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憧れの人
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それでは失礼致しますと、そんなことは欠片も思っていないであろう氷のような声で部下は受話器を置いた。
終業後で二人しかいないとは言え、営業部の電話がそんな声音で切られるなんて好ましくない。
上司としてはさらっと注意の一つもしないといけないんだがーー
それでもかなり友好的な対応であることを俺は知っている。
「助けてやろうか、岬」
「………………」
こっちに寄越された岬の横顔はまあ怖いほどに整っている。
こだわりなど一つもない、ただ清潔なだけの眼鏡とスーツもまるで上流階級の誂え。
その苛立っていた顔が更に曇ったあたり、どうも俺はにやけていたらしい。
「適当に理由付けて次のラウンド付き合ってやるし、担当替えも提案してやる」
「………………」
「代わりに今晩うち来ない?」
せいぜい良いやつそうに笑ってみせると、岬の表情はあからさまに侮蔑したようにーーいや、それでも綺麗なんだけどーー歪んだ。
「セクハラで困ってる部下にセクハラの取引って、どういう神経してらっしゃるんですか」
「えぇ?うちで飲もうって言ってるだけじゃん」
冷めた横目で一瞥すると、岬は何も言わず席を立って帰り支度を始める。
「あーー、ごめん!俺と一発やってください!」
「ちょっと!声が大きいんですよ!!」
焦っている顔も綺麗だ。
怒られてしまったので近くへ寄って、今度は小声で。
「……お前が好きだって言ってたワイン買ってある。一緒に飲もう」
「………………」
何に釣られたのか知らないが岬がぐっと息を呑む。
なんでかよく分からんが、俺のこの声が好きらしいことは知っている。
「駄目か?」
「…………あなたの前で、酒の好みの話をしたことはないはずですが」
「んん?これでも成績は良いんですよ?」
「存じてますよ……、嫌と言う程」
不愉快そうに皺が寄る眉間。
ーーこれは、単純に悔しがっているだけかな。
「卑怯な真似して悪かった。けど、こうでもしないとお前は会ってくれないだろう」
その高潔な容姿のとおりにお高い自尊心を擽ってやると、岬は面白いように瞳を揺らした。
「先程の話は………」
「勿論本当だ。ーーっていうか普通に度が過ぎてるよなあれ。当社としても看過できません」
「………………」
顧客に好かれるに越したことはないし、先方に自覚があるかどうかはともかく見た目の良い営業マンは漏れなく成績も良い、が。
容姿はあくまで能力の一部、補助に留めるべきだ。
枕営業紛いなんぞ、俺の目の黒いうちは絶対に許さん。
俺がそういう考えであることを、容姿以外も文句なく優秀な岬はよく理解していて賛同もしてくれている。
「ーー何か期待させるような事をしているつもりは、無いのですが」
「分かってるよ。お前はそのご面相がなくたって充分優秀だ。皆分かってる」
「………………」
岬の顔がほんの僅かに緩む。
俺以外には気づかないだろうな、こんな些細な違いは。
本っ当にーーーー
「かっわいいやつだなあお前はーー…………!」
「止して下さい」
きりりと締まった表情に戻って背を向けようとする岬を、抱きしめようとして返り討ちにあい、どうにかこうにか宥めすかして俺は岬を助手席に乗せた。
「………グラスまで」
ただのコップで出されるとでも思っていたのか、色のない声で岬が呟く。
「そうですよ?俺はご奉仕するタイプです」
色々と。
そう含めて言ったつもりだが、岬は綺麗に無視してみせた。
「珍しい形ですね」
ステムのないグラスはワインをそそがれてころころと揺れる。
いかにも、というあの高貴な雰囲気のグラスはさぞ岬に似合うんだろうとは思うがーー
「あのほっそい足とか、俺絶対折るなーと思ってさ」
「そうですか……」
しっとりと温かい響きになった声に、俺は胸ぐら掴まれたように岬の方へ向き直った。
グラスを顔に寄せ、幸せそうに細まった瞳と柔らかく上がった口角が、俺の視線に気づいてまたきっと冷たくなってしまう。
残念で残念で首を振ってしまうと、「なにか?」とこれまた冷たい声。
ここでからかってしまってあれを封印されるのは世界の損失だ。
「なんでもないよ。本当に岬は綺麗だ」
「…………………」
自分もグラスを持ち上げて勝手に岬のグラスに軽く当て、一口含む。
俺は正直、安物でもビールの方がうまいな……。
けど、同じく一口飲んだ岬が心底美味そうにしてるからまあいい。
それにしても一言も返してくれないとは改めて頑なだな。
まあ、ここまで綺麗だと褒められ尽くして反応に困るんだろうと想像もできる。
もっと適当な性格をしていれば、そのたび喜んでみせたり武器にしたり、生業にすらできたのだろうが。
岬は真面目すぎる。
いくらでも恩恵になりうる容姿は、厄介事の元でしかなかったんだろう。
(ーーまぁ俺もその顔に当てられてるわけだけど)
厄介事代表は、いまひとつ好きになれないワインを置いてチーズをつまむ。
一方岬は、ろくすっぽ食べもせずグラスとお友達。
溶けそうに細まった瞳が本当に綺麗だ。
さっきからかわなくて本当に良かったーー。
「……………なにか」
でもやっぱり気づかれた。手練かよ。
「なんでもないよ……、飲んでばっかだと酔っ払うぞ」
「ああ、私はーー」
「それとも酔いたいの?」
「………………。」
「ふッ」
無言で生ハムを食いまくる岬。
可愛いな、ちくしょう。
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