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「…俺の、すきな人。」
えっ、という女性店員の短い悲鳴は、俯く榎野の耳には最早届いていなかった。
数週間後。夏休みに入ったキャンパス内は、生徒がグッと少なくなる。榎野は、短期授業のある教室とサークルを行き来する日々を送っていた。
当然ながら、楠田との関係も変わっていた。まず、榎野がドラムを叩いても先輩は一切近づいて来なくなった。代わりに、二人共、ストイックなほどに練習を黙々とこなす。軽音部の周囲は、『ああ、喧嘩して元の犬猿の仲に戻ったのか』と対して怪しみはしなかった。
楠田はバンドのメンバーと瑠璃条との演奏に没頭した。だから、時折榎野が練習の手を止めて固執した眼差しでバンドを眺めているのに全く気がつかなかった。
しかし、楠田が瑠璃条に近寄る度、後輩が執拗にクラッシュシンバルを連打するので、根にもっているくらいは把握していた…。
とある金曜日。諸事情でサークルに参加できなかった榎野が、楽譜を取りに音楽室に戻ると、そこは消灯された後だった。しかし、照明がなくて薄暗い中、授業用の机に突っ伏して豪快なイビキを立てている先輩が一人。
「…楠田先輩。」
榎野が名を呼ぶと、彼は人の声に反応して、イビキを最小限の音量に抑えた。練習後、疲れて眠ってしまう気持ちはわからないでもないが、部員の誰か声をかける人はいなかったのかと嘆きたくなる榎野だった。
「…っと、ちがうちがう。楽譜楽譜。」
榎野が担当するドラムは、いつもは音楽室奥の倉庫を兼用している小部屋で練習する。従って、彼の楽譜もそこに置かれていた。
「ええっと、楽譜は…。」
倉庫に踏み込んで、榎野が楽譜を探していた、最中。
突如、ぴしゃんという無慈悲な音が聞こえてきた。榎野は動揺しながら、悪い予感を覚えて倉庫から出て行く。…案の定、開きっぱなしだったはずの音楽室の扉がしっかりと閉め切られている。榎野の顔から、血の気が引いていく。今日は金曜。音楽室周辺に人が寄り付く場所なんて考えつかない。施錠されて閉じ込められた場合、月曜が巡る二日までは助けが来ない確率が高い。
「ちょ…っ、出して下さいっ!!」
すでに楽譜なんて榎野の脳から忘れ去られていた。音楽室の扉に齧り付いて、渾身の力で叩く。だが、返ってくる反応はない。何かないか、とキョロキョロ見渡して、照明のスイッチに気が付く。電気だ。室内に電気が灯れば、警備の人も不審に思って戻ってきてくれるに違いない。
榎野がスイッチに駆け寄った、矢先。
窓の外から轟音が響き渡った。震動でガラスが硬質な音を立て、流石の榎野も息をのむ。
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