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「誘拐事件において、犯人と長く過ごすうちに、被害者が犯人の機嫌を取ろうとする……それはごく自然なことです。しかしそれが長期間続くと、ご機嫌取りは過度の好意や同情、哀れみといったものへと変わってしまいます。これが、”ストックホルム症候群”といわれるものですね」
名前だけは聞いたことがある。
よくテレビでやっているが、本当にそんなことが起こるのだろうか。自分を誘拐した他人なんかに、好意なんて感じるわけないのに……。
……侑太郎は、大丈夫かな。
「ええ……今日の講義はこれで終了とします。次回は犯罪心理学について犯人の視点に立って……」
講義を終えると、香織は腕時計を確認した。
この後は、友里とともに学内企業説明会に参加する予定であった。どんなに侑太郎のことを探したくても、自分の人生を決める”就活”なるものを始めないわけにはいかない。
十二月に企業説明会に参加するのは、少し遅いくらいだった。それでもこの時期に有名な大企業が説明会にやってくるのは、この赤桐大学が名門中の名門だからだ。
「香織、こっち!」
会場に入ると、すでに友里は席を取っていた。
香織はスーツ姿の学生たちを掻き分け、友里の隣の席へ座る。
「なんか、いつもより混んでるね」
「そりゃそうよ。今日は有名どころの大企業ばっかだし!」
すると丁度、司会の職員がマイクを持って出てきた。
ざわざわと騒がしい会場が、急に静かになっていく。
「えー……それでは、第三回学内企業説明会を始めたいと思います。まず、お手元の配布資料をご覧ください……」
淡々とした説明が始まり、会場はしんと静まり返る。
香織は、ほとんどの説明を聞き流していたが、なんとなしに手元の資料に目を通してみた。
そこには、本当に有名な企業の名前が羅列してあった。安元生命、日本自動車、アトラ製薬……。
資料から顔を上げ、目を輝かせて真剣にメモを取る学生達を眺める。
……私も、そろそろ自分のことをちゃんとしないといけないかもしれない。侑太郎のことは、警察がなんとかしてくれるよね……。
「……では次に、田渕不動産から、田渕竜也さん。お願いします」
その時、静かだった会場が、ざわめき出す。
何事かと顔を上げると同時に、隣に座る友里が顔を寄せ、耳打ちしてした。
「あの人、ちょーカッコいい。モデルみたいじゃない?」
モデル……?
香織は、壇上に立つスーツの男性に目をやった。
年齢は20代半ば。細身で、足がすらっと長く、それが彼をモデルのように見せている。しかし、切れ長の目が、全体的に冷たい印象を与えていた。
「こんにちは。田渕不動産の人事部長を務めます、田渕竜也と申します。今回、赤桐大学様の学内企業説明会に参加させていただき……」
「ねぇ、人事部長だって。若いのにヤバイね」
静かになった会場でも、友里は懲りずに香織に耳打ちした。
……確かに、あの若さで人事部長だなんて、珍しい。普通は、50代くらいのおじさんが勤めているものだ。今までの企業の代表も、そのほとんどが40~50代であった。
「もしかして、跡取り息子とか?」
「……ちょっと、友里しゃべりすぎ。目立っちゃうでしょ」
「ふふっ、ごめーん」
跡取り息子、そうだとすれば納得がいく。名字も会社名と同じだし、もしかして本当にそうなのかもしれない。
「我が社は、マンションを中心に区内にたくさんの不動産を所有しており、再来年に控えたオリンピックに向けては……」
……だとしても、私にはやっぱり関係のないことだ。不動産屋さんなんて、よくわからないし、私の分野じゃないし。
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