな、サマーセミナー。漣人が居れば楽しくなると思ったのに、また今年も律耶と同部屋か~」
コーヒーに添えられた薄い板状のブラックチョコレートをパキンと割って口に放り込みながら、コーヒーを一口くちに含む凪を見ていると旅行に同行できないのが悔しくなる。
(はい、俺も憧れの凪先輩とウィーン行きたかったです)
コーヒー1杯飲むのさえ凪と一緒だとこんなにワクワクするんだから、異国の地で目にする全てのもの、体験する全てのことが楽しくて仕方がないだろう。
ガイドブックまで買って毎日寝る前に眺めて、行きたい場所を全部チェックしていたのに。
大きなスーツケースに詰め込んだ服や小物をまたクローゼットに戻す自分の姿を思い浮かべると、どうしても暗い顔になってしまう。
凪に心配をかけまいと必死で笑おうとするけど、うまくいかず困ったような変な表情の自分が鏡の向こうにいて遣る瀬無い。
鏡から視線を外して凪の方に目をやると「またいつか行けるから」と、そっと微笑んでくれた。
「はい」
凪の眼は暖かくて優しさに溢れていて、安心したからか涙が溢れそうになったのを慌てて堪える。
漣人の心情を察してか、凪は何も言わずにゆっく
りと頭を撫でてくれた。
自分の練習もある中、忙しい時間を裂いて練習を見てくれたのにその恩に報いる事が出来なかった。
凪の優しさに触れるとその事がとにかく悔やまれて、目を閉じると瞼の隙間から涙が一粒溢れた。
カチャリーー。
(あ、誰か来た)
ドアノブの回る音がして、漣人は慌てて服の袖で目尻を拭った。
「凪いるか?」
(うわっ! 出水先輩だ……こっちに来ないでっ)
そんな漣人の祈りも届かず、ツカツカと歩んできた律耶は凪と反対側の隣に腰掛けてくる。
(よりによって隣に……)
向かいのソファーには二人の荷物が置いてあったからこっちに座ったんだろうけど、居心地が悪いことこの上ない。
凪の優しさに触れてほんわかと温かくなっていた心が急激に冷えて行く。
「何だ、お楽しみ中か? いつから凪はそんな子供っぽいのが趣味になったんだ?」
凪の方に身を寄せる漣人を見て、律耶は意地悪丸出しの顔でニヤリと笑った。
「凪に説教されてたか? さっきの演奏、ひどかったもんな。いっくら初心者でもあれはないだろ」
今にも笑い出しそうな律耶の表情は漣人の脳裏にステージでの悪夢を蘇らせた。
「律耶」
自分を挟んだ二人の空気に緊張が混ざる。
「事実だろ。本当の事言って何が悪い。初心者のくせに本番前にあんな遊び歩いて、本気でやろうとする気がないんだ。だからコンクールはまだ早いって」
「律耶!」
もう一度、今度は強い口調で名前を読んだ凪は律耶の視界から漣人の顔を隠すように引き寄せた。
目を合わせていなくても、律耶の鋭い視線が自分たちを射抜くように向けられているのは明白で、漣人の体温を更に冷え込ませる。
(もう嫌だ……)
時間にしたらほんの数十秒ほどのことに過ぎないけれども、漣人には永遠にも感じられる沈黙。
それを切り裂いたのは天井に設置されているスピーカーだった。
ーーお知らせします。特級部門に出演される方は舞台袖までお集まりください。繰り返します、特級部門にーー
律耶はテーブルの上に投げ出してあった楽譜を鷲づかみにすると、振り向きもせずに出ていった。
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