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実践(中)
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結果発表の日、土ノ矢本邸の応接室に一人も欠けることなく試験を受けた十人全員が集まった。
指定の場所に着席し、出された高級な紅茶を飲みながら結果発表を待つ。とはいえ、この場の誰もが結果を察している。
常に首席をキープし、学業の傍ら父親から分けられた秘書の仕事もこなしてきた重松満。その実績は誰もが知るところ。『真実』はさておき、それが周知の『事実』だ。長年外面よく評判高かった満のことだから、面接もそつなくこなしただろう。
おまけに土ノ矢巳輝が初めて表舞台に出たパーティの主役だ。
『重松満を新たな秘書とする』
土ノ矢巳輝、もしくはその秘書である塔堂柳徳の口から早々に出るその言葉を待つだけだった。
なのに。
「重松英秋を新たな秘書とする」
「はあっ?」
耳に入った瞬間に思わず気の抜けた声が出てしまった。おまけに驚き過ぎて口に当てていたカップを大きく傾かせ、太腿に香りのいい液体を零してしまった。
美味しいからとちびちび味わいながら飲んでいたのが悪かったのだが、幸い冷めていたから火傷はしていない。服は濡れてしまい冷たいけれど、そんなことはさておく状況だ。
室内を見渡せば、こんな無様なことは俺しかしていなかった。他の面々は既に飲み終えていて零すお茶など残っていなかったからなのだが、驚いているのは同じだった。恐らく思いも全員一緒。
あり得ない。
今の言葉は幻聴か間違いだろう。いや、質の悪い冗談か。
俺を含め室内にいる十名、困惑し無言のまま視線を一人の男に向けていた。
「聞こえなかったか?」
静まり返り、かつ澱んだ場の空気に似つかわしくない、明るく透き通る声が放たれた。視線の矛先である声の主は土ノ矢巳輝である。高身長で細身の外見。肩下まである長めの艶ある黒髪は後ろで一つに結ばれている。長髪だからと女性さがあるかといえば、優美ではあるが間違いなく雄の雰囲気をまき散らしていた。黒シャツに濃紺のジーンズと、かなりラフな組み合わせであるのにモデルのようなスタイルの良さで目を惹くその容姿とひとつひとつ華麗な動き。
引きこもりには全く思えない。まさかそいつ、本当は土ノ矢巳輝ではなく偽物なのではないか。
なんて思ってみたが、取り巻く彼の威圧感は間違いなく高貴血族のものだし、全体的に受ける印象はあの時の土ノ矢巳輝と同じだ。
となれば、引きこもり野郎は俺と満の名前を読み間違えたのかもしれない。リストが名前順であれば俺と満は連なって書かれているはずだから。
全く、人前に出るまでした相手の名前を言い間違えるなんてやめてほしい。
そう思った矢先。
「もう一度言うぞ」
先ほど爆弾発言をかました美貌の男が、魅惑の微笑を浮かべる。
「俺の新しい秘書は、重松英秋だ。噂通りではなくて申し訳ないが、重松英秋とさせてもらう。さ、彼を残して解散だ」
申し訳ないと全く思っていない表情の土ノ矢巳輝本人による告知と共に、小気味よくパンッと手が叩かれた。
どうやら先の発言は言い間違いではなかったらしい。
―――土ノ矢巳輝の新しい秘書に俺、重松英秋が選ばれたことは。
そしてそれは誰一人としてそれは予想していなかった。故にあまりの衝撃に誰もが動くことができないでいる。
「重松英秋は重松の名を持っているのにもかかわらず、成績は最低で学校には最低限にしか通っていない愚かな人物」
と認識されているのだ。
その俺が、重松満がいるにもかかわらず土ノ矢家の秘書にと発表された。
あり得ないと思って当然。言い間違いではないのならば、これは冗談なのだろう。
「冗談、ですよね」
土ノ矢巳輝の秘書候補全員の思い。それを代表して震えながらも口にしたのは当の関係者、満だった。
「だってあなた、僕の誕生日にきてくれたじゃないですか。それって僕のことが気に入ったからでしょう? 今回の試験だって形だけで最初から僕のことを秘書にするつもりだったはずです。それなのに……それに僕の方がソイツよりも成績も身分も顔だって上なのに、そんな決定おかしいっ」
表情は引き攣り、動揺は言葉に現れている発言だった。主人(あるじ)候補の前で人(おれ)のことを『ソイツ』と呼ぶなんて、まして最後の方は感情剥き出しだ。俺と同じであいつも秘書には向いていないな、と思う。普段から俺のことを名前で呼ばずにオマエと呼んでいたから、つい『ソイツ』と口から飛び出してしまったのかもしれないけれど。
「秘書に必要なのは能力で、身分や顔は関係ないだろう。成績に関しては、重松英秋の頭脳は申し分ないはずだが」
満に向かって土ノ矢巳輝はクスリと笑った。曲眉に決然とした目、弧を描く赤みのある唇で構成されるその笑顔は魅惑的だったが、満には彼の言葉の方が気になったようで見惚れることなく眉根を寄せた。
「なにを……英秋の頭が申し分ないなんて、おかしいだろうっ」
『お情け』で卒業できた俺と異なり、満は『首席』で卒業しているのだ。誰だって俺よりも満の方が土ノ矢家の秘書に相応しいと判断する。
それは確定事項だったのに。これは……俺の計画にはなかった流れだ。
アメリカに行くためにも、ここは満に頑張って貰いたい。
産まれて初めて、満に対して頑張れと心の中で応援する。
「重松満の成績や業績は不正あってのものだろう。中等部の時から学内のコンピューターにアクセスして重松英秋の情報と交換していることは、わかっている」
「な、なにをいうんですかっ! 僕がそんなことするはず、ないっ!」
顔を真っ赤にして反論する満。中学時代に俺が主張していたことを土ノ矢巳輝が口にしたものだから、周囲は唖然としている。
俺もびっくりだ。俺と満の成績交換のことを口にする人間がいるなんて。まして、長年不正アクセスを見逃していた土ノ矢の人間がそれを認めるとは。
周囲では
「重松満がそんなことをするはずがないだろう」
「中学の頃、重松英秋はそんなことを言っていたな」
「あの話は本当だったのか」
「いや、まさか」
「嘘だろう」
そんなことを言いたげに、ちらちらと視線を交わしていた。
「土ノ矢の生業を忘れないで欲しいな。あれほど乱雑にデータを弄ればすぐにわかる。『情報』に関して俺より上の者などいないぞ」
「巳輝様の関わったプログラムに対して不正操作をするのなら、もっと腕のいい人物を雇うべきでしたね。少なくても、重松英秋くらいの腕はないといけません」
土ノ矢は俺と満の成績を入れえ変えていたことを知っていた?
なぜ彼らは俺の『腕』を知っている?
土ノ矢巳輝に続く塔堂柳徳の言葉に驚きながらも、口元を引き締め表情は平静を装う。
「巳輝様の秘書が重松英秋さんであれば、私も心置きなく引退できるのですがねぇ」
塔堂柳徳が額に手を当て、ふうと大げさに溜息を吐いた。
高名な彼そこまで言われれば嬉しいと思うべきなのだろうが、俺は秘書に興味などないので秘書にと望まれても困るだけだ。
ここで土ノ矢に捕まってしまっては、海外へ逃げることができない。重松家に捕まらないように逃げる手筈も、その後の天職間違いない仕事も見つけてあるというのに。
満が当てにならないとなれば、自分でけりをつけるしかない。
「失礼ながら塔堂様」
口を開いた俺に視線が集まる。その中で何故か土ノ矢巳輝は笑顔満開だ。不気味さを感じるが、止めが入らなかったのでそのまま言葉を続ける。
「私が大学を最低な成績で卒業したことは報告書でご存知のはずです。第一、土ノ矢の開発したセキュリティを破るなど誰にもできないはずで、情報操作などきっと何かの間違いです。不出来な私には土ノ矢様の秘書としての責は重すぎます。やはり重松満が適任と思います」
「俺は有能だから、秘書に然程責は置いてないぞ」
「……有能、ですか」
塔堂柳徳ではなく土ノ矢巳輝からの返答に思わず顔を顰めた。
学校に一度も登校せず、満のあのパーティ以外表舞台に出たことのない、引きこもりの土ノ矢巳輝が、有能?
呟く俺の声にも不審の感情が混じってしまった。
「主人は有能ですよ。初めてお会いした時に、私が仕えたいと思ったほどですから」
塔堂柳徳が笑顔で主人を擁護する。
土ノ矢巳輝は塔堂柳徳が認めるほど有能な男と言うことか。土ノ矢の業績が上がったのは、土ノ矢巳輝代行の腕がいいのもあるが、主の指示が的確であるということか。ならば。
「それほどに有能ならば、私でなくてもその役、務まりましょう」
「責は置かないが、無能な秘書は不要だ」
土ノ矢巳輝が顔は俺に向けたまま、視線だけ満に向ける。
無能と目で告げられた満を見れば、全身真っ赤にして怒りに震えていた。今まで面と向かって『無能』という『事実』を指摘されたことなどないから怒り心頭だ。
「僕の、どこが、無能というのですかっ!」
「どこ、って、全てだろう」
ふ、と息を吐いて、見下した瞳で土ノ矢巳輝が言葉を続ける。
「重松満と重松英秋の情報が弄られていると報告を受けたのはもう十年ほど前のことか。調べてみれば重松英秋と重松満の成績操作以外の被害がない。重松当主はそのことに気付いていないようだし、だれもが重松満を有能ともてはやしている。それに被害者が騒ぎだてもしない。で、まあ、面白そうだから好きなようにさせてみようと経過は追っていたのだが、重松満に大した脳がないのは十年前から知っているぞ。重松努の仕事に関しても……おっと、故人のことは黙っておこうか」
含み笑いの土ノ矢巳輝は、満の所業だけでなく昨年事故で亡くなった努の仕事ぶりも知っているようだ。
土ノ矢が日本のあらゆる情報を手にしているという噂は眉唾ではないらしい。
学校での不正アクセスに関してはセキュリティの強化をしていなかったのではなく、クラッキングされてデータ操作をされていたことを知りながら、監視はしつつそのままにしていたということか。
この様子では俺の成績が満に取られていたことだけではなく、満の秘書見習の仕事と努の代わりに日乃院に関する仕事をしていたことや、そのせいで俺が学校に通えなかったことも把握しているな。
「重松家は長男と末っ子を過度に甘やかしていたようですからね。唯一先見の明ある次男は海外でつがいを見つけたとか。この先重松の名は落ちる一方でしょう」
「ふざけたことを言うなっ」
恨みを込めた瞳で塔堂柳徳に向かって満が怒鳴る。普段は塔堂家のことを『格下』と嘲笑っていたのに、己の無能さ、という事実を突きつけられて冷静でいられないようだ。
「俺付きになったら、その仕事を重松英秋にやらせるつもりだったのだろう? そのために重松英秋の行動を制限していたようだからな。だが、重松英秋はこの発表を終えたら海外へ逃げるつもりだった。それも、重松の手が届かない、ジョーカー家の所に」
「な、んで、それをっ!」
土ノ矢巳輝に未来と行先まで言い当てられて、思わず椅子を倒す勢いで立ち上がってしまう。しかも肯定の言葉をうっかりと叫んでしまった。
そんな俺を満が驚きの目で見ていた。
「そんなことを、お前は隠れてしていたのか」
そんな言葉を含んだ目で、けれど瞬時にそれは怒りと憎しみに取って代わった目で。
アメリカのジョーカー家とのやり取りは、ばれないように世界中のネットワークをいくつも経由し、偽名を使い、暗号化してきた。
誰も俺達のやり取りを知る者はいないはずなのに。特定の人物以外アメリカへ行くことを知らないはずなのに、なぜ、土ノ矢巳輝が知っているのだ?
まさか、ジョーカー家が土ノ矢巳輝に?
「ジョーカー家はお前のことを漏らしていない。個人的にお前から教えてもらっただけだ」
声に出していない俺の疑問に答えるかのようなタイミングで土ノ矢巳輝が告げる。俺が個人的に行先を教えた相手など二人しかいない。ジョーカー家当主と、情報操作の師である―――
「まさか、あんた……コメ……ッ」
四年前からの付き合いの、顔も実名もわからない人物。
『明日が決行日だ。そっちで会うことができるのなら、嬉しい』
そんな文章を昨日送った相手。
「重松英秋。この俺に会えて、嬉しいだろう。この四年、お前とのやりとりは楽しかったぞ」
四年という単語は『彗星』だという肯定。
今回の完璧な海外逃亡計画。それを手伝ってくれていた彗星が、目の前の人物……
「四年前、俺の最新情報セキュリティプログラムが突破されてアメリカに繋がったという報告は、最初信じられなかったけどね。あのプログラムには相当自信を持っていたから」
いやいや楽しかったと目を細める美男。
「生まれてからずっと、俺を楽しませることができる人間なんていないと思っていたんだ。あの時、突破した人物を調べて重松英秋の名前にたどり着いた時、納得した。重松英秋と重松満の成績ことは把握していたからな。だから、決めた」
「俺を楽しませてくれる重松英秋を、手に入れるってね」
極上の笑顔で、そう告げた。
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