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小鳥が弟になるまで24
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病院の廊下を、人目も気にせず必死に走り抜ける。
今日は木曜日。屋上が解放されている。
そう思うと、何故か尊は小鳥は屋上に居るという確信が持てた。
走りながら、頭の中に先程の医師の話がぐるぐると渦巻く。
医師から聞かされた話によれば、ずっと意識不明だった小鳥たちが事故にあった時のタクシーの運転手が、つい先程目を覚ましたのだという。
そのタクシー運転手は、小鳥たちの安否を看護士に尋ねた。
看護士は、姫子が死に、小鳥は助かったことを運転手に告げた。
すると運転手は慌てて言ったのだそうだ。その子を絶対に一人にしてはいけないと。
あまりに必死に訴えかける運転手の様子に、看護士が理由を尋ねた。
運転手は事故の後、意識を失う前に見た車の中での光景を看護士に説明した。
後部座席で、小鳥を庇うように抱きかかえる姫子。どう見ても姫子が一番重症で、すでに意識がなくなりかけていた。
小鳥は彼女の腕の中、痛みに震える声で、それでも必死に姫子に呼び掛けつづけていた。
姫子は愛しそうに小鳥に笑いかけ、意識が無くなる直前、小鳥に言った。
“ママはもうダメみたい。光くんの所にいくね。”
小鳥は言葉なく、首を必死に横に振る事で死なないでと訴えかけた。
そんな小鳥に、彼女は言った。
“私が死んだら、小鳥も死んでね?”
それはそれは幸せそうに微笑んで、姫子は更に言葉を続けた。
“小鳥は、私が居ないと生きていけないもの。光くんの所で、また3人で暮らすの。だから、私が死んだら小鳥も死んでね。”
意識がなくなる、最後の瞬間まで。
自分が死んだら小鳥にも死んで欲しいと、姫子はそう囁き続けたのだと運転手は語ったそうだ。
小鳥が助かったのは、咄嗟に姫子が庇った事が大きな要因だと医師は言っていた。
命がけで守られた次の瞬間、守った張本人であるはずの姫子に、自分が死んだら死んで欲しいと頼まれた小鳥。
小鳥は、どんな気持ちで姫子の言葉を聞いていたのだろう。
目が覚めてから今日まで、どんな気持ちで過ごしてきたのだろうか。
そう考えると、胸が痛んで仕方がない。
出会ってすぐの頃、姫ちゃんが居ないと何も出来ないと言う小鳥に苛ついて、暴言を吐いてしまった時の事を思い出す。
“だったらお前はっ!姫ちゃんが死ねって言ったら死ぬのかよ!?”
あの時小鳥は、何て答えた?
“姫ちゃんは、そんな事言わないょ。”
じゃあ、もし言われたら?
その答えを、尊は知らない。
小鳥、小鳥…、小鳥っ!
頭の中で、何度も名前を呼びながら、屋上へ続く階段をかけ上がる。
ようやくたどり着き、勢いよく屋上のドアを開けると…
事故防止のために設置されている高いフェンス。
どうやって乗り越えたのか、その向こう側に立っていた小鳥が、ゆっくりと振り返った。
1歩踏み出せば簡単に下へ落ちてしまうような場所に立つ小鳥の姿に、思わず息をのむ。
一目見て、そこから飛び降りるつもりなのだと確信して背筋が凍った。
「小鳥っ!!」
呼び掛ければ、尊の登場が予想外だったのか、小鳥は驚いて目を丸くしている。
「動くなよ!今、そっちいくから!」
言いながら、端の方にフェンスが一部破れ、小さな穴の空いた部分があるのに気付く。
小鳥の体なら、そこからフェンスの向こう側へ潜り抜けてしまえるだろう。
だが尊ではその穴を通り抜けることはとうてい出来ない。
「小鳥、危ないからこっちに戻って来い。」
叫びたいのを必死に抑え、できる限り落ち着いた声で呼び掛ける。
ゆっくりと距離を縮め、フェンスをはさんで小鳥まであと1メートルという所。
困ったような笑顔で小鳥が、来ちゃだめだと言った。
本当は、小鳥の制止なんて無視して、今すぐ駆け寄りたい。
駆け寄って、捕まえて、意地でも飛び下りられなくしてしまいたい。
だがこの緊迫した状況の中、そんな強行手段には出るべきではない。
焦る気持ちをどうにか抑えて、足を止めそっと深呼吸をする。
小鳥は今、生きて尊の目の前に居る。
きっとここから飛び下りようとしていた…いや、今もまだ飛び下りるつもりで居るのだろうが、尊は間に合ったのだ。
あと少し屋上に来るのが遅れていれば、小鳥はもう飛び下りた後だったかもしれない。
だが、尊は間に合った。最悪の状況は回避した。
だったら後は、尊が小鳥を死なせなければ良い。
そう考えると、すっと気持ちを落ち着ける事が出来た。
「…ずいぶん早いんだな。今日は来るのはお昼過ぎって言ってたのに。」
確かに昨日尊は、昼頃に会いに行くと小鳥にメールをしており、予定が変わったことは知らせていなかった。
「予定が変わったんだよ。そんなことより早くこっちに来い。」
小鳥は困ったような笑顔を浮かべて、そっちには行けないと答えた。
「何でだよ。」
あくまで冷静に。だが、力強く小鳥を見据え問いかける。
「…。」
小鳥は何も答えない。それならばと、尊は言葉を続ける。
「姫ちゃんに、自分が死んだらお前にも死んで欲しいって言われたからか?だから、そこから飛び下りるのか?」
「っ…、なんで…」
姫子との最後のやり取りを尊が知っていた事に、小鳥は動揺して目を見開いた。
こんなにはっきりと、ころころ表情を変える小鳥は初めてで。こんな状況なのに、見たことのない小鳥が見られて少し喜んでいる自分に驚いた。
もっともっと小鳥の事が知りたい。
その為にも、小鳥は絶対死なせない。
「小鳥、お前は死ななくて良い。」
尊の言葉が少しでも深く小鳥の心に届くよう、柔らかな雀色の瞳をまっすぐ見詰め、ありったけの思いを込める。
「姫ちゃんの所には行くな、ここに居ろ。」
小鳥はへにゃりと眉を垂れ、泣きたいのを我慢しているような表情でゆっくりと首を横にふる。
「ここにはもう居られない。俺は、姫ちゃんが居ないと生きていけないから。」
「そんな事ねえよ。」
「…そうなんだよ。だって、こんなに何も出来ない子ども、姫ちゃん以外誰も欲しがらない…。」
ポツリ、ポツリと小鳥から言葉が溢れる。
「姫ちゃんは、俺に自分じゃ何にも出来ない子どもでいて欲しがった。俺は、姫ちゃんに喜んで欲しくて、その通りにした。でも、姫ちゃん以外の人は、皆言うんだ…一人で何も出来ないなんて、姫ちゃんが大変だ、頼ってばっかりで悪いと思わないのかって。」
尊も初めて小鳥に会った時、確かに同じような事を思って小鳥に注意をした。
小鳥の悲しそうな顔を見て、何も知らず小鳥を詰ったあの時の自分を殴ってやりたくなる。
「他の人がそういう風に思うのは、しょうがないんだと思う。それに、俺に注意するのは姫ちゃんの為を思ってなんだろうから、怒られたって我慢しようって思ってた。」
言われて思い返せば、尊が酷い言葉をぶつけた時も、小鳥は怒りも泣きもしなかった。
尊以外にも何人もの人間が、事情も知らないで何も出来ないこの子を責めたのだろう。
まだたった9才の子どもが、今までどれだけの言葉を飲み込んで、どれだけの我慢をしてきたのだろう。
“姫ちゃんに頼ってばかりで悪いと思わないのか”
何て無神経な言葉だ。そんなの、小鳥が悪いと思っていないわけがないじゃないか。
小鳥は誰よりも姫子の事を思い、彼女の為に何かしたいと思っていた。出来ることなら彼女の負担が少しでも軽くなるよう、自分の事は自分でして、姫子の手伝いだってやりたかったに違いない。
だが、そんな小鳥を彼女は望んでいなかった。
だから小鳥は、色んな気持ちを押し込めて何も出来ない子どもでいたのに。
やりたくても出来ないのに、何故やらないのかと周りに責められる。
姫子の為に何も出来ない子どもで居るのに、姫子に悪いと思わないのかと責められる。
でも周りの人間がそうやって小鳥を責めるのは、姫子の為を思ってだと考えて、理不尽だと怒ることもできなかった。
そんな小鳥の気持ちを思うと、苦しくて、悔しくて。
他の人間と同じように小鳥を責めて傷付けた自分に本気で腹が立って、強く拳を握りしめる。
「小鳥、ごめんな。俺も、お前に酷いこと言った。何も知らないでお前の事傷付けてばかりだった。」
自分自身への怒りのせいで震える声で謝れば、小鳥がゆっくりと首を振り、違う、と穏やかに言った。
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