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「ふぁーっ、面白かったー!」
無事希望の席に座れて、大迫力、臨場感たっぷりのイルカショーを堪能した俺は、大満足で隣の火宮を見た。
「……」
「ね?」
「……」
むすっと口を引き結んだままの火宮が、微動だにせずに目の前の水槽を睨んでいる。
その艶やかな漆黒の前髪から、ポタポタと雫が垂れている。
「火宮さん?」
「……」
ついつい頬を緩めてしまいながら火宮を見つめたら、それはそれは凶悪な視線が返ってきた。
「ぷっ…あはははっ!」
「可笑しくない」
「ふふっ、ははっ、み、水も滴るいい男ですよ!」
「なんで俺だけ」
むっすー、と完全に不貞腐れている火宮は、見事にイルカの水飛沫の直撃を食らっていた。
「えー、俺だって濡れてますよ?」
火宮ほどじゃないけど。
たった1席違うだけでこうも明暗が分かれるとは。
火宮から向こう側はドンピシャで直撃を受け、俺からこちらはその余波が降りかかっただけだった。
「ふふ、大丈夫ですか?」
「潮臭い。寒い」
「あっ、そうですよね。とりあえずタオルと着替え…」
さすがに水浴びにはまだまだ早すぎる季節。笑えるけどいつまでも濡れ鼠で遊んでいるわけにはいかない。
売店に、と思って腰を上げた瞬間、不意に目の前にふわりとしたタオルが差し出された。
「かっ、会長っ…大丈夫ですかっ」
青褪めた顔をして、ワタワタと慌てる強面の男がいた。
「構うな」
「でっ、でもっ…」
「これだけもらう。下がれ」
パッと男からタオルだけを受け取り、冷たく応じている。
突然、鋭利な雰囲気を纏った火宮は、なんだか俺の知る火宮とは少し違う。
「火宮さん?」
本気で怒り出してしまったのだろうか。
思わず緊張しながら窺うように火宮を見つめたら、いきなり冷徹なオーラが霧散した。
「大丈夫だ。本気で腹を立てるくらいなら、初めからこんな前列に付き合いはしない」
「うん、でも…」
「まぁここまで濡れるとはさすがに想定外だったがな。甘かったか」
舐めていた、と笑う火宮は、いつもと変わらない火宮だ。
「俺も。自分だけ助かるつもりじゃなかったですよ?ごめんなさい」
「おまえのせいじゃないんだから謝るな。そういうおまえだって、そこそこ濡れているだろうが」
風邪を引く、と苦笑して、ふわりと頭に掛けてきたタオルでガシガシと拭かれる。
「っ…あは。でも楽しかったです」
「それなら良かった」
見えなくても、火宮が穏やかに微笑んだのがわかった。
くしゃくしゃになる髪と、乱暴に拭かれる頭の下で、タオルに隠れた目がジワリと熱くなった。
ツーンと痛んだ鼻の奥と、ギュッと苦しくなった胸の中は何なのだろうか。
「っ、くっ…」
駄目だ、泣く。
唐突に感じた予感に、ギュッと硬く奥歯を噛み締めた。
「翼?」
「っ…なんでもなっ…」
フルフルと左右に振った頭を、ふわりと抱きしめられる。
「翼」
っ!反則だ。
その艶やかな低い声。
優しく優しく俺を包み込むような、心地のいい響き。
「っーー!」
駄目だ、泣いたら。
絶対変に思われる。
ぐっと噛み締めた歯が、ギリッと音を立てた。
「いいんだぞ」
「っ…」
え?
「幸せだと感じて、いいんだぞ」
「っなーー」
何する。
どS!意地悪!バカ火宮。大馬鹿サディスト!
トンッ、とあまりに簡単に、涙腺崩壊のツボを突いてくるなんて。
こっちは必死で泣くのを堪えていたのに。
「いいんだ。心は、翼、おまえのものだ」
「っーー」
あぁぁぁ、どうして。
ボロッと目から溢れた涙が、俯いた足元にボタボタと散った。
なんでそんな風に俺を救い上げる。
なんで見透かしたように、俺の1番欲しい言葉を、寸分の狂いもなく与えてくれるんだ。
「っ…ふっ、くっ…」
好きです。
そんなところもたまらなく。
ギュッとタオルごと胸に抱き込まれた頭が、トクン、トクンと脈打つ火宮の鼓動を感じる。
期待して、いいんですか…?
そっと頭を起こして見上げた火宮の顔が、優しく穏やかに微笑んで、俺を見下ろしていた。
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