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「翼。飛んだか?おい、翼」
ペチペチと頬を叩かれて、俺は重たい瞼をのそりと開けた。
「ん…ッ」
ぼんやりと焦点の合った目が、目の前の枕とシーツを映し出し…。
「って、保健室ッ!」
やば、と慌てて起こそうとした身体はへにゃりと力が抜け、バタンと再びベッドの上に突っ伏してしまった。
「あぅ…」
「ククッ、わずかな間に何度イッたか。完全に腰砕けだな」
ニヤリ、と愉しげに笑っている火宮は、まったく悪びれていなくて。
「学校で、こんな…」
しかもまだ体育祭の途中なのに。バカ火宮。
「クッ、足りなかったか?」
「え?」
「バカ火宮、ね」
「えっ、俺言って…」
慌ててパッと口を押さえた俺に、向けられるのは火宮の妖しい笑みで。
「嫌!やだ。もっ、無理ですからっ」
これ以上お仕置きなんてことになったら、それこそ本当に壊れてしまう。
すでに起き上がれない身体を、ジタバタともがかせて、俺は必死で抵抗を示した。
「ククッ、まぁそう遠慮するな」
「っーー!してな…」
『だから、やめろって!リカ!』
『えー、でもほら、心配じゃん。様子聞くだけだから!』
っ?!
不意に廊下から響いてきたのは、2人分の足音と、豊峰とリカの声だ。
「っ、火宮さん」
やばい、どうしよう、と焦る俺は、まだ情事の後がバレバレの姿で。
ワタワタする俺に、火宮のニヤリとした笑みが向いた。
「鍵、開けてやろうか?」
「っ、駄目ですっ!」
もうこの人、本当、やだ。
意地悪な火宮に、じわりと涙が浮かんだところで、コンコン、とノックの音が響いた。
「っ…」
シィーッ、と人差し指を口に当てて訴える俺を、火宮はニヤニヤして見ている。
『つーちゃん?つ、ば、さ、くーん、いる?』
返事のない室内が不思議なのだろう。
コンコン、がバンバン、になりつつあるノックの音と、リカの声が響く。
『あれー?しかも鍵』
『だからっ、それは邪魔するな、ってことなんだって!翼にはあの方がついてるんだから、心配しなくても大丈夫だって!』
怒鳴り声に近い豊峰のフォローに、安堵と苦笑が浮かぶ。
「ククッ、今、俺のせいでむしろ大丈夫じゃない、と思っただろう?」
「ひゃ!」
反則!
耳元でそんな色っぽい声で囁いたら駄目だってば。
思わず悲鳴の上がった口を、ハッと押さえる。
『ん?今声した?やっぱ中にいるよね?』
『だから!それで返事しないってことは、会えないってことなんだって。ほら、あの方に怒られる前に、早く戻ろうぜ』
リカと豊峰の押し問答は丸聞こえで、どうなることか、と、ドキドキと緊張する。
『えー、その、あの方、ってやつと、間近で対面できるかもー、なんて下心もあったのになぁ』
っ?!
思わずヒュッ、と息を飲んだら、火宮がなんとも言えない顔をしていた。
『おまえな…』
『だぁって、なんかさっき、思い切り睨まれちゃったけどー、それもさ、つーちゃんラブ!からくる牽制だと思うと、もうたまんなくない?あんな最高男子、人様のものでも、鑑賞できるだけ眼福ってね!』
うわー、リカは本当、強かだな。
『おまえね、それ、ヤクザの頭だって知ってるよな?』
目ぇつけられて怖くねぇのか、と呟く豊峰の声が聞こえる。
『いやぁ、まぁヤクザは怖いよね』
あはは、と笑うリカに、ギクリとした。
火宮の手がそっと背中に触れる。
『ッ…ほら、だから』
『でもつーちゃんのカレシさんは、怖くないよね』
『は?』
『だってさ、つーちゃんが選んだ人だもん。その人がさ、つーちゃんの友達に、悪いことをする人なわけがないじゃん』
自信たっぷりに言い放つリカの声がする。
『そんなの、分かるわけ…』
『んー?分かる、のは、つーちゃんが、友達に本気で害をなすような人を選ぶわけがない、ってことかな』
『ッ、それは』
『私はさ、これでも何気に、つーちゃんのことは信頼しちゃってるからね』
ふふ、と得意げに笑うリカの声が聞こえた。
『つーちゃんはね、自分の大事なものを本気で壊しにかかるような人を、好きにはなんないよ』
にこりと笑うリカの顔が、見えなくても分かるような気がした。
っ、くそっ…。
じわっ、と滲んだ涙が、ボスッと顔を埋めた枕を濡らした。
「ククッ、この天然人たらしめ」
ポン、と頭に乗った火宮の、温かい手と穏やかな声に、きゅんと胸が小さく震える。
「仕方ない。おまえへの信頼に応えてくるか」
サラリと髪を撫でた火宮が、チュッと優しいキスを落とし、そっとベッドを下りていく。
火宮さん…?
シャッ、とベッド周りのカーテンが引かれ、その向こうに火宮の姿が消えていく。
その後すぐに響いたのは、鍵の開けられた音と、豊峰とリカの声で。
もう、なんでこの人は…。
豊峰たちに答える火宮の声は、決して高圧的でも面倒くさそうでもなくて、むしろ丁寧で。
火宮がそんな人当たり良く対応したら、リカなんか絶対に目を輝かせて喜んでいるに違いないし。
そんなの、俺の方が妬ける…。
チリッと身を焦がした嫉妬が浅ましくて、俺はバサッと布団を被って、1人勝手に拗ねてやる。
だけどどうしてもほっこりしてくる心の名前は、悔しいけど、「嬉しい」ってやつだった。
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