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榎野は両眼を伏せ、声色だけすまなそうにする。
「すいません。…今日はなんだか、具合が悪くて。練習に行けそうにありません。」
後輩のしょんぼりした態度に、楠田はあっさり騙される。
『ゲッ。マジか。…夏風邪ってヤツ??だいじょーぶか??俺、練習終わりに見舞いでも行こうか??』
一度強襲を受けた男の家に、のこのこと見舞いを申し出る楠田のメンタルに、後輩は舌を巻く。
「…いえ。単なる寝不足ですよ。多分、一晩寝ていればよくなります。」
『そ、そうか??なら、いいけど…。』
「はい。じゃっ、俺はこれから寝るんで。電話をかけても出られないかもしれません。」
『ん、OKOK。だったら、今日はゆっくり休めよ。』
おやすみ、と呟かれて、榎野はくしゃりと顔を歪めた。通話の切れた携帯を置いて、フラフラと立ち上がる。それから榎野は、寝室に水の張ったバケツと一つの封筒を持ってくる。アグラをかいて、床に座り込んだ彼は、手にした茶封筒を勢いよく引っ繰り返す。…仲に入っていた写真数十枚が、床に広がっていく。…写真は全て、夏休みに入ってから榎野が撮影した、意中の先輩との写真だった。
榎野は内の一枚を適当に選んで、人差し指と親指で摘み、バケツの上に持っていく。開いた方の手で安物のライターを握り、写真の下方へと運ぶ。
カチリ、と小さな音をたてて、榎野はライターの火をつける。幼い炎の舌先はやがて、餌を探し当て、端から消し炭に変えていく。榎野は無言で、燃えゆく思い出を眺めていた。
写真を摘む指に多少の熱さを覚えると、榎野は迷いなくバケツに燃えかすを叩き落とす。三枚目ほど焼いた時だ。大学の方から、上品なヴァイオリンの旋律と共にバンドの力強い音色が流れてきた。
榎野は彼らの演奏に耳を傾けながら、黙々と作業を続けた。床に散らばった写真が一枚残らず消えるまで、榎野は決して手を止めようとしなかった。…だから、携帯に留守電が吹き込まれている事実に気づかないままでいた。
写真をみんなバケツに送ってから、榎野は光の宿っていない双眸で窓の外を眺め、短く息をつく。頭上の天気だけは憎らしいほど雲ひとつない快晴だ。お盆を過ぎたと体感させられる涼しいそよ風を頬に受け、榎野は口元に微苦笑を浮かべる。
八月三十一日。楠田が一緒にいられると保証した最終期日。榎野は人生で初めて、失恋そっくりの気分を味わった…。
榎野が失恋しようと世界は変わらない。時は歩みを止めやしない。
九月になって、夏休み明けの大学は再び活気づく。榎野は上旬こそ家にこもりがちだったが、中旬には復帰して、サークルの練習にもちょいちょい顔を出す。…失恋の痛みを克服したかに思えるが、実際の彼は未練タラタラで、むしろ楠田に会うため練習に参加していた。
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