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死を覚悟して上ったビルから、生きて地上に足を踏み出した俺は、目の前にあるいかにもな黒塗り高級車に、1人勝手に納得していた。
「乗れ」
「はい…」
後部座席、運転席の後ろは、本来火宮の場所ではないのだろうか。
先に俺を車内に押し込み、後から助手席の後ろになる位置に、スマートに滑り込んでくる火宮は、やっぱり格好いい。
「出せ」
運転席には運転手。
助手席には、これまたやけに顔の整った黒いスーツの男が乗っていた。
「ご自宅でよろしいのでしょうか?」
運転手の男が、窺うようにバックミラーを見ていた。
「あぁ」
「あの、そちらは?」
今度は助手席の男が、チラリと後ろを振り返る。
あー、俺?そりゃ、不審者ですよねー。
「拾った」
「拾った、のですか…」
「あぁ。捨てるようだったから、拾った。今日からうちで飼う」
俺は捨て犬ですか。
あまりの火宮の発言に、途方にくれたのは俺だけではなかったらしく。
「人間、ですよね?」
「これが犬や猫に見えるのなら、眼科か精神科に行った方がいいぞ」
「いえ…」
悪いのは、助手席の人の目や頭じゃなくて、火宮の発言だろう。
「とにかく、今日からマンションに一緒に住まわせることにしたから。伏野翼だ。覚えておけ」
異論は認めないという、きっぱりとした宣言だった。
「わかりました」
「えっ?わかっちゃうの、そこ」
俺、人間だよ?普通、人間をひょっこり拾って、飼うとかありえないと思うんだけど。
「社長がお決めになられたことですから」
何が不思議か?と言わんばかりの助手席の男に、俺は何もかもが疑問だった。
その中でも1番は。
「社長?」
「あぁ。会社の経営者と言うならそうだろう」
「えっ!」
マジマジと隣を見た俺は、綺麗な美貌が皮肉げな笑みを浮かべていることに気がついた。
「何だ。何か言いたそうだな」
ククッと喉の奥を鳴らして笑うのは火宮の癖なのか。
愉悦に揺れる顔まで綺麗で目眩がしてくる。
「てっきりやのつく自由業の方かと…」
「やのつくねぇ」
「あっ、その、暴れるサークルっていうか」
「マル暴、って?おまえはサツか」
ははっと声を立てた火宮とは対照的に、車内の空気がピシッと凍った。
「社長、その子供…」
「そう殺気立つな。こいつに怖いもんなんて、そうないよ」
まぁ、何せ死のうとしていたくらいだしねー。でもね…。
「怖いですよ。死ぬの、死ぬほど怖かったです」
むっと告げた反論は、火宮の笑い声に掻き消された。
「ふ、ははっ。そうか」
「はい。でも、あの、あのですよ?もし、俺のこと、飽きたり、いらなくなったりしたときには、ちゃんと殺して下さい」
「死ぬのは怖いんだろう?」
「はい、だから、怖くなく、できれば痛くも苦しくもなく死なせてくれるといいんですけど」
うん、それがいい。
隣に笑顔を向けた俺は、火宮の目が一瞬見開かれ、その後弾かれたような華やかな笑みに彩られた美貌を見た。
「この俺に、笑顔で、優しく殺せと面と向かって言うやつに、俺が飽きるわけがないな」
「え?」
「俺にもう殺してくれと言うやつは、それはもう悲愴な様がたっぷりで、縋るように願ってくるのが常だ」
あぁぁぁ、やっぱりこの人って…。
「会長!」
「くくっ」
「会長?組長じゃないんだ」
まぁ、きっと意味は似たようなもんなんだろうけど。
「本当、おまえは、物怖じしないやつだな」
「え?」
「だから面白い。確かに、おまえのご指摘通り、暴れるサークルさ」
非常に楽しげに揺れる火宮の顔は、やっぱり馬鹿みたいに綺麗だと思った。
「蒼羽会を束ねている。だから会長。ご察し通りの、暴力団の頭だ」
「ソウワカイ…。じゃぁ社長っていうのは?」
「極道だっていまどきは、正規の会社も経営しているのさ」
「ふぅん」
よく聞く、フロント企業ってやつの社長をしてるってことかな。ま、どーでもいいけど。
「助手席の男が、うちのナンバー2。俺の片腕で幹部の真鍋だ。見知っておけ」
軽く会釈だけしてくる、真鍋と言われた男からは、何の感情も窺えなかった。
「どうも、よろしくお願いします」
「そっちは運転手兼護衛の堀之内。顔を合わせることもあるだろう」
「はぁ、どうも…」
ヤクザっていう割に、この人たち、俳優かモデルかってくらい、いい顔してるんだけど。
「翼」
「はい?」
「怖くないのか。嫌悪は…してないみたいだな」
窺うように覗かれた顔が、近い、近い。
「うぁ、えーと?まぁ、もっとガラもタチも悪いご同業者さんに、散々追われていたもんで」
あの怖ーいお兄さんたちに比べたら、あんたたちはかなりマシ。
「なるほどね。耐性があるわけか」
「っていうか、あなたイケメンだし、怖くはないかも」
「ふっ、はははは!イケメンか。面と向かってそんなことを言うのも、おまえくらいだ」
またも響く笑い声に、火宮は笑い上戸なのかと認識する。
「え?言われません?」
俺、審美眼は確かな方だと思うけど。
「おまえは楽天家だと言われるだろう?」
「うーん、あなただけですね」
初めての評価だ、と笑えば、火宮の目が薄く細められた。
「あなたというのはやめろ。名乗っただろう?」
「えーとそれじゃぁ、火宮…」
うっかり呼び捨てにしかけたら、車内の空気が殺気立った。
「さん?」
「まぁ、いいだろう。おいおまえら、こいつは、俺のもの、だ」
うわ、痛そー。
がんっと助手席の背もたれを蹴りつけるとか、さすがは暴れるサークルか。
結構な仕打ちを受けたにもかかわらず、クールな表情をわずかも崩さない真鍋には驚きだけど。
「ったく、おまえもあんまり、こいつらの神経逆撫でするなよ?」
「はぁ」
「まぁ俺が許しているものを、こいつらがどうこうすることはできないけどな」
あぁ、あれか。火宮さんがカラスは白いといえば、白くなっちゃう感じか。
「カラスは黒いだろう?」
阿呆か、と冷たい目を向けられて、俺はハッと口を押さえた。
「声に出てました?」
「思い切りな」
ククッと鳴らされる喉の音に、だんだん慣れてきた自分が嫌だな。
だけど火宮さんは間違ったことを言わない。
そのことが、カラスは黒いと当たり前のように言ったたった一言と、前に座る2人の空気から察せられた。
「社長、到着しました」
「ご苦労」
わぁ。随分立派なマンションだー。
車外に出て見上げた建物は、首が仰け反る高さだ。
「翼、腹は?」
「え?」
「夕食、どうせ食べていないだろう?」
「あー、はい」
まぁ、死ぬつもりだったし。
「アレルギーと好き嫌いは」
「え?アレルギーは特にないです。好き嫌いは…にんじんときゅうりとブロッコリーとアスパラとワサビと…」
片手では足りなくなって、もう片方の手を上げた俺に、ツンドラ並みの冷え冷えした視線が向いた。
「あ、すみません。食べ物ならなんでもいい…」
「遠慮はするな。だけど、酷い偏食のようだな。その辺りも躾けていくか」
「あは」
「だ、そうだ。真鍋」
「かしこまりました」
何を畏まっちゃっているのか知らないけど、すごく絵になるお辞儀だな。
執事っていたらこんな感じかも。
「行くぞ、翼」
「あ、はい」
「お疲れ様です」
うわー、指紋認証とか、初めて本物見る。
しかも直通エレベーターに乗せられて辿り着いたのは最上階だし。
ドアが1つしかないってことは、ワンフロア全部、火宮の部屋か。
「うわー、何それ。今度は静脈認証?すごい」
テレビでしか見たことがないハイテク装置がドアの横にあった。
「よくご存知で」
「まぁ。でもこんなセキュリティが必要な住居とか…大変ですね」
「ふっ、ただの用心だ。蒼羽会会長の自宅を襲撃しようなんてやつがいたら、計画した時点で息してないな」
「ふぅん」
やっぱりこの人ヤクザなんだなーと思う反面、そこまでの怖さを感じない。
「ほら、入れ。これからここが、おまえの家でもある」
「あ、えーと、お邪魔します?」
ペコリと頭を下げながらくぐった玄関の向こうは、目を瞠るほどセレブな室内が広がっていた。
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