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一章「05:愛を知る終幕 赤飛編」
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side:赤飛弘美
酷く近くて、とても遠い記憶の香り。
その小さな身体には不釣り合いの大きな洋室。天井に届く程の高い本棚には分厚い本が重たく並ぶ。子供部屋にしては大人びて簡素なそこは、その時分の子供には似合いの玩具の類いは用意されてなかった。十歳にも満たない少年は、なのに『子供』である事を許されない。彼はいつもその部屋で泣いていた。
……――それは酷く奇妙な夢だった。
暗闇を鋭い光の筋が切り裂いて一本の道が出来上がる。どこへ向かい、なにを求めるのか、尽きない疑問を抱えてながら俺はそれでも前へと進んで行く。「ああ、俺は死ぬのか」そんな端的な感想だけが取り留めもなく零れ落ちた。
思えば喩え光の道が示す方角が地獄でも抗う事はないのだ。
外道の名には相応しい場所だ、と自嘲の混ざった笑みが込み上げる。死を前にしても俺に恐怖はなかった。躊躇いも、後悔も。それどころか地獄に向かう事に満足さえ感じる。死に行く自身が誇らしかった。
そんな、時だ。
俺を引き留める『その男』がふてぶてしく眉を歪める。闇の中にいても解る程の黒い影を背負ったその男は不機嫌に声音を凄めて「まだ行くなよ」と表情を顰める。男が指先で乱暴に掴んだ腕に爪が突き刺さった。
俺は尋ねる。「お前はなんだ」
軽薄な笑みが帰ってくる。「俺は“俺”さ」
男を言葉にすれば軽薄の一言に尽きる。不誠実でふてぶてしい、その軽薄な声音が吐き出す言葉はいつも辛辣で熱も感じない。なのに、とても優しかった。現実味もない言葉にも妙な説得力が伴って『この男なら或いは』と思わせる。闇にも溶けない黒い影を背負う姿に人は悪魔を思う。囁く言葉を一秒でも長く聞きたい、誰よりも近くで囁かれたい、そんな衝動を抑えられなくなる。
「“柄長”――、お前はなんだ」再び尋ねた問いに男は、柄長は答えなかった。
引き留める腕に視線を落として声を低くさせた。「なぜ止める?」聞けば柄長は不敵な微笑みで「解っているだろう」と吐き捨てる。
死なせてくれ、叫ぶ俺に柄長はなにも答えない。不機嫌に眉を歪めて、けれどとても悲しそうな眸で俺を見詰めるのだ。握り締める拳は微かに震えて力を込める。そうしてから漸く柄長はいうのだ。「聞こえるだろう? 呼んでいるじゃないか」
険しかった表情は一転して柔らかな微笑みへと変わる。「誰が」発した自身の声が届く前に柄長は泡となって消えてしまう。誰が、なにを、なぜ呼ぶのか、柄長は一度も答えてはくれない。夢はいつもそうして終わるのだ。
まるで俺がその正体を知っているかのような口振りで満足げに笑みを浮かべる。
そして夢はまた同じ場所から始まる。何度も、何度も、何度も、夢は繰り返された。「まだ行くな」「解っているだろう」「呼んでいる」柄長は同じように投げかけた。そうして何十回と繰り返した後に俺はとうとう声を荒らげた。
「ふざけるな」叫ぶ俺に柄長は神妙な視線を投げた。
「お前は俺に化け物になれというのか」
張り上げた瞬間だ。柄長の表情が笑みに歪む。いまにもその尖った歯で噛み付いてきそうな程に凶暴な微笑みで「狂っちまえよ」、彼は喉を鳴らした。
闇に浮かぶ、そのぎらついた眸に悪魔を見た。「ああ、なんて……」
なんて醜悪で美しい姿だろう――。嘆じた溜息は歓喜に震える叫びにも似ていた。鳥肌が立つ程の身震いに目を見開く。いつだって柄長は挑発的に笑んでは俺が求める言葉を心地よい音色で聞かせてくれる。まるで俺の心を見透かしたように、餌を撒き散らす悪魔のように、そっと囁くのだ。
その声をもっと聞きたくなる。
けれど、その酷く甘美で奇妙な夢はその瞬間に幕を閉じた。
********
長い夢が覚めたとき、眼窩を焼く強い光に目を萎めた。
心臓が締め付けられるような激しい劣情が目覚めたばかりの脳内に攻め寄せる。「赤飛」俺の名を呼ぶ美しい声音に呼応するよう腕を持ち上げれば、彼はとても柔らかな微笑みで「赤飛」再び名前を呼ぶ。
宙を彷徨う掌に触れた温もりがただただ生きている実感を思わせる。誘われた頬の温もりが指先に焦げ付いて生々しい痛みを感じた。生きている、その感触だけが泣きたくなる程に物悲しい。
「若、俺は……」絞り出した声が乾いた上顎に張り付く。
「うん、赤飛。おはよう、……おはよう」
擽ったそうな彼の微笑みが逆行の中で輝く。光を背負っても負けない程の美しい姿、綺麗な微笑み、麗しい声音、例えばどれ程に手を汚そうとも決して穢れない無垢な心。そのすべてが輝いて、眩く煌めくのだ。
彼を守る為に生き、彼の為に死ぬのだと疑う事もせずに尽くしてきた。
その事が何よりも尊かった。死ぬ事に迷いはなかったし矜恃の為に死ねる自身が誇らしかった。なのに、いまの俺の姿はなんて無様なのだろう。なんて惨めなのだ。
「申し訳ありません、若……俺は」
「いいんだ。謝るな。もういいんだ」
「俺は、死に損なった……。貴方の為に死ぬと誓ったのに無様に生き残るなんて……こんな惨めな事はない。こんな姿では貴方を守れないじゃないか。若にこんな迷惑をかけるくらいなら死ねばよかったんだ、いっそ、死んでしまいたかった」
彼の言葉を遮り、堰を切ったように捲し立てる。悔しくて、情けなくて堪らないのだ。声を絞り出すだけで汗は噴き出し、身を捩れば激痛が走る。自力で起き上がる事も叶わないこんな身体で一体なにを守れるというのだ。
生き恥を晒すくらいならいっそ死んでしまいたかった。
目覚める事もせず、夢の中で果ててしまいたかった。
溢れ出る涙を左手で拭い、鼻を啜る。「面目もない」絞った声は上擦っていまにも崩れてしまいそうな程にか細い。自身の発する声がこんなにも弱いなんて信じたくはなかった。なのに現実ばかりが押し寄せる。悔しさに顔を顰めると、彼は突然と握った手を振り払った。
「なら、死ねよ」
冷たく吐き捨てられた声に俺は思わず面食らう。
視線を弾き上げると逆光の中で彼の表情に影が落ちた。それはいまにも霞んで消えてしまいそうだった。重く伏せられた瞼の隙間に虚ろの眸が二つ、弱々しく震えている。「死にたいんだろう?」彼は声音を絞り出す。
「死にたいなら死ねばいい。勝手にしろ。死ぬなら一人で、誰の迷惑にもならない場所に行って、自分で死ね。僕は手を貸さないし、誰にも手を貸させない。勝手に死ね。もういい、……もう、疲れた。お前なんて嫌いだ」
抑揚のない弱々しい声が捲し立てて、吸い込んだ空気を一気に吐き出して静かに消え入る。死ねばいいと空虚な言葉だけが心地よい低音の中で鋭利に尖る。か細く震える唇が、堪えるように俯く輪郭が、揺れる眸が、彼が俺を見詰めて青ざめてゆく。「どうして」空気の抜けたような彼の声が呟く。俺の胸倉を掴み、引寄せ、縋るように握り締める。
「どうしてお前が『そんな顔』をするんだ」張り裂けそうな叫び声が静寂に鳴った。
「お前の、その『被害者ぶった顔』が嫌いなんだ。いつもそうやってお前ばかり傷付いた顔をするんだ! いつも、いつも……なんで、僕が」
荒らげられた声も最後は言葉も聞き取れない程に小さく窄んでいった。
彼が歪めた表情はただ痛々しく押し潰されて、そこに湾曲した涙が伝う。俯く輪郭を伝い零れ落ちる。唇を噛み締めて彼は溢れる嗚咽を噛み殺し、そしてその場に膝をついた。「どうして」譫言のように繰り返す。
ベッドの下から伸ばされた腕に引寄せられて伸びたシャツを彼は強く握り締める。
「僕が、どんな気持ちで待っていたのか……お前はどうして解らない?」
震える声が途方もなく零れる。
蹲る彼をベッドの上から見下ろしても隠れた表情を伺う事は出来ない。けれど項垂れる表情からは止めどなく涙が零れて、スラックスに染みを作る。強く握った拳は俺を掴んだまま離さない。「どうしてだよ」彼は繰り返す。
「僕がどうしてこんな気持ちになるのか、お前はどうして解らない? お前はどうしていつも『そう』なんだ? どうして、どうして……」
身体を丸めて声を殺し、静かに泣く姿にいつかの少年の姿を思い出した。
少年は言うのだ。両親は死を選んだ、と。十歳にも満たない幼い身体には似合わない大人びた笑顔が、けれど辛そうに微かに歪む。
『その日』になぜそれが起こったのかを誰も疑問に思わなかった。そうなっても仕方がないと誰もが思った。妥協もなく周到に用意された最悪へのシナリオは彼らが『そうなる事』で完成される。それはあまりに完璧な筋書き。彼らは選んだのではない。選ばされたのだ。誰が、なぜ、どうやって、――そんな疑問すら無意味にする程の絶望。訳も解らぬまま、気付く間もなく、首を絞められて行く恐怖。泣き叫ぼうとも誰も助けてはくれない。
それからの少年はその小さな身体には不釣り合いの大きな洋室にいた。
天井に届く程の高い本棚には分厚い本が重たく並び、その時分の子供には似合いの玩具の類いは用意されなかった。十歳にも満たない少年は、なのに『子供』である事を許されない。幼い身には余る程の知識をたたき込まれ、完璧である事を求められる。大人たちの激しい嫉妬や妬みを一身に受けて、それでも泣いて救われる事もない。思春期にもなれば取引の材料として望まない相手と性交渉を強いられた。微かに呼吸が出来るように締められた首輪を常にしているような諦観。誰にも守られない、誰も守ってくれない孤独。少年はいつもその部屋で泣いていた。
懸命に声を押し殺して誰にも悟られないよう、誰にも弱さを見せないよう、いつも一人で泣いていた。身の丈に合わない大人ぶった笑顔の少年は、泣く時ですら子供でいられない。
少年は、――――鳥居隈貴は、いつも一人で戦っていた。
「どうして解らない」そう発した声が自身のものだと気付く頃には彼の身体を引寄せていた。胸倉に伸びる腕を掴み、力のままに抱き寄せる。不思議と痛みは感じなかった。胸に沸き上がる途方もない全能感は、或いは年上としての愚かなプライドだったかも知れない。守りたい、守ってやりたい、そんな浅はかな願い。
腕の中で彼が目を剥いて激昂したのが解った。
「離せ、赤飛、……離せ!」胸の中で彼は拳を叩付けた。怒気の混ざった声音が叫ぶように声を張り上げて腕を突っぱねる。
「嫌です」と囁く声が嗄れて掠れる。それでも構わずに言葉を続けた。
「本当に俺を拒むのならどうか殺してください。今なら、容易く絶命するでしょう」
「これ以上、僕を怒らせるな。離せ、赤飛、離せ!」
「嫌です。……嫌なんです。貴方の涙をもう見たくない」
「お前なんて嫌いだ。大嫌いだ。嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ……、馬鹿」
「ああ、そうだ。俺は馬鹿だ。馬鹿だから、命を賭けるしか出来ない。馬鹿だから貴方を泣かせる事しか出来ない。俺は、馬鹿だ……!」
目頭に溢れるものがあった。彼はどれ程の時間を一人で過ごしてきた?
俺が目覚めるまでの間、彼はどれ程の不安を感じていた?
たった一人で戦い続けた少年が、本当は誰よりも弱く脆いと知っていながら俺は彼に向かって『死ねばよかった』と剰え涙を流したのだ。こんな酷い裏切りはない。愛されていると思うこれは自惚れか、或いは全能感が見せる夢か、そんなものはどうでもいい。
目の前で彼が泣いている。それ以外に理由など要らない。
「貴方を泣かせる自分が許せない。貴方を傷付ける自分が許せない。それでも、貴方が望むなら、貴方が命令するのなら俺はもう、絶対に死なない。貴方の許しが出るまで、生き続ける……だから」
それからの言葉は思い浮かばなかった。
どんなに言葉で死なないと誓おうと、どれ程の願いを込めようと、俺も彼も、すべての人間が人は必ず死ぬと解っているから。彼の幸せを望んでいるのに、この関係はなんて不毛なのだろうか。どんなに彼の幸せを願っても、それでも彼を連れて逃げる勇気もない。
俺はなんて無力なのだろう。なんて愚かなのだ。
「……赤飛。苦しい、もう、解ったから。もう大丈夫だから」
身を竦める彼が腕の中からそっと起き上がる。
汗ばんだ額に張り付いた前髪を、指先で選り分けて耳に掛ける。火照った頬は仄かに赤らみ、眼鏡を失った表情はぐっと幼く見えた。
「お前は、いつも自分を責めるんだな」そう言ってあどけなく笑ってみせる。
響く声がおどけるように呟く。「僕の我が儘だと突き放せばいい、身勝手だと切り捨てればいい。なのに、お前だけが僕の全部を背負おうとするんだ。こんなにも優しいお前が、周りに外道と蔑まれているなんて可笑しな話だと思わないか?」
悲しげに眉を垂らして、彼は苦しそうに微笑んだ。
太股に跨がったまま俯いて、崩れたシーツを握り締める。弱々しく震える姿は幼い頃の面影を思わせた。躊躇いを抱えたまま、それでも「どうして」と言葉が込み上げて止めどなく零れる。
「どうして、突き放せるというんだ。失う恐怖をたった八歳の子供が、身勝手な大人の理由で押し付けられた少年にどうしてそれを我が儘だと言える? 俺は、貴方がどれ程苦しんできたかを知っている。……我が儘なのは俺の方だ」
俺の言葉に持ち上がる輪郭が愛らしい微笑みを浮かべた。
涙で滲んだ眸が夕日に照らされて美しく輝く。光を遮断するレンズがなくなり、その輝きはいっそうに強く光るのだ。「ああ」喉の奥で嘆じた。この感情を愛と呼ぶのはあまりにも軽薄だ。こんなにも浅はかな欲望が愛などととても言えない。
ずっと堪えてきたではないか。
ずっと食い縛ってきたではないか。
触れてはいけないと、望んではいけないと、ずっと。なのに。
「どうして貴方はそんなにも美しいんだ?」零れた言葉を咄嗟に掌で塞いだが、取り留めもなく静寂に落ちてゆく。溢れる涙を飲み込もうとも塞ぐ視界を、なのに美しい微笑みが許さない。
「それは、見た目の話か?」からかう口振りで彼は笑みを含めた。
「僕にはお前の方が美しく見えるよ、赤飛。どれ程の時間を僕はお前に救われてきたと思う? なあ、赤飛、僕はお前を――」
「駄目です! 駄目です。若、若……!」咄嗟に言葉を遮った。
溢れる涙は留める事も出来ずに零れ落ちて、頬の上を次々に流れてゆく。喉が焼けるようだ。その願いは叶わないからこそ美しい。その感情は届かないから輝く。そうして出来た『外道の赤飛』こそが本当の『美しい姿』なのだ。
彼の為なら心もなく人を殺し、彼の為ならどんな命令にも逆らわない、そんな外道でいればこそ俺は彼のそばに居続ける事が出来る。なのに。
「貴方に名前を呼ばれると錯覚してしまう、自惚れてしまう。貴方に愛されていると、誤解しそうになる。……そんなにも美しい声で、俺を呼ばないでくれ。狂ってしまいそうだ」
「何度でも呼ぶさ、赤飛。なあ、そんな悲しい事を言わないでくれ」
「貴方は、どうして俺を『俺』でいさせてくれないんだ? なんの為に十五年も……!」
「どうしてそんな事を言うんだ、赤飛。不満があるなら言ってくれ、お前の望みを、願いを叶えたいんだ。お前はだって僕の」
掌で彼の口を覆い、言葉を塞いだ。
いつだって俺の、この浅ましい身体は言うのだ。彼に触れられたい、抱かれたい、求められたい。その美しい声で呼ばれる度に、その綺麗な眸で見詰められる度に疼くのだ。俺が揺らぐ度に彼はいつも俺を正してくれた。救われてきたのは俺の方だ。俺が醜い化け物にならずに済んだのは彼のおかげだから。
愛していない訳がない。好きで好きで堪らない。狂ってしまう程に愛している。だからこそ、叶ってはいけないんだ。俺が俺でいれば、彼は『彼』で居続ける。不毛でも構わない、愚かでも構わない、彼を生かす為だけの十五年だったのだから。
俺の感情など『そこ』にあってはいけないのだ。
「どうして今更、この関係を崩そうとするんだ。この十五年はなんだったんだ? なんの為に耐えてきた? 俺たちは『この関係じゃなきゃいけない』筈だろ……。貴方はなのに、どうして逃げようとするんだ」
吐き出した言葉が喉の奥に棘を残して部屋に響いた。どうか我が儘だと突き放してくれ。身勝手だと切り捨ててくれ。いっそ、お前なんて要らないと見限ってくれ、どうか。俺の感情を嬲り殺してくれ――。
彼は口を覆う俺の手を解いて柔らかく言う。「お前はそうやって、いつも泣くんだな」そう微笑みに涙を流して、「僕はお前の涙に弱いんだ」苦く笑った。
「貴方は、狡い。……惑うのは俺だけでいいんだ」
「それでも、お前は愛してくれるんだろう?」
彼は酷く辛そうに表情を顰めてから、縋るように俺の胸に額を押し付けた。震える拳がシャツを握る。
「赤飛、なあ赤飛。お前が望むなら僕は支配者でいる。鬼にだってなるさ、なんにだってなる。いくらだって命令してやるから、……僕を嫌いにならないでくれ」
泣き縋る子供のように、彼は声を震わせる。
ここはまるで地獄のようだ。縋って、縋られて、いつまで経っても堂々巡り。これではまるで地獄ではないか。いっそ突き放せば楽なのに、それでも互いに手放す事が出来ない。愛していれば、そんな飯事遊びのような主従ごっこが何処まで行っても重く縛り付ける。
どんなに近寄っても、どれ程に思い続けても、その境界線が立ち塞ぐ。老いた俺を指差し嗤うのだ。――それでも、願うのだ。
それがどれ程に愚かしくても「どうか神様」祈るのだ。
「俺が」抱き寄せると細い肩が微かに震えた。
「……『私』が貴方を嫌いになる筈がないでしょう。若、私は貴方を愛しています。だから、どうか貴方は、貴方のままでいてください。強欲で、意地悪で、我が儘でいいんです。私は『貴方の為なら死んでも構わない』のだから」
浮かべた笑みに涙が溢れた。喉の奥で棘が刺さる。嘘を吐くのはやはり苦手だ。溢れる涙がいっそ枯れてしまえば少しは正直者になれるだろうか。いつか希望は見えるだろうか。願っても辛い現実ばかりが押し寄せる。「どうか神様」祈ったところで希望は見えない。
「ああ」彼は言葉を漏らす。腕の中から抜け出して彼が頬に触れて微笑んだ。
「お前は『そういう男』だ」
そう言って微笑みに涙を滲ませた。
例えば、――例えば『それ』が罪として、なのに縋る俺はなんて浅ましいのだろう。不毛にも思える十五年をそれでも意味あるものに変えてくれるのはいつだってその幼く小さな掌だけだった。無様を晒し、外道に染まったこの真っ赤な手でも彼は無邪気に握り返してくれるから。
笑顔を返そう。
どんなに醜く不器用な笑顔でも、与えられた以上の笑顔を返そう。彼がこの暗い世界で迷わないように、惑わないように、いつまでも、何処までも――「どうか神様」――願い続けよう。罪深き俺を、それでも貴方が呼び続ける限り。
もしも貴方が喩え信じられないと目を閉じても、馬鹿の俺が信じよう。いつか希望は見えるのだと。
愛を知る終幕・赤飛編
(辛くも浮かべた笑顔に、止めどない涙が零れた)
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