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母が戻ってきた。
「藤田君、奥さんとお子さんと三人で来てくれるって。紹介するって言ってたわ。本当、ずっと心配してくれていたみたいで……。ほとんど見舞いに来なかったことを詫びてきたわ。あんた、感謝しなさいよ」
父が頷く。
「そうだな。それと……おまえのその足のことだが―」
事故の後遺症で、片足の機能は元に戻らない可能性が高い。そう聞いても圭吾は何も感じなかった。ただただ、とても受け入れられない現実が目の前にあって、自分が呼吸をしているのかすらわからなかった。
数時間が経過し、病室のドアが叩かれた時、圭吾の胸に様々な色が膨れ上がっていた。本当だとすれば、という思い。信じようとする心。嫌な鼓動を感じた。脂汗すら滲んできた。
「藤田です」という声に、母が対応した。入ってくださいと言えば、ドアが開く。
中に入ってきた幸樹は、黒いスーツ姿だった。ショートカットは後ろに緩く撫で付けてあって、記憶にある彼とは少し違っていた。学生の浮ついた感じはなくなっていて、働く男が纏う特有の、引き締まった雰囲気をしている。
「幸樹、無事で」よかった、と言うつもりだった。しかし、続いて入ってきた女性と、その胸に抱かれている赤子を見て、圭吾の口は固まった。
「よかった。ああ、よかった! もう目覚めないかと……」幸樹の目に涙が溢れ出す。
「その人は」乾いた声が出た。「誰、何だ?」
「気づかない、かな。もうずいぶん会っていないから、わからないよね。ほら、高校時代の同級生だった、加納美加―今は、藤田美加です。この子は娘の、美樹」と、言われて気づいた。きつい顔立ちに見覚えがある。幸樹が高校一年の頃に付き合っていた女性だ。つまり、復縁したのか。もう目覚めないだろうと、こちらには見切りをつけて。
「恥ずかしながら、授かり婚でな」と、言う幸樹。「ただ、ずっとおまえのことが気がかりだったんだ」
目覚めるべきではなかった。目覚めなければよかった。いいや、いっそ、あの時に死んでしまっていたらよかったのだ。圭吾はそう思った。しかし、涙ぐむ両親と、安心したように微笑む幸樹の前では何も言えなかった。
両親と幸樹夫婦が談笑する間も、圭吾は黙っていた。口を開けば裏切り者! と叫んでしまいそうだった。
みんなが帰り、病室でひとりになった時、初めて圭吾は叫んだ。枕に顔を埋め、声が続く限り叫んだ。涙は出なかった。ただ、ただ叫んだ。これはどういうことなのか。人を殺したいと思ったのはこれが初めてだったし、自殺したいと思ったのもこれが初めてだった。
夢に違いないと思ってまぶたを閉じるけれど、興奮しているせいか眠りは訪れなかった。誰かが殺してくれればいいのに、と願った。将来を誓い合った相手が結婚していて、しかも悪びれもせず現れ、更に、自分のこの片足は不自由となってしまっている。地獄なんて生ぬるかった。全身が引き裂かれるような痛み。心が遥か彼方に吹き飛ばされて、ここにあるのは空っぽの肉体だけ、そんな感覚がした。
叫んで、喉が切れたような味が口腔に広がって、それでも叫んで、ついには声が出なくなって、しかし、それでも、息だけで叫んで、叫んで、脳が酸欠状態になり目の前がちかちかと揺れても叫んで―朝を迎えた。
雨が降ればいいと願ったけれど、空は憎悪を覚えるほどに晴れ渡っていた。
ひゅーひゅーと鳴る喉。圭吾はベッドへ仰向けに横たわりながら考えた。幸樹は何故、自分が目覚めるまで待ってくれなかったのだろうか。自分は、元は異性愛者だった。高校一年の頃は、同性をこれほどに愛せると思ってもみなかった。幸樹から告白をされても何度か断ったくらいだ。当時から不敵な態度を隠そうともしなかった男が必死に食い下がってくる姿に絆され、付き合うことにした。そして、ふたりで過ごす時間が濃くなってゆくにつれ、彼に恋をし、愛するようになった。つまり、幸樹がこの道に誘ったと言える。それなのに……長く眠っていた身体は渇きを覚えている。そこに男の欲望を受け入れ、愛されたいと願っている。酷い話だ。残酷すぎるではないか。
幸せな結婚生活を送る幸樹に対し、自分は……この、足は。引きずることしかできなくなったこの、足。もう異性を愛せるのかもわからない。いいや、誰かを愛することはできないだろう。まさか、こんな未来が訪れるなんて、誰が予想できただろうか。
これからどう生きてゆけばいいのだろう。そう考える日々が続いた。駄目元でリハビリをしても、やはり足は引きずる形となり、未来がまったく見えなかった。
両親はこちらを気遣ってか事故の話をしてこなかったし、自分も足や幸樹の件でいっぱいいっぱいだったから、車の運転手のことは尋ねなかった。しばらくして、事故の原因が運転手の病だという情報を、たまたま見たインターネットニュースで得た。募る恨みをどう晴らせばいいのかわからなくなり、呆然と携帯電話の画面を眺めた。
ひとり暮らしをしていたワンルームマンションが事故当時のままにしてあると知り、退院したらまたそこで暮らすと両親へ告げた。足のこともあり反対されたが、押し切った。とにかくひとりになって、考えを纏めたかったのだ。
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