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歪み.9
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「…………!」
反射で、近くの物陰に身を潜める。
……何してんだ、俺。
べつに悪いことをしている訳でもないのに。
そう思う反面、体は勝手に動いていた。
そうする間にも、足音は着実にこちらに迫ってきて。
紫陽花の前で、ピタリとその足は止まった。
身を潜めたままそちらを伺うと。
「…………!」
そこに佇んでいたのは、もう随分見ていない、けれど確かに見慣れた顔。
そして、紫陽花にそっと手を伸ばしたそいつは、そのまま紫陽花の近くに腰を下ろす。
少し眩しそうに目を眇めて紫陽花を見つめる顔に浮かぶ表情は、これまで一度も見たことがないものだった。
ーーーーあいつ、あんな顔もできんのか。
その目は、もうない何かに手を伸ばすような、そんな切ない表情。
俺の中の修のイメージに沿わないその表情は、きっと、だからこそあいつの本質そのものなのかもしれない。
「………………」
笑っている顔、切なそうな顔。
そんな人間らしい表情は全て、あらゆることが壊れて、初めて見えてきたものだ。
いつだってつまらなさそうに醒めた目で他人を見ていたあいつーーー修の、見えなかった側面。
そうして紫陽花を見つめていたあいつは、やがて満足したのか、紫陽花のそばに腰を据えたまま、そっと目を閉じた。
するとそれを見計らったかのように、猫が2匹、3匹と、どこからかやってきて、修の側に腰を落ち着ける。
それは不思議な光景で、しかしながら奇妙なほどにしっくりくる景色だった。
完全に立ち去るタイミングを失い、立ち尽くしていると、不意に、その場に不釣り合いな呼び出し音が鳴り響く。
一瞬ひやりとするが、その音の持ち主は意外にも修で。
「…………もしもし」
『………ぃ!!………に…………ぃ…………ょ!』
その静かな空間には、2人の声がよく響いた。
流石に何をいっているかまでは聞こえずとも、その電話の向こう側の剣幕は、十分に伝わってくる。
「……ごめん、寝てた」
その理不尽なほどの怒りにも、修は静かに目を伏せるだけで。
『………?!……………が、…………ぃっ.……ょ!』
けれど、次の瞬間には、焦ったように、その目が少し揺れた。
「いや、俺が行く」
それだけ行って、慌てたようにこの場を去って行った。
邪険に思えるほどあっさりと押しのけられた猫たちは、それに怒るでもなく、大人しく修の背中を見送っている。
猫に見送られるその背中は、持ち主の焦りを表すように、あっという間に小さくなって行く。
………自分に向けられた怒りには、少しも反応しなかったのに。
もう一度、さっきまで修がいた場所に目を戻した。
修を見送り続ける猫、雨の雫を受けてきらきら輝く、無数の紫陽花。
ーーーーーこの場所は、あいつにとって、自分自身よりも守りたい場所なのか。
そう思って見てみれば、確かに綺麗なその景色は、それでも、主人がいないぶんだけ、どこか精彩を書いているように感じる。
見えなくなった修の背中に、やっと物陰から足を踏み出せば。
「フシャーーーー!!!」
さっきまで修の背中を見送っていた影が、こちらに向けて牙を剥く。
「………安心しろ、別に危害は加えねぇよ」
お前にも、あいつにも。
そう言えば、まるでその言葉を理解したかのように、猫たちはフイッと俺から興味をそらした。
あれから部屋に戻れば、予想外に時間が経っていて。
慌ただしく準備をして、生徒会室への道を急ぐ。
急ぎの書類、やらなければならないこと。
そんな雑務を数え上げる傍。
ーーーーあの澄ました顔に浮かんだ、切なそうな表情と、浮かんだ焦燥が。
いつまでも頭の隅に焼きついていた。
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