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一章「01:つづきはない」
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※R18・性行為の描写を含みます
side:柄長 類
記憶の先端はコバルトブルーだった。
空と同じ色をした静かな炎、目が覚めるようなコバルトブルーが記憶の先端で激しく燃え上がる。まるで針の先のように尖ったそこに立つと背後から大きな塊が耳を掠めて通り抜けた。長方形の塊が連結されて蛇のように長い胴体を軋ませて空へと登ってゆく。蛇の胴体には四角い鱗が等間隔に並んで光が漏れていた。
ああ、道がある――、静かに呟けば目の前を覆うだけのコバルトブルーは高く登り、蛇が通った場所に一本の白い道筋が浮かぶ。先端の先には黒と黄色の踏切があって蛍光色の赤い目玉がぎょろり、と俺を睨んだ。
視線を下ろせば俺の隣では貧相な顔をした子供が踏切の先を途方もなく眺めている。脂ぎった長い前髪に隠れた瞳が悔しげにぎらつく。
小さく薄い身体には不釣り合いな大きいジャックナイフを大切そうに抱えて、踏切の縁で立ち尽くすばかりだ。その子供には踏切の先に道があるなんて思いもしないのだろう。まるで切り立った崖の縁に立つような絶望に染まった顔がぎゅっとナイフを抱き締めた。
血が滲むほどに噛み締めた唇はか細く震えて、少年はなにも言わずに振り返り走り去った。
「……大丈夫。きっと、行けるさ」
少年の背中に言えばそこで記憶は途切れた。
*******
欲しいんだ、言葉にした途端にすべてが上手くゆく気がした。
橙色の照明が仄かに輝く暗がりの中で静かに瞼を持ち上げる。車が通る度に軋む室内は染み付いた煙草の臭いで満たされていた。「本当に来たんだ」冗談めかしく口ずさむ。
すると、入り口で佇む厳めしい表情が怪訝に歪む。深い紺色のスーツに押し込んだ大きな胸板が窮屈そうに上下する。額の隅には古い傷跡、その真下で鋭い眼光がぎらりと輝いた。
「お前が来いと、呼び付けたんだろう?」
地を這うような掠れた低音が凄みを増す。茶色の混ざった眸が橙色の照明に照らし出されてまるで夕日に浮かぶ血のように赤く煌めく。
「嬉しくて堪らないのさ、俺の手紙をあんたが受け取ってくれた事がね」
挑発的に歪めた声音に彼は少しだけ表情を動かした。心臓は張り裂けそうな程に脈動を繰り返し、彼を呼ぶ自身の声すらも愛しく感じた。その瞳が俺を見詰める、その事実だけで狂ってしまいそうだった。
「手紙か、――あれを一般的には脅迫状という」
「ラブレターさ」
「ふ、ならばお前の愛はなんて粗暴だろう」
「それほどに本気って事さ。他の人間の命なんてどうでもいい」
「破綻しているな」
胸ポケットから取り出した小さな手紙を封筒から抜き出して鏡台に投げ捨てた。尖った文字が綴る愛の言葉。『若鳥の命惜しく、乞うならば赤の心臓を悪魔に差し出せ』
ただ彼を想って書いた一文が照明に照らされて美しく輝く。不快そうに歪んだ彼の眸に写った俺はいま、一体どんな顔をしているだろうか。鏡台の大きな鏡に反射した二つの人影の隙間には決して壁は存在しない。伸ばせば届く距離に彼がいる。それだけで充分な程に俺はいま確かな幸福を感じている。
「欲しいんだ、『赤飛さん』。あんたが欲しい」
呟けばすべてが上手くゆく気がした。
「若頭の命が惜しければ俺に身を差し出せ……、破綻しているな。こんなオヤジのどこがいいんだ?」
「そのすべて。好きだよ、赤飛さん。あんたのすべてが」
「これは取引か? それとも強制か?」
肌に絡んだ俺の視線を彼はものともせずに厭らしく口端を吊り上げる。細められた鋭い目はまるで獲物を狙う肉食獣のようにぎらついて、淡々とした様子で俺を一瞥する。
「……取引だ」苦く言えば途端に彼の表情が艶めいた。
「なら、話は早い」
熱っぽい声が上顎を這って彼の鼻先から漏れる。ベッドの脇に座る俺の隣へ片膝を乗せると頭上から覗くように見下ろした。火照った視線が俺を舐めるように這う。
喩えるなら慣れた売女だ。ストリップ・ショーの女みたいに腰をくねらせてシャツのボタンを外してゆく姿はふしだらで官能的だ。そぞろと彼に向かう俺の唇に鼻先を近付けると彼は口先で声音を弾ませた。
「好きにしろよ、『柄長』。もう我慢できそうもない」
俺の太ももに擦り寄る彼の股間は熱を持って膨らみ、スラックスを持ち上げる。滑る指先は俺のベルトを切々と解き、触れる程に近付く唇からは熱い吐息が漏れ出した。ああ、と俺は思わず喉元で嘆じた。
「計算済みかよ、くそったれ」
言えば彼が唇に噛み付いた。
********
前戯らしい事はさせてもらえなかった。
一心に俺のそれをしゃぶる彼をただ見下ろすだけの時間を経てからその時を迎えた。仰向けに転がり足を開いた彼の股に腰を滑り込ませて、そこへと宛がう。彼の切なく短い吐息には期待の色が垣間見えた。
彼のそこは抵抗もなく俺を受け入れた。彼自身すらも躊躇もなく俺を迎え入れる。苦しげに、それでも快楽的に男根を咥えるそこはまるで女のそれのように俺を包み込み、厭らしい腰つきが刺激を求めて俺に擦り寄る。
「はは、だらしない顔だな。初めてでもなさそうだ。尻だけでイケるんじゃないのか?」
彼の大きな身体に似合いのそれは一度も触れられる事もなく、なのに限界まで膨らんで今にも弾けてしまいそうだった。
「娼婦だって上手く刺激しなきゃ濡れないってのに、あんたの身体はどうなってんだ?」
言葉を投げつける度に彼のそこはきつく締まり、盛った雌猫のように切なく俺を見詰める。赤く染まった頬も潤んだ瞳もそれだけで俺を煽るには充分だ。
甘い匂いを放つオイルが動く度に隙間から掻き出されて酷く鼻を突いた。腰を打ち付ければ軽妙な音が部屋に響く。その音に混ざって漏れる彼の呻き声にも似た喘ぎは先端が最奥にぶつかる度に鼻先から抜けてゆく。
「ああ、厭らしいな。あんたはこんなに厭らしい身体をしていたのか」
「ふ、悪かったな。処女じゃなくて」
「妬けるね。誰に仕込まれた? 毎日弄られているんだろう?」
分厚い胸に歯を立てる。血が滲む程に噛み付けば彼は悲鳴のような声をあげた。反った腰を掴んで乱暴に突き立てる。がつん、がつんと加減もなく腰を打ち付ける。肉厚な彼の身体は迸る快感を受け止めようと小刻みに痙攣して、先端から溢れる透明な体液が下腹部に飛び散ってゆく。
「そんなに乱れてくれるなよ。嫉妬に狂いそうになる」
吐き捨てた声は彼には届かなかった。
男を誘う雌の視線、何度も犯され慣れた粘膜、甘い声。歳を疑いたくなる程に若々しい肉体も、そのすべてに『別の男』の匂いがこびり付いて不快だった。愛しくて堪らないのに殺したい程に憎たらしい。
もしも俺に僅かばかりの涙が残っていればきっと泣き出していた。
その僅かな涙すらも涸れたいま、溢れるのは抑えきれない程の冷たい殺意ばかりだ。
「赤飛さん。俺は『殺し屋』だ。いままで何百って人を殺してきた。だから今更、人を殺す事に躊躇いなんて感じないんだよ」
乱れた前髪を掴み上げて額を露わにすると彼は驚いて目を見開いた。
額に這う白い一筋の皮膚はまるで蚯蚓のように微かに盛り上がる。それを丁寧に舐め上げると瞬間に彼は俺の胸を押し返した。この日、彼が見せた初めての抵抗がその傷だった事が俺をさらに逆上せさせた。
「その古傷がそんなに大事か?」
言えば彼はとても不機嫌に目尻を吊り上げた。
熱い粘膜が絡んだ筈の男根が冷たく感じる。彼を想って張り裂けそうに脈動する心臓が、彼の熱を感じる事が出来る肌が、彼だけを考える為の脳が、いまはただ冷たい死体のようだった。
彼の一挙一動のすべてに感じる別の男の存在が、俺を僅かに狂わせてゆく。
「どうして」思わず零れそうになった言葉が鳴る前に俺は咄嗟に顔を掌で覆い隠して彼の胸へと崩れ落ちた。
「柄長」声が彼の胸の中で響く。
彼のすべてを奪うつもりだった。心も体も、思考すらも俺だけのものにしたかった。だけど彼はきっと俺でなくても女のように喘ぐのだ。ふしだらな腰つきで求めるのだ。その眸に映っていいのはこの世にたった一人だけ。
きっと出会った頃よりも、それ以前からずっと。
「どうしてあんただけが手に入らない?」
こんなにも好きなのに、続けた言葉を彼は鼻で笑い飛ばした。
なにを今更、そう言って冷たく笑う。
「好きになってよ、頼むから」
「なに泣いてんだよ。らしくない」
「泣いてない」
「なら顔を見せろ。セックスくらい気持ちよくしようじゃないか」
「俺は竿か?」
「ふ。そういう取引がしたかったんだろう?」
「俺は!」弾き上げた顔を再び掌で隠して胸に崩れた。
笑う彼が俺の頭を撫でて柔らかい声音で俺の名前を呼ぶ。絡み付く熱はなのに、とても熱くて俺を誘うようにうねった。
「涙なんて、とっくに枯れちまった」
「なら今、お前が流しているのはなんだ?」
「我慢汁」
「はは。ならその格好は?」
「お祈りだよ」
「神様にか?」
「笑ってんじゃねーよ、糞ビッチ」
「ああ、そうだな。俺は『糞ビッチ』だな」
「なんで、そんな優しい声が出るんだよ、くそ。あまりに酷いじゃないか」
もしもほんの僅かでも涙が残っていれば。「好きなんだ」何度も反芻する言葉をやっとの思いで絞り出しても俺の心は彼に届かない。彼の心臓が欲しいのに俺には決して手に入らない。この感情も心もなにもかもが無意味というのならいっそ罵倒して切り捨てて欲しかった。お前なんて要らないのだと吐き捨ててくれれば彼を恨む事も出来たかもしれない。
ほんの僅かな涙すら涸れたいま、俺が醜く垂れ流すものがこのまま眸を溶かしてしまえば彼に焦がれ追い掛ける事も諦められたかもしれない。
「涙なんて、いっそ全部枯れてしまえばいいのに」
「先に取引を持ち出したのはお前だろう?」
「俺はそんなものしたくなかった」
「ならばどうする? 若を殺して俺を奪うか?」
「そうすれば、あんたはその瞬間に自害するだろう」
「さあな、俺は臆病だからな」
彼が嘯いた刹那に俺は目を見開いて身体を弾き上げた。
込み上げる殺意が美しく輝くのだ。胃袋の奥底から化け物が零れ出す。きっといまの俺は酷い顔をしているだろう。醜い化け物のような顔をしているだろう。
「吐くならもっとそれらしい嘘を言えばどうだ?」
表情に張り付いた笑みが歪に引き攣ってねじ切れてゆく。
こんなにも好きなのに殺したい程に憎らしい。いつだって俺を突き動かすたった一つの感情は禍々しい光を放つ美しい殺意。そうだ、この世界のすべては破壊の上に成り立つ。
「俺はあんたの傷付く顔が見たい。その為なら俺はいくらでも悪魔になろう」
萎えた男根を引き抜いて俺はベッドから飛び降りた。
背後を振り返ると彼はとても不快そうな表情で俺を睨む。簡単な話だ。憎めばその分、憎まれる。人は憎しみさえあれば生きてゆける生き物だ。醜く愚かな生き物だが、死に際に魅せる一際に輝く青い炎だけがその醜い命を輝かせる。
命が消えるその瞬間だけはこの灰色の世界が美しくなる。
「柄長、お前はいつからそんなにも狂った?」
「最初から狂っていたさ。この世界は狂っていないと生きられない」
「お前を引き留めるものはないのか?」
「――――……。赤飛さん、存分に傷付いてくれ」
記憶の先端はコバルトブルーだった。
吐き出した言葉が舌先から離れた瞬間に青く燃える。ちりちりと囀りのような音を発てて燃え滓が影へと募ってゆくのだ。重く膨らんで鈍間になったそれがいつまでも足下から飛び立たない。
まるで地に落ちた鳥のように物悲しい鳴き声だけが足下で泣き叫ぶ。
黒くて薄汚れたそれが足に絡み付く。ひたり、笑う。「逃げ道はもうないぞ」逆さまになった三日月のように細められた目が俺を指差し声音を歪ませた。
その姿はまるで呪いのようだ。いつまでも、どこまでも足の裏にこびり付いて離れやしない。だから俺はそいつに向かって言うのだ。
「逃げる気なんてないさ」斜に構えた笑みだけが空しく浮かび上がる。
振り返った先では彼が残った部屋の扉がいま、閉じた。
つづきはない
(壊して、繕って、また壊す)
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