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亀裂.6
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「それでは第278回、体育大会を始める」
温度のないマイクにそう告げるだけで、学校全体が湧き上がるのがわかった。
その熱狂ぶりに、左頬がちりちりと痛んだ気がして、1人眉をひそめる。
気にくわない人物の司会であったとしても、それとこれとは別物らしい。
生徒一人一人が目を輝かせて、闘志を燃やしているその様は、どの角度から見てもただの高校生でしかなくて。
「…………………」
さっさと伸也に司会を預けて背を向ける。
朝からずっと物言いたげに俺の顔を見ていた伸也は、人の目を気にしてか、すんなりとそれに応じた。
そのまま舞台袖に向かえば、舞台袖に控えた武川と一瞬目があって、けれどすぐに逸らされる。
「………………」
それに、体の内側がぎしりと痛んだように感じて。
ーーーまたその都合の悪い感情に蓋をした。
ーーーーーー
あれから武川は、寮に着くやいなや、医務室に直行した。
「………あ"ぁ?こんな時間に誰だよ」
そう不機嫌に応対した保健医にもひるまず。
「怪我人です。申し訳ありませんが、見てやってください」
ほとんど温度のない声でそう言った。
「怪我人……?あぁ、会長様じゃねぇか」
そういって、ざっと全身を目視し、眉をひそめて俺たちを中に招き入れた。
「あーあぁ、ずいぶん派手にやられたもんだな。しっかしお前、最近いつ見てもボロボロだなぁ」
そう言いながらもテキパキと手当をされる。
「ん〜…………骨は折れてねぇみたいだが、まぁひどい打撲ってとこだな、しばらく安静にしとけよ」
「…………そうですか」
「あと、怪我の関係で熱が出るかもしれねぇから、見ててやれよ」
「わかりました」
「あとは、切っちまった手の方はあんま水に浸からないようにー……」
そんな2人のやりとりを、どこか他人事のような気持ちで眺めていると。
「てか椿屋、お前さ、なんでやりかえさねぇの?」
保健医は、ふいにそう尋ねてきた。
「……やりかえす……?」
どこかぐらつく頭は、言葉をうまく咀嚼しない。
「あーー……ぼんやりしてんな、やっぱもう熱出始めてるか……」
そういって近くを漁ったかとおもえば、額に何か冷たいものがあてがわれ、反射で目を閉じる。
「……俺もそれが聞きたかった、何で抵抗しなかった?」
そしてその言葉に目を開けば、武川は真っ直ぐに俺の目を覗き込んでいた。
「あーらまぁ、ご立腹か?お前にしては余裕ねぇのな」
そんな、どこか茶化すような言葉にもなんの反応も示さず、ただただこちらを見る武川。
「…………」
「相当だな。……しんどいだろうが、答えてやったらどうだ?」
「…………やり返すって、なんでだ?」
どこかぼんやりした頭を抱えたまま、ただ思うままにそう告げれば、ぴしりと空気が固まるのがわかった。
「誤解で暴力振るわれたんだろ?普通やり返すだろ」
そう言われて、少し考える。
「…………じゃあ、俺が普通じゃねぇからだろ」
そう告げれば、唐突に胸ぐらを掴まれた。
「おいっ、」「お前、なめてるのか」
制止しようとする保健医を振り払って、武川は俺を睨みつける。
「こっちは真剣に言ってるんだ」
「…………俺だって別にふざけてねぇ」
そういってから、ふと思い出したのは、柴山の言葉。
『思ってること、省略せずに、全部言った方がいいですよ』
気をつけようと思っていても、癖は抜けない。
だから、きっとまた、言葉を省きすぎたのだと思った。
「……"普通"やり返すのは、自分が正しいっつう根拠も自信もあって、守りたい名誉も地位もあるからやり返すんだろ。だから、」
やり返す必要がなかった。
その言葉は最後まで続くことはなかった。
パンッ!!!!
乾いた音が響き渡って、左の頬が、ジンと痺れる。
「…………?」
「痛くねえのか」
「は?」
「痛くねえのかって聞いてる」
そう問いかける武川の声は硬いのに、それに釣り合わない苦しそうな目が、妙に印象に残った。
「痛いに決まってんだろ」
「じゃあやり返せ!!!理由なんてそれだけで十分だろ!!!さっきも今も、なんで理不尽を受け入れる!!!!自分を大切にしろって意味、わかってるのか!!」
隣の部屋にまで響きそうな、大声。
思わず目を見開けば、武川は気まずそうに視線を漂わせて、それまでとは正反対の、腫れ物にでも触るような手つきで俺をベッドに寝かせて。
そうして、再び椅子に腰を落ち着けた。
「んーーー……なるほどねぇ、また厄介だなぁ……」
それだけ言って、保健医は左の頬にあらたな湿布を貼り付けた。
「もう遅いし、お前らここで寝て行け。ジャージは予備のを貸してやるよ」
それだけ言うと、保健医はさっさと寝入ってしまう。
「…………」
「…………」
2人だけの、沈黙が舞い降りる部屋。
ずっと強い力で殴られた腹より、腕より。
ーーーー左頬だけが、いつまでもじんじんと熱の余韻を引いているように、感じた。
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