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そうしてふと気づけば、ノートは無意味な線で真っ黒になっていて、目の前のテーブルには、湯気の立つ美味しそうなココアが置かれていた。
えっ?!
ガバッと顔を上げた俺は、向かいのソファに座り、膝の上に乗せたパソコンをカタカタと叩いている真鍋を見つけた。
「………」
真鍋さん、と呼び掛けた声は、やっぱり音にはならなくて、俺は落書きで埋まってしまったノートのページをめくる。
その音に気がついたのか、真鍋の目が、ゆっくりとパソコンの画面からこちらに移動した。
「あぁ、翼さん。お気づきですか?」
『あの…』
お気づきって…。
「何やら考え事に沈んでいらしたようでしたので。茶を入れに来た者もいましたが、とりあえずあなたの方だけご紹介しておきました」
あー、全然気づかなかった…。
「何度かお呼び掛けさせていただきましたが…」
俺が答えなかったのか。
『すみません』
「いいえ。お疲れなのでしょう。どうぞ」
まぁココアでも飲んでくつろげと。
ーーいただきます。
出ない声で、両手を合わせて頭を軽く下げるという方法で伝えた俺は、まだ淹れたてのココアをありがたくいただいた。
カタカタと、キーボードをタイプする音が、静かなリビングに響く。
俺はそっと視線を上げて、真鍋の様子をチラリと窺った。
「なにか?」
うわ!え?いや…。
ちょっと視線を向けただけで、こちらを見もしないでなんで分かるんだろう。
その察知能力、恐るべしだ。
「翼さん?」
『あ、いえ。その、お仕事ですか?』
別に何の用があったわけでもない俺は、見ればわかり切っている間抜けな質問をしてしまう。
「はい」
ですよねー。
『えっと、その、向こうは…』
あ。焦りすぎて、何を聞いてるんだろう、俺。
やばい、と誤魔化す言葉を探してペン先を彷徨わせた俺に、真鍋は平然とした無表情を崩しもしなかった。
「まだ有益な情報を得たという報告は聞いておりません」
『そうですか。真鍋さんは、行かなくてもいいんですか?』
「はい」
『えっと、事務所、とか』
こんな、自宅で仕事をしていていいのだろうか。
「構いません。私は、翼さんから目を離さないよう、言付かっておりますので」
え?俺?
それって…。
「ですから、お気になさらず」
俺を見張っているのも仕事のうちだって?
それはつまり。
『俺は』
死んだりしませんよ…。
とっさになんでそう思ったかは分からない。
ただ、真鍋と、そして多分火宮の懸念はそれだということを、直感的に悟った。
「分かっております」
ですがそれでも、と小さく呟いた真鍋に、俺は直感の理由に気づいた。
そうか。
そうだった。
この人も、火宮も。
レイプの果てに、全ての真相を身の内1つに抱えたまま、この世を去っていってしまった人しか知らない。
未遂と言えども俺も、同じ道を辿るのではないかと、この人たちは怯えているんだ…。
『違います』
俺は、聖や蒼とは違う。
死んでしまうつもりなんて、微塵もないから。
あれ?
でも真相を一切語らず、黙り込んで塞ぎ込んでいる俺は…。
同じに見える?
もしかして俺は、黙っていることの方が、火宮を傷つけ、苦しませているのだろうか。
だけど…。
っ!
「翼さん?」
『ごめんなさい。真鍋さん、お風呂って、お借りすることはできますか』
分からない。
何が正しい?
どうすることが正解なの?
思考がぐちゃぐちゃにこんがらがって、解き方が分からない。
だから今はとりあえず、さっぱりしたい。
「構いませんが」
あ、大丈夫。
溺死とか苦しいことは狙っていないから。
「お1人にしても、大丈夫ですね?」
うん。むしろ風呂に1人じゃない方が嫌だから。
コクンと頷いた俺を、窺うように見た後、真鍋がパタンとパソコンの画面を閉じた。
「分かりました。では、浴室はこちらです」
スッとパソコンをテーブルに置いた真鍋に従って、俺はホッとしながら、風呂場までついて行った。
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