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パタパタと、3階の廊下を走っていた日下部は、ある面談室から土浦が出てきたところをちょうど見つけた。
「麻里亜先生…」
「あら、日下部くん。どうしたの?」
にこりと自然に微笑む土浦に、日下部はさり気なさを装って近づいた。
「いえ。今日はインフォですか?」
「まぁね。今終わったところよ」
サラリと言う土浦だけど、少なくとも日下部が見た限り、患者が出て来たところは見ていない。
(とっくに終わっていたくせに…)
白々しい、と思いながらも、日下部はふわりと綺麗に笑った。
「お疲れ様です。消化器外科でした?」
「えぇ。山岡先生よ」
あっさり答える土浦に、疚しいところはないのか。
拍子抜けした日下部が、先ほど土浦が出て来た部屋のドアを見つめた。
「まだ中にいるんじゃないかしら」
「そうですか」
「じゃぁあたしはこれで」
「えぇ」
「またオペでよろしくね」
「はい」
平然としたまま去って行く土浦を見送り、日下部は山岡がいるという面談室に飛び込んだ。
「山岡先生っ…」
バンッとドアを開けた日下部は、中にポツンと、真っ白い顔をした山岡が立っているのを見つけた。
「山岡っ…どうした?何をされた?」
カチャンと素早く鍵を閉めて、山岡に手を伸ばす。
そのままギュッと腕の中に抱き込んだ山岡の身体は、驚くほど冷たかった。
「っ、あの女…」
「ぁ…日下部先生?」
不意に、ぼんやりとしていた山岡の目が、日下部に焦点を結んだ。
途端に強張っていた表情が崩れる。
「どうしたんですか?」
コテンと傾げられる山岡の首に、日下部はギュッと抱き締める腕の力を強めた。
「どうしたじゃない。それは山岡の方だろう?」
「オレですか?」
「あぁ。あの女に…土浦麻里亜に、何をされた?」
色を失っていた山岡の顔から、何もなかったとは思えない日下部は、必死で問い詰めた。
「麻里亜先生に?えっと、何も…」
「嘘だ」
「っ…本当に、何も」
フルフルと小さく首を振る山岡に、日下部の怪訝な視線が向いた。
「こんなに冷え切って、何もなかったはずがない」
「でも…話をしていただけです」
「悪い話か」
原因はそれだ、と確信する日下部に、山岡は少し困ったように微笑んだ。
「麻里亜先生は、きっと今でもオレを憎んでる。だから、わざとキツイ言葉は使っていただろうけど…内容自体は、ただの事実です」
だから、何をされたわけでもない、と言う山岡に、日下部は土浦への苛立ちを隠せなかった。
「っ…日下部先生」
「なんだ」
「日下部先生って、やっぱり高校時代にもモテていたんですね」
へへ、と笑う 山岡が急に何を思ってそんなことを言い出したのか。日下部は思わず一瞬毒気を抜かれてしまった。
「そんなことを言われたのか」
「はぃ。その…麻里亜先生みたいな関係の人が複数いたって…。今もいるに決まってるって…」
チラ、と上目遣いに見てくる山岡に、日下部は深い溜息をついた。
「はぁっ、それを信じたのか?」
「いいえ。オレは日下部先生を信じてます」
それで大体、土浦が何を目論んだのかを察した。
「でもオレは、日下部先生のことをそこまで知らないな、って…」
ポソッと言う山岡の発言が、土浦の撒いた言葉への嫉妬だと聞き取って、日下部は苛立っていたのも忘れ、思わずにやけてしまった。
「麻里亜先生が知っている俺の過去を、山岡が知らないことが悔しい?」
「えっと…少し、はぃ…」
「ふふ、嫉妬してくれるんだ?」
「し、嫉妬っ?えっと、あの…」
「知りたかったらいくらでも話すよ。まったく面白い話じゃないだろうけど」
「っ…聞きたい、です…」
ユラッと期待を浮かべた山岡の目に気づき、日下部は嬉しくて嬉しくて、顔がにやけて行くのを止められなかった。
「俺のことを知りたがってくれるなんて、感動なんだけど」
「な、なんですか、それ…」
「恋人に自分のことに興味持たれて、嬉しくないやつはいないだろ」
「迷惑じゃ…?」
「ないね。嬉しい。じゃぁ今夜」
「え…?」
「絶対に仕事を終わらせるから、夕食うちで。そのときに話してあげる」
ポンポンと頭を撫でた日下部に、山岡の顔がふわりと嬉しそうに綻んだ。
そこにはもう、先ほどまでの蝋人形のような山岡はいなかった。
(ふふ、土浦麻里亜…。これは誤算だろ?ざまぁみろ)
きっと山岡を惑わせたかったのだろうけど、そう簡単にいくものか。
(また1つ俺らを近づけるスパイスを投入しただけだったな。残念だけど、あなたの思い通りにはいかないよ)
もうここにいない土浦に向かって勝者の笑みを浮かべながら、日下部は腕の中で体温を取り戻した山岡を、愛おしそうに抱き締めた。
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