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「はぁっ、もう、なんだよ、あれ」
カァッと熱くなってしまった頬を、トイレの洗面台でバシャバシャと冷やす。
へにゃりと情け無い顔をした俺が、目の前の鏡に映っている。
「みんな現金すぎ」
確かに火宮は格好いいけどさ。他人事なら、いいゴシップで、食い付きたくなるのも分かるけど…。
まだまだ当分、ネタにされるのだと思うと、思わず溜息も漏れる。
はは、と乾いた笑いを漏らす俺が、俺を見つめたところに、ふと、別の人影が映った。
「っ…」
俺の背後。ニヤッとしながら、鏡の中で笑う男がいる。
他にいくらでも洗面台は空いているのに、敢えて俺の後ろに立つその意図は、きっとろくなものではない。
反射的にその場を立ち去ろうとした俺は、それより1歩だけ早く、隣にスッと移動してきた男に、逃げ道を塞がれた。
「っ…」
明らかに、俺の行動を阻害する動き。
鏡越しに見つめてくる目は、確実に俺を狙うハンターのもの。
震えてくる身体を必死で落ち着かせようと、小さく息を吐いた俺の目の前で、男の口がゆっくりと動いた。
「警戒しなくていい。危害は加えない」
見知らぬ人間にいきなりそんなことを言われても、それを信じられる要素は1つもない。
「ただ、話がしたいだけだ」
「話?」
まったくの初対面のはずの男が、俺となんの話があるというのだ。
うっかり疑問は顔に出ていたんだろう。
ニヤッと意を得たような顔をした男が、そっと口を俺の耳元に近づけてきた。
「蒼羽会会長の情人。さっきの体育祭、きみが会長さんに抱き上げられていた写真、見たぜ」
「っ!」
ねっとりと、絡みつくような嫌な声に、俺はギクリと身体を強張らせた。
「なぁ、ちょっとした小遣い稼ぎ、しないか?謝礼は出す。蒼羽会の、もしくはその会長さんの、話を聞かせてくれたらな」
「あ、なた、は…」
そんな取り引きめいた話を持ちかけてくるこの男は何者か。
不信感がいっぱいになったところに、ガチャッとトイレの入り口のドアのノブが回る音がした。
「翼ぁ?」
「ッ!これっ、俺の番号。俺は本城。気が向いたらいつでも電話をくれ」
くしゃり、と小さな紙を握らせてきた男が、サッとキャップを目深に被り、俺の側を離れていく。
「っ…待っ」
「いたいた。おまえなぁ、1人になるなって言ったそばから…」
スッと出口に向かった男と、テクテクとトイレに入ってきた豊峰がすれ違う。
「しかも長ぇしよ…って、翼?」
「あ、うん、ごめん」
あは、と浮かべた愛想笑いは、多分完全に引き攣っていて。
「どうかしたか?ッ、まさか今すれ違った男が何か…」
強張っている俺の理由に気づいたか、豊峰がパッとトイレの出入り口を振り返る。
「っ、違う、何もされてない」
「だけど」
「ただちょっと話を…よくわからない話を、されただけ」
小さく震える手を必死で我慢しながら、俺はにっこりと豊峰に笑顔を向けた。
「話ぃ?知り合いだったのか?」
「違う、けど。本城って名乗ってた。火宮さんの話を聞きたいって、多分これ、携帯番号…」
そろりと開いた手の中には、男に無理矢理渡された紙があって。
「本城?会長サンの話って…サツ?いや、あれは…」
うーん、と何かを考える素振りをした豊峰が、ハッと顔を上げた。
「暴力団とか、ヤバイ組織とかのネタを売りモンにしてる、たちの悪いフリーのライターの偽名の1つがそんなんだったの、聞いたことあるような気がする」
「ライター?」
「あぁ。ほら、実録ナントカ!みたいな、あるじゃん」
ヤクザの実情や動向を興味深く書いてるような雑誌、と嫌な顔をする豊峰は、色々と詳しいようで。
「まぁでも俺も、はっきりと言えるわけじゃねぇし、これは、会長サンにちゃんと相談しろよ」
「うん」
「あぁ、なんなら護衛の人、呼ぶか?来てんだろ?」
「え?あ、えっと…」
そういえば、浜崎がどこかについて来ているはずだけど。
「っ、いい。みんなの空気、壊したくないし」
慌てて首を振った俺は、落ち着いたらやっぱり、打ち上げに戻りたい気持ちがあって。
「そうか…。まぁ、あれだ。あのお方なら、どうとでもしてくれるだろうから」
トンッ、と肩を打って、豊峰が笑う。
「うん。ありがと。心配かけてごめんね」
「謝るんじゃねぇよ。俺ら、ダチだろ?」
だから当たり前、とサラリと言い放つ豊峰の言葉が嬉しい。
「うんっ」
変な男の接触で、微妙に落ちていた気分が、そんな豊峰の言葉で、ふわんと浮上した。
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