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「こ、わい…」
「っ…」
「怖い…山岡先生」
きゅっと自分の身体を自分の両腕で抱きしめて、里見が小さく身を震わせた。
「私はこれから、ちょっとずつ、手足が動かせなくなっていく…」
「里見先生…」
「そうしていずれ、口や舌、喉が動かしにくくなって、言葉を上手く話すことも、ものを上手く飲み込むこともできなくなっていって…」
「っ…」
「呼吸がっ…自力で、できなく、なって…っ。人口呼吸器に、頼って…」
カチカチと、歯を鳴らして叫ぶように告げる里見の声を、山岡は正面から受け止めた。
「先生。先生っ!山岡先生ッ…」
ドンッと体当たりして、ぎゅっと山岡の白衣を掴む里見を、山岡は静かに見下ろした。
「こ、わい、よ…」
ぽろりと溢れた涙がポタリと、非常階段の踊り場に染みをつけた。
「あ、えっと…」
ぎぎぎ、と音がしそうなほどのぎこちなさで、山岡の片手が持ち上がる。
その手が小さな躊躇いを見せて揺れた後、ぽん、と里見の肩の上に置かれた。
するり、するりと、泣きじゃくる幼子をあやすように、山岡の手が里見の肩から背中を滑る。
何度も何度もぎこちなく、それでも繰り返されるその動きに、里見の泣き声が徐々に落ち着き、そうしてクスクスと笑い声がこぼれるまでになった。
「ふふ、山岡先生。ここは抱き締めて慰めてくれるところじゃないんですか」
ヨシヨシって、子供じゃないんですよ?と笑う里見に、山岡は困ったように首を傾げた。
「オレは…あまり優しい人間では、ないので…」
「え~?」
「裏切りたくない人がいるんです。こんな状況なのに、オレが1番に考えているのはその人だ」
「あぁ、日下部先生」
「っ?え?あ、その…」
くすっと笑った里見の声に、途端にパッと里見の肩を押し返す山岡の動揺が激しい。
「いや、今更でしょう?院内スタッフで、知らない人なんていないんじゃないですか?」
「え、え、や、そんな。他科も、みんな…?」
「はい。新人の私でも知ってますけど?」
ケロッと爆弾を投下する里見に、まさかそこまでとは思っていなかった山岡がふらりと足を引いている。
「あはっ、あはははっ。山岡先生。やっぱり私、貴方を相談相手に選んでよかったです」
「え?は?あの…?」
「だって、貴方は下手な慰めの言葉1つ言わなかった。ありもしない希望的観測も、残酷な嘘も、なにも」
「っ、そ、れは…」
「それどころか、自分の未来に絶望して、泣く女性を目の前に、抱き締めて慰めることすらしなかった」
「っ…それは」
「しかもその理由が、カレシが1番大事だからって」
「う…」
おっかしいの、と今度は別の涙を浮かべて笑う里見に、山岡は困り果てて俯いた。
「あははっ、あは…はは。よかった。よかったぁ」
「え…?里見、先生…?」
「貴方で、よかった。事実を、ありのままにただ受け止め、同情や憐憫で目を曇らせることもなく冷静で、残酷な絵空事1つ描かない」
「……」
「山岡先生で、よかったです。貴方は本当に優しい人だ」
「っ…」
「とても強くて。そしてきっと、最高の良医」
へにゃりと笑った里見がゆっくりと山岡から距離を取り、ペコリと深く頭を下げた。
「取り乱して、大変失礼しました」
「い、え、その、里見先生」
「それから、これからもよろしくお願いします」
「っ…」
「前向きに…前向きに、生きていきます。進行を遅らせる薬を服用して、その間に、きっと根治できる薬が開発されることに希望を託しながら」
「はぃ…」
「それでも。それでも、たまにどうしようもなくなったときは、また連絡してもいいですか?少しだけ頼ってもいいですか?」
パッと頭を上げた里見の真っ直ぐな視線に、山岡はふわりと微笑んで頷いた。
「はぃ」
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