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鼠の城(改)・1
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梅雨時にも関わらず空は晴れ渡り
気温は上昇していたが
じっとしていれば汗を掻くほどではない。
建ち並ぶ県営住宅棟群の間を
気持ちのいい風が吹き抜けていく。
子供たちが建物の間に設けられた公園や
グラウンドで歓声を上げながら
愉しげに遊びまわっているのを、
親たちは話に花を咲かせながら見守っていた。
「…お母さん、お腹すいた。」
外とはまるで別世界のような
暗く荒んだ臭いが立ち込める部屋の一室の隅で
【杏介(きょうすけ)】は小さく呟いた。
部屋中のカーテンは閉じられ、
窓にも鍵がかけられ
窓の前にも物が…ゴミが…
うず高く積み上げられている。
そんな中で杏介は、この間8歳になったが
学校へは一度も行ったことがなかった。
身体も身長こそ125cmと平均に達していたが
体重に至っては20kgと小学一年の女子のそれより
軽く、確実に栄養不足だったがそれを気にし、
指摘されるような環境にはいなかった。
「お母さん…」
年中敷きっぱなしの布団の上で
下着姿で気怠そうに寝息を立てている母親に、
恐る恐るもう一度声をかけた。
しかし返ってきたのは言葉ではなく、
枕元に転がっていたビールの空き缶だった。
杏介は立ち上がり冷蔵庫を開ける。
中には食材と呼べるような物は何もなく、
あるのは容器にこびり付いたバターとマヨネーズ、薄い麦茶。
冷凍庫にはいつ冷凍されたのか分からない薄い食パンが一枚 袋に入ったまま残っていた。
杏介はそのパンとマヨネーズを取り出す。
パンを袋から出し、
レンジへ入れスイッチを入れる。
マヨネーズを握りしめ
『チン!』というのを待った。
そして解凍されたパンに
マヨネーズを必死に絞り出し、
貪るように口へと運んだ。
コレが今日初めて杏介が口にした固形物だった。
時計が6時を知らせる頃、
母親はやっと起き上がり、眉間にシワを寄せ
小さな卓上鏡を覗き込み身支度を始める。
その時玄関のドアが荒々しく開いた。
「おぅ杏介!お菓子取って来てやったぞ!」
そう言って入って来たのは父親の豪(ごう)だった。
髪を赤く染めた中肉中背のこの男は首までタトゥーを入れている。
杏介は、このタトゥー柄である蜘蛛が怖くて仕方がなかった。
Tシャツの首元から覗く辺りにある大きな蜘蛛は、その下で獲物であるネズミを捕食していた。
母親も髪を金髪に染め
どんなに贔屓目に見ても子育て中の女性には
見えない。
夕方出掛け帰りはいつも陽が上ってから。
それも毎日…だ。
近所の人々はこんな夫婦を遠巻きにして、
決して近寄ろうとはしなかったから
杏介のことを気に留める者もいない。
気に留めたとしても誰一人声を掛けようなどという奇特な人間は居なかった。
それにここ数年、
両親は杏介が家の外に出る事を固く禁じていて
他人が彼を目にすること自体なかった。
それでも4、5歳の頃はそれなりの好奇心を持っていた杏介は、二人の目を盗み、
たまたま一人きりの日の夜に外へ出た事もあった。
窓から見える《公園》といわれるところで遊びたかったのだ。
数回バレずに遊ぶ事が出来たが、
何度目かで母親に見つかり酷い折檻を受けた。
翌日も、翌々日も…杏介は血の混じったおしっこをする事となった。
それ以降怖くて外には出ていない。
それももう2年以上も前の話だ。
「ちょっと!またパチスロ?!仕事しろよ!!」
母親の礼奈(れな)の罵声が響く。
豪は先月まで勤めていた居酒屋で客相手に喧嘩をし、それが原因でクビになった。
どの仕事も3ヶ月と続かない。
成瀬(なるせ)家の家計は
キャバクラで週4日ほど働く礼奈のバイト代で賄われていた。
「うるせぇ!誰にンな口きいてんだ!
てめぇの仕事っても客に股開いてるだけじゃねぇか、この売女がっ!」
持っていた袋を乱暴に卓袱台へと投げつける。
「はぁ?もしそうだとしてもその金で遊んでんのアンタでしょ?!」
礼奈もその辺にあった空のペットボトルを投げつけた。
激怒して詰め寄ろうとする父親。
向かって行こうとする母親。
こんな時、杏介は必ず二人の間に入りこう言うのだ。
「ケンカしないで。」
そうすると礼奈は杏介を突き飛ばし、
それを見た豪が抱き上げる…いつもの光景。
「大丈夫か、杏介。ガキに手ぇあげてんじゃねぇぞ礼奈っ!」
「フンッ!アタシは子供嫌いだって産む前から言ってるじゃん。アンタが産めって言うから産んでやったんだ!後はアンタが面倒見んのがスジってもんだろ!」
礼奈はそう吐き捨てるように言うと、
バッグを持ち早々に出ていってしまった。
鉄製のドアが大きな音を立てて閉まる。
これもいつもの光景…。
「なんて女だ。あれでも母親か?!」
豪は自分の事は棚に上げてそういう。
8歳の杏介にはよく分からなかったが
母親が自分を嫌っている事は理解していた。
『アンタさえ出来なけりゃ!』
それが礼奈の口癖だ。
父親は気にはかけてくれていたが
【自分の事が一番】という順位には変わりなかった。
怒鳴られはするが、
母親と違い殴らないだけマシだと思っている。
それで良かった。
豪は優しい時もある。
今日のようにお菓子やファストフードを食べさせてくれる事もあった。
「杏介、お菓子食うか?」
「うん!勝ったの?いっぱい?」
そうは言っても杏介は、
パチスロなんて見た事も触った事もない。
ただ(大人のゲーム)だという事だけを漠然と知っていた。
「ああ。だから大サービスだ。お前の好きなカップ麺もあるぞ!」
豪がヤカンで湯を沸かしている間に
杏介はカップ麺の準備をする。
「お前、髪伸びたな。邪魔だろ?これでくくっとけ。」
そう言って側にあった礼奈の赤いバラ柄のシュシュで杏介の髪を首の後ろで束ねた。
今日の豪は上機嫌だ。余程儲けたのだろう。
だが、そんな事はずっとは続かない。
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